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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第三章 確執
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黄昏(一)

(ああ…なんだか疲れた……)


私は引きずるような足取りで堀河のお邸の渡殿を歩いていた。

あの後もさんざん噂話やお喋りに付き合わされてしまった。


義朝さまのご身辺にお手のついた女房はいるのか、だとか。

義朝さまの女性のお好みはどんなだとか。

絶世の美女だとの評判の常盤御前を拝見したことがあるか、だとか。


質問責めにあい、反対にこちらのお邸の御曹司やら姫君やらの人と為りやら評判やら、果てには大殿の今の北の方さまの馴れ初めまで聞かされて、開放されたとはもう日も傾きかけた酉の刻近くだったのだ。


途中で適当に切り上げて席を外したりすれば、その途端に自分が噂の標的にされるのは間違いないような気がして、適当に相づちを打ったり、愛想笑いを浮かべたりしながら付き合い通したのだけれど…。


(結局、全然縫い物が進まなかったな……)


夜に鎌田のお家の方に持ち帰らせていただいて続きをやることにして、北の対を辞去してきたのだけど。


(なんというか、すごい活気だわ。千夏をお喋りだと思ってたけれど、どうしてどうして……。あれに比べたら千夏も私も無口もいいところだわ)


そんなことを思いながら、寝殿の東面を抜けて門の方へと向かおうとしたその時。


「佳穂ではないか」


聞き知ったお声がかけられた。

背後からのお声だったので、一瞬、為義さまのお声かと思い、さっと振り向いてその場に膝をついた私は、お庭の方からこちらを見上げておられるのが頼賢さまだというのに気づいて、思わず固まった。


義父上と正清さまもそうだけれど。

父子同士というのは、お顔はまったく似ていなくても、どうしてお声はあんなにもそっくりでいられるのだろう。


先日の事を思い出し、咄嗟に身を硬くしている私の様子に気づいた風もなく、頼賢さまはにこやかにこちらに近づいてこられた。


「今から通清の邸へ帰るのか?」

「は、はい」

「正清のもとへはまだ帰らぬのか。さんざん惚気ておったくせに。そのように留守を続けてよいのか?」

「はい。明後日の宴が終わるまではとお許しを頂いておりますので」

私は小さく頭を下げた。


「日もそろそろ暮れる。送っていってやろう」

頼賢さまは、ゆるりと階をあがって私のすぐ前まで来られると、気安くそう仰った。


「い、いえ。そんな畏れ多い。滅相もないことにございます…!」

縫い物の包みを抱えて後ずさる私を見て、頼賢さまは苦笑された。


「なんだ。随分と嫌われたものだな」

「いえ、嫌うだなどと、とんでもない…。ただ、御曹司にそのようなことをしていただくのはもったいなくも畏れ多くて…鎌田の邸はすぐ目と鼻の先でございますし……」


「分かった分かった」

頼賢さまはお手をあげて笑われた。


「この間は、あんな真似をして悪かった。ただ、そなたが云うてくれたことが嬉しくて、ちょっとした礼のつもりだったのだ。驚かせたのならすまぬ」

さっぱりとした影のない笑顔で言われて、私は目を丸くした。


「礼、でございますか…?」

「ああ」

頼賢さまは頷かれた。


「父はまことは俺を必要としてくれておる、と。俺のこの思いが父や、一門の力になる日がくる、と。

 そう云うてくれたであろう」

「は……」

 

「俺のことを一門になくてはならぬと。慕わしく尊敬してくれている者が必ずおる、と。そうも云うてくれた」


(そ、そんな偉そうなことを申し上げたのだったかしら? その後の展開があまりに衝撃的過ぎて、ほとんど何も覚えていないのだけれど……)


けれど、嬉しかったというお言葉に相違はないらしく、頼賢さまは、優しげな情感のこもった眼差しで私をご覧になっていらっしゃる。

私は恥ずかしくなって俯いた。


(そうだわ。頼賢さまは、あの時、ご自分の精一杯の訴えを大殿に無下に退けられたことで、酷く傷ついていらして……)


(お気持ちの揺れていらっしゃるときに、たまたま私が側にいて。その……思いつきで言ってみた母さまの受け売りの言葉が、たまたまお心にとまって……。それで、感情が高まられてちょっとあんな風になされただけだったのだわ)


(それを、よくある殿方の好き心のように思って、今もあんな風に警戒したりして……恥ずかしい)


脳裏にさっきの女房たちとの会話が甦る。


『軽く手を握られて、衣装を褒められただけだって言うじゃない?そんなの社交辞令のひとつじゃない。ねえ?』

『自意識過剰もいいところよ』


や、やだわ。

さっきは他人事だと思って聞き流していたけど……。こうしてみると、そのまんま自分のことじゃないの。


ちょっと「優しい」とか言われて抱きしめられただけで勘違いして……。

都の男女の仲ではそんなのは挨拶だとかお礼の範疇なのね、そうなのね。


「礼ついでに邸まで送らせては貰えぬか? なに。丁度、通清にも先日のことを詫びたいと思うておったのだ。口実になって貰えると助かるのだが……」


頼賢さまははにかんだように言われた。


「まあ…そんな。勿体のうございます」


 そう言われてまで固辞し続けるのも失礼なので、私はありがたくお申し出をお受けして、ほんの数町しか離れていない鎌田の邸まで頼賢さまに送っていただいた。


頼賢さまは、私が断るよりも先にさっさと手の中の荷物を取り上げてしまわれて、畏れ多いことに邸まで運んで下さった。


そんな風に扱われたことがない私はどぎまぎしてしまったが、頼賢さまは極めて自然な物腰で、道中も先日のような私を困らせるような素振りは毛ほども見せられず、数日後の歌会に自分も参加するのだが、今から詠む歌に頭を悩ませている、などということを、おどけた口ぶりでお話して下さった。


途中、狭い路地で人とすれ違うときに、庇うように肩を抱かれたり。

水溜りを避けるときに、手を引いて下さったりして、その度に私の方はいちいち鼓動を跳ね上がらせていたのだけれど……。

頼賢さまの方は、まったく何の拘りも感じておられないご様子で、にこやかにお話を続けておられた。


鎌田のお邸の門のところまで来ると。

頼賢さまは足を止め、じっと私をご覧になった。


「もうついてしまったな」

「はい。有難うございました」

私は深々と頭を下げた。


くっきりとした二重の綺麗な瞳でまっすぐに見つめられて、また頬に熱がのぼってくる。


「ち、義父を呼んで参りますので、どうぞこちらへ」


上ずった声で言って踵をかえそうとした刹那、二の腕をつかまれてぐっと引き戻された。

強く引かれた反動でお胸のうちに転がりこむような形になる。


「いや、やはり今日は良い」

「え……?」

「明後日の歌会。そなたも来るのであろう?」

「は、はい」


肩を抱きしめるようにして引き寄せられ、私は内心の狼狽を押し隠しながら頷いた。


(社交辞令、社交辞令…!これはただの挨拶でいらっしゃるんだから……)


心のなかで懸命にそう唱える私を見て、頼賢さまは、ふっと微笑まれた。


「そうか」

そうして子供にするように私の髪を撫でられると。


「では、また会えるのを楽しみにしている」


言うなり頭がぐいっと引き寄せられて、額になにか柔らかな感触が触れた。


(え……?)


「ああ。忘れるところであった。これは返さねばな」

 そう言われて差し出された荷物を受け渡しながら、ぎゅっと手を握られると。

「ではな」

 そういい置いて、頼賢さまはくるりと踵を返された。

あとには茫然とした私が残された。


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