11.新珠の春
そこへ料理を山ほど載せた御膳を侍女たちに運ばせて、槙野がやって来た。
「まあまあ、新年早々のお越しとはありがたい思し召しでございます。
姫さまは、殿のいらっしゃらない間はまことにお寂しそうに沈みがちでいらっしゃって。
姫さま、よろしゅうございましたわねえ。姫さまのそのようにお嬉しそうなお顔を拝見出来るのが、この槙野には何よりの老いの喜びにございます」
立て板に水どころか、滝でも流したような勢いで槙野がまくしたてる。
常日頃、「ややこしいお家に嫁いでしまわれた」だの「源氏の棟梁の一の側近の北の方になったはずがあてが外れた」だの失礼なことばかり言っているくせに、そんな気配は微塵もみせない如才のなさである。
「槙野ったら。私は別に沈みがちになったりしてないわ」
「あら。そうでしょうか。先日も夜中にご寝所の内で忍びなくようなお声を聴いたような気がいたしますが、あれはどなたのお声だったのでしょうねえ」
「あれは寝る前に『源氏物語』の浮舟の君のくだりを読んでてつい……って、今そんな話をしなくたっていいでしょ!」
本当に槙野といい、七平太といい、よけいなお喋りばっかりするんだから!
槙野の得意げな顔が癇に障ったので、
「そんなことより槙野。今日はあの、東国のお侍の親分、子分がどうのってお話はしないの?最近何かっていうとあの話ばかりするじゃないの。殿にも聞いていただいたらどう?」
と言ってやると、
「まっ、姫さま……っ!」
目を白黒させて、
「わ、私少し、台盤所の方を見て参りますわ」
あたふたと下っていってしまった。
(ふんだ。私だっていつも言われてばかりじゃないんですからね)
ちょっと溜飲を下げて槙野を見送っていると、
「何だ?何の話だって」
正清さまが、首を傾げられた。
「いいえ、なんでも。槙野は最近、年のせいかくどくどと同じ話を何度も繰り返すので、そのことを言ったのでございます」
「そうか」
正清さまは頷かれた。
「槇野には、きっと何かと気苦労をさせておるのであろう。それも、俺があちこち飛び回ってばかりで、ろくにこちらにも顔を出さぬからであろうな」
「そんな!とんでもない!」
私は慌てて手を振って否定した。
が、その後で急に心配になって付け加えた。
「槇野が…何が要らざる事を殿に申し上げましたでしょうか…?」
正清さまは苦笑された。
「いや。何も聞いておらぬ。……が、その分では槙野が何度も繰り返す話というのは、いつになったらあの婿殿は、姫さまをちゃんとした奥方らしく扱われるのか、というような事であろう」
私は赤くなって口を抑えた。
「も、申し訳もございませぬ」
「図星か」
「佳穂は、決してそのような事は夢にも思うておりませぬゆえ……!」
「分かっておる」
正清さまはまた笑って、私を手招かれた。
「佳穂。こっちへ来い」
それが合図のように、侍女たちが空いた器などを持って静かに下がっていく。
おずおずとお側に寄ると、そのままお膝の上に抱き上げられた。
「と、殿、人が参ります…」
「来て悪いことはなかろう。夫婦がこうしていて何がおかしい」
「それはそうかもしれませぬけれど……」
まともに目が合うのが恥ずかしくて、お胸に顔を伏せるようにしてお返事をする。
槇野が見ればまた、
「まあ、また、殿の御前だと姫さまはお人が変わったようにしおらしくていらっしゃること!」
とか言って、からかうだろう。
正清さまの妻となってもう一年半が過ぎたけど。
たまにしかお会いしないせいもあって、私はやっぱりこういうのになかなか慣れなかった。
が。
次の正清さまのお言葉に、私は恥ずかしいのも忘れて思わず顔をあげた。
「槇野に心配をかけるのも、もう少しの辛抱だ。婚礼の夜にした約束、今年のうちには果たせそうだぞ、佳穂」
「え…?」
(婚礼の夜のお約束って………)
「我があるじ、義朝さまはいよいよこの春、とうとう京に上がられることとなった。河内源氏の嫡流、正当なる後継者としての堂々のご上洛だ」
誇らしげな正清さまのお顔を見上げながら私はしばし、キョトンとしていて…。
それから思わず両手を胸の前で小さく打ち合わせた。
「まあ……まあ…!おめでとうございます!」
それはご当人の義朝さまにとってはもちろんのこと。正清さまをはじめとした東国の武士団の人々すべての切ないほどの悲願であった。
正清さまが、結婚以来ほとんどこちらにいらっしゃる暇もないほどお忙しくしていらしたのも、すべてはその『義朝公、ご上洛』の為の根回しというか、地盤固めというか……。
とにかく、ここ数年、正清さまはそのご主君のご悲願を達成する為に寝食も忘れ、通清義父上のお言葉を借りれば、
『御曹司へのご奉公一途の朴念仁』
と称されるほど、心身ともに打ち込んでこられたのだから、晴れてそれが果たされるとなってお嬉しさはいかばかりかと思われた。
「殿…。本当におめでとうございまする。それも殿のお働きがあったればこそ。本当にご苦労様にございました」
「俺など、京と鎌倉の間をうろうろしておっただけで何もしておらぬ。すべては義朝さまのご器量あってのことよ」
言いながらも、正清さまは上機嫌に私の髪を撫でられた。
「ご上洛は、来月、如月の吉日を持って行われる予定だ。その折にともに伴うことはさすがに出来ぬが……夏までにはそなたも京へと呼びよせよう。それまで待っておれるか?」
「はい!もちろんでございます」
反射的に全開の笑顔をつくってお答えしながら……。
胸のうちに僅かに不安が過ぎるのを感じた。
それは、広がっていく雨雲をただぼんやりと眺めているような、漠然とした不安だった。
以前に聞いていた、義朝さまのご一門のなかでの微妙なお立場の話のせいかもしれない。
そんな感情を正清さまに感づかれたくなくて、お胸に顔を埋めるようにして表情を隠すと。
甘えていると思われたのか、ぐっと強く引き寄せられた。
「寂しい思いをさせてすまなかったな」
今度は私も「人が来ます」とは言わなかった。
槇野も、他の侍女たちも、その後、戻って来なかった。
 




