第10話:みことの葛藤
研究室では、依然として原因不明扱いが続いている。
神代「断定はできない。仮説はあるが、どれも決定打に欠ける」
声は落ち着いている。
だがモニターの色は落ち着かない。
東日本沿岸。
赤。
濃くなる。
止まらない。
テレビでは現場の映像が流れ続けている。
〈堤防を越えました!〉
〈水が、引きません!〉
〈救助艇が近づけません!〉
泣き声。
怒鳴り声。
サイレン。
避難所。
「いつ止まるんだ!」
「どこが安全なんだよ!」
「子どもがいるんだ!」
画面の数字が上がるたびに、
現場の声が重なる。
世間は恐怖と疲弊で擦り減っている。
みことは、一人で解析を続ける。
夜が更ける。
コーヒーが、すぐに冷める。
地殻エネルギー偏在図。
東が収束先。
線が、そこへ向かって押し込まれている。
均衡式は、完全に思い出している。
どこかが沈まなければ、
どこかは保てない。
東を救うには、
収束先を変えるしかない。
みことは、シミュレーションを走らせる。
北太平洋――不足。
インド洋――分散。
南極。
数値が跳ねる。
氷床下沈降余地、最大。
再配分成功。
シミュレーション上の東水位上昇。
――停止。
その瞬間、胸の奥がきしむ。
誰かに見られているような圧迫。
呼吸が浅くなる。
肋骨の内側で、心臓が一拍、強く打つ。
数字ではない。
何かが、待っている。
選択の意思、その瞬間を。
グラフが水平へ向かう。
止まる。
画面の中では。
だが。
テレビでは。
〈依然として上昇中です!〉
〈避難区域を拡大します!〉
現実は、止まっていない。
止められるのは、
この画面の中だけ。
南極を沈めれば、
東は助かる。
父のいる沿岸も、
止まる。
だが。
別の表示が立ち上がる。
全球海水位再配分。
氷床崩壊。
水量増加。
全海域、再上昇。
西日本沿岸のグラフが、
ゆっくりと赤へ戻る。
千里の実家。
三浦の店。
あの赤子の写真。
水位、再浮上。
東を救えば、
西が危険に入る。
南極は無人だ。
合理的だ。
犠牲は見えない。
だが海は繋がっている。
収束先の振替は可能。
可能だから、逃げられない。
〈助けてくれ!〉
〈まだ家族が中にいる!〉
画面の叫びが、
耳に残る。
みことは意識を引き寄せる。
均衡式。
収束先:南極。
選択すれば、東は止まる。
選択すれば、西は再び危険へ入る。
選択しなければ、
東は沈み続ける。
意識が何かに触れる。
震える。
これは。
選択だ。
父なら、きっと現場に残る。
助ける側に回れ、と言うだろう。
けれど――私は、数字を見ている。
数字が、
選べと迫る。
東か西か。
みことは、
叫びとグラフに挟まれたまま、
動けなくなる。




