第22話:紗奈
夕方。
研究室の屋上。
風が強い。
街の音はある。
でも、遠い。
世界の膜が一枚、剥がれたみたいだった。
みことはフェンスに手をついたまま、
呼吸を整えられずにいる。
紗奈は隣に立つ。
何も言わない。
その沈黙が、逆にみことを崩す。
みこと「……私、怖い」
声が掠れる。
みこと「お父さんがいないのも怖い」
涙が滲む。
みこと「お母さんが待ってるのも怖い」
呼吸が乱れる。
みこと「千里が笑ってるのも怖い」
紗奈が、ゆっくり視線を向ける。
みこと「……私が、選ばなかったから」
風が止まる。
みこと「南極を選べば、止まった」
紗奈の眉が、わずかに動く。
でも、遮らない。
みこと「東は助かったかもしれない」
みこと「お父さんも……」
喉が震える。
みこと「でも西が沈む」
みこと「千里の家がなくなる」
みこと「三浦さんの店も、赤ちゃんの写真も」
涙が零れる。
みこと「だから選ばなかった」
みこと「でも、選ばなかったのも私」
声が壊れる。
みこと「世間は……」
拳を握る。
みこと「止められたなら止めろって言う」
みこと「報告しろって言う」
みこと「義務だって言う」
呼吸が荒い。
みこと「もし私が南極を選んだら」
みこと「今度は“西を殺した”って言うよ」
涙が止まらない。
みこと「何をしても、責められる」
みこと「何もしなくても、責められる」
風が吹き抜ける。
みこと「……私、覚えてる」
紗奈の目が、静かに開く。
みこと「前にも、やった」
声が小さくなる。
みこと「ムーっていう大陸で」
紗奈は動かない。
みこと「世界が沈みかけて」
みこと「私が、選択した」
みこと「ムーを沈めた」
風が強くなる。
みこと「それで世界は助かった」
みこと「でも、私は全部失った」
声が震える。
みこと「だから今も分かる」
みこと「選択って、手続きじゃない」
みこと「意思」
みこと「私の意思が収束先を選ぶ」
紗奈が、やっと息を吐く。
長く。
みこと「信じなくていい」
みこと「頭おかしいって思ってもいい」
みこと「でも私、覚えてる」
涙で顔がぐしゃぐしゃになる。
紗奈は、ゆっくり言う。
紗奈「信じるとかじゃない」
紗奈「今あなたがそれを抱えてるのが事実」
それだけ。
否定しない。
肯定もしない。
ただ、受け止める。
みことの膝が崩れる。
紗奈が支える。
強く抱きしめない。
倒れない程度に、触れる。
みこと「……選ぶの、怖い」
本音。
紗奈「うん」
みこと「また、世界を選ぶかもしれない」
紗奈「うん」
風が鳴る。
紗奈は空を見る。
紗奈「そのときは、一人で選択しない」
みことが顔を上げる。
紗奈「一人で背負わない」
それは救いであり、
同時に、みことの秘密を共有する覚悟だった。
屋上の空は曇っている。
でも、完全な闇ではない。
みことは初めて、
秘密を外に出した。
それが、誓いになるのか。
逃げになるのか。
まだ分からない。
ただ。
一人ではなくなった。
それだけが、確かだった。




