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夢の雫~保元・平治異聞~  作者: 橘 ゆず
第一章 出逢い
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12.無沙汰

 久安六年(1150年)、二月吉日。義朝さまはご上洛になった。


 正清さまをはじめ、東国の名だたる勇将、猛将たちを従え、源氏の象徴である白旗を押したてた、その物々しい一団は、荒事に不慣れな都人たちに驚きと畏怖の視線で迎えられたという。


 正清さまからは無事、京の邸に落ち着かれた旨のご連絡が、いつも通り七平太を使いにして送られてきて。


 けれど、それっきり。春が過ぎて夏になり。

 その夏も過ぎ去って秋の気配がそろそろきかれようかという七月の半ばになっても、正清さまからは、上洛を促すお便りは来なかった。



「いったい殿はどういったおつもりでしょう!!」

 もう間もなく八月に入ろうかというある日。

 

 ひさしぶりに正清さまからの御文を持って訪れた七平太を前にして、槇野がたまりかねたように叫んだ。


「ど、どう言ったおつもりとは……」


「年明けにおみえになられた折には、夏の前に京にお迎え下さるということでしたのに……。秋も深いというのに何のお沙汰もないではありませぬかっ!」


 日頃から、苦手にしている槇野に詰め寄られて七平太は、たじたじとなって後ずさった。


「い、いえ。そればかりはそれがしに言われましても……」


「そなたに言わずしてどなたに申し上げれば良いというのです!?殿に直接申し上げられないからそなたに言っておるのです!いったい殿は、いつになったら姫さまを京へとお迎えくださるおつもりですの?そんな事にも答えられずして、何の為のお使いですかっ!!」


「やめなさい。槇野」

 私は、ため息をついて割って入った。


「七平太が困っているじゃないの」


「御方さま……」

 七平太がすがりつくような視線を向けてくる。


「そんなにわめきたてなくても、時期が来れば殿がちゃんとお知らせ下さるわよ。私どもはそれを待っていれば良いのです」


 女主人の威厳をこめて毅然と言ったつもりだったけれど、槇野は納得するどころかいよいよ猛り立った。


「まあっ!姫さまの呑気でいらっしゃること!そんなのんびりした事を仰っている間に殿が都で他の女人にうつつを抜かしておられるとしたらどうなさいますかっ!!」


 それまで思ってもみなかった事を言われて、私はきょとんと目を丸くした。


「他の女人……?」

「そうでございます」

 槇野は大きく頷いた。

 

「何と言っても、京には見目麗しく、教養もあり、殿方の御心を惹きつける魅力に溢れた女人が星の数ほどいる場所でございますよ。そんなところに男盛りの背の君を長らくお一人で放っておけば、どのようなことになるか、火をみるより明らかではございませぬかっ!」


 私は思わず笑い出した。

「いやあねえ。殿はそんなお方ではありませんよ」


 実際、真面目すぎるほど真面目な御方なのだから。

 義父上もそれでご心配されていたほどなんだし。


 私がそれを言うと、槇野は鼻息も荒くそれを一蹴した。

「そういう実直で、真面目なお人柄の殿方でも狂わせてしまうのが京の都の魔力というものでございますよ」

 自分だって都に住んだこともないくせに、見たきたような事を言う。


「いくら殿が真面目なお方だとはいっても、それとこれとは別にございます。

良いですか?姫さま。殿方というものはですね。どんな方でも、その機会にさえ恵まれればたやすく、他の女人にお心を動かされてしまうものなのですよ!」


「…そう?…でも、ほら。殿はその、妻の欲目から見てもお世辞にも京のなよやかな女性に好かれそうな物柔らかな、優しげなご容貌ではいらっしゃらないし……。気の利いた雅やかなことも仰れないし……。いえ、私としてはもちろん、殿のそういう武士(もののふ)らしいところをお慕いしているのだけれど……」


 後半は七平太の方を気にしながら言うと、


「甘いですっ!!」

 槇野がばしんと床を叩いた。

 七平太がびくっと肩を揺らせる。


「殿方が浮気をされるされないというのは、ご容貌には関係がありませぬ。現にうちのあの宿六亭主どのだって、山芋を踏み潰したようなご面相のくせして、それについてはなかなか油断がならぬもので……」


「清五郎が?本当?」


 清五郎というのは槙野の夫で、もちろん、我が長田家に仕えている家臣の一人なのだけれど。

 私にとっても、幼い頃からまるで伯父君か何かのように慣れ親しんだ存在だった。


 山芋を踏み潰したような……というのはあまりに酷いけれど。

 確かにお世辞にも美男とはいえない、武士というより、田舎の人の良い庄屋とでもいった方が似合うような赤ら顔の清五郎の顔を思い浮かべて、私はしみじみ驚いた。


「あの……清五郎がねえ」

「そうでございますよ…ですから…」

 

「もし、それが本当なら清五郎はすごい勇気の持ち主ね。槇野みたいな妻がいて他の女性に手を出すなんて並大抵の覚悟では出来ないわ」


 私がのんびりと言うと、楓は吹きだし、傍らで小さくなっていた七平太も俯いて肩を揺らした。


「姫さまっ!!」

 槇野一人は、笑顔のかけらも見せず、またバシバシと床を叩いた。


「姫さまっ!またそのような戯言を!槇野は姫さまの御為を思うて真剣に申し上げているのですよっ」


「分かってるわよ。ありがたいと思ってるわ。でも、もし正清さまに他に女君がいらっしゃるとして、今の私にはどうしようもないでしょう?どうにも出来ないことで、そんなに気を揉むのは馬鹿らしくなくって?」


「姫さま……」

 槇野ががっくりとうなだれた。


「そんな呑気なことをおっしゃって…!そうこうしているうちに、万が一、他の女君のお腹に男子が生まれでもしたらいかがなさいます?その方がご嫡男のご生母としてご正室の地位につかれ、姫さまは数あるお側女のお一人としてこのままここに打ち捨てられる…というような事にもなりかねないのですよ……」


 最後の方は声を震わせながらそう言うと、槇野は袖に顔を押し当てて声を放って泣き出した。

 感情の移り変わりが激し過ぎて、正直ついていけない。


 楓は、それを見て困ったようにうつむいているし。

 七平太などは、まるで自分の浮気を糾弾されてでもいるような、身のおきどころのない有様で小さくなっている。


 私は小さく吐息をついた。


 確かに槙野の言うことも分かる。

 結婚してもうすぐ二年が経つけれど、私はいまだに懐妊する兆しもなくて。

 それは自分でも内心、密かに気にしていたことだけに槇野の今の言葉は、正直胸に痛かった。


 母さまなどは

「姫はまだ本当に若いのだし、なにしろ正清さまの訪れ自体が数えるほどしかないのだもの。

心配しなくても時期がくれば、健やかな玉のようなお子にたくさん恵まれますよ」

 と、にこにこと請合って下っていたけれど。


 いくら訪れが少ないとはいっても、世の中には婚礼の夜の一度だけや、年に一度の彦星のような夫君との限られた機会で、見事身ごもって母となる例もいくらでもあるのだから、そればかりを言い訳には出来ない。

私がいまだ、武家の妻としての最大のつとめ「跡継ぎ」を儲けることが出来ていないのは、隠れようもない事実だった。



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