花守の冠作り
エトランゼ地区__。今はもう一辺しか残っていない壁の門から真っ直ぐ伸びた道を行くと、市場で賑わう中央広場がある。そこを通り過ぎると、見えてくるのは通りの終わり。食べ物屋が立ち並ぶその通りが、最も門から離れた通りである。
その通りは、レメント川という大きな川に面していた。川には石の橋が掛かっており、その橋の向こうに三方向に別れた道が続いている。
最も左の道は、旧王城・エトランゼ大図書館に続く。最も右の道は、現在の王城。その二本の道に挟まれた中央の道は、サザリアの花畑と墓地へと続く。
サザリアの花畑は、名前の通りサザリアのみが植えられた、開花すれば一面金色の絨毯となる広大な花畑だ。花守と呼ばれる職業の者や、その親族のみで手入れをする特別な場所である。
その向こう側に墓地があり、エトランゼ民は年に数回その花畑を通って墓地へ行き、亡くなった者たちへ鎮魂の意を捧げる。
つまり、普段はほとんど人が立ち入らないので、風が吹けばサザリアの蕾や葉が互いにさわさわとぶつかり合う音だけが聞こえる、長閑な場所である。
しかし、そんな花畑に今日は人の声が響いていた。
花畑を通る道は横幅が広く、大人が四、五人、腕を横に伸ばしてもまだ人が通れるほどだ。そんな道の真ん中に、綿を入れたクッション性のある布が敷かれていた。その上には老若男女が輪を描くようにして集まり、ワイワイガヤガヤと談笑を交えて作業をしている。
彼らは手にサザリアを持っていた。まだ蕾だが、もう少しで開花するであろうその植物は、人々の手によって円形に組み合わされていく。
花守達の冠作りだ。
スプーン戦争において、サザリアの冠は重要な意味を持つ。彼らはそのためにせっせと冠を用意する必要があった。親族が集まり、この広大な花畑で育ったサザリアたちを皆で冠に仕上げていくのだ。
彼らの座る真ん中には、摘んだサザリアが入った籠が置いてあり、皆そこからひょいひょいとサザリアを積み上げては手際よく編み込んでいく。
「それにしても、チェーリアちゃんもすっかり大人になっちゃったねえ」
何気ない日常の話から、最近の愚痴、食べて美味しかったもの、家族の話となって、再びその話題が戻ってきた。
茎を編み込むのにちょうど良い長さに切っていた女性の一人が、反対側に座っている青髪の少女に微笑む。
チェーリアと呼ばれた少女は、その言葉を受けて微笑みを返す。彼女は子供たちに挟まれて座っており、長い青髪は緩く三つ編みにされた後、サザリアが編み込まれていた。絵本に出てくるお姫様みたい、と子供たちに言われてはしゃがれたので、彼女はその髪型のままにして冠を作っていた。
「ほんとにねえ。前までイロの後ろをちょこちょこついて回っているだけだったのに......お城で働いているんだっけ?」
「はい、そうです」
チェーリアは籠からサザリアを一本摘んで、冠に編み込む。
「城はどう? 楽しいかい?」
「ええ、まあ」
チェーリアは曖昧に頷き、手の中の冠を仕上げた。隣に座っていた子供がそれを見計らっていたのか、すぐに手を差し出す。チェーリアはその手に冠を渡す。子供は隣で冠を高く積み上げる遊びをしていた。
朝から続くこの冠作りにすっかり飽きが来たようで、子供の大半が姿を消した。エトランゼ以外から来る彼らからすると、広大な花畑は珍しいのである。子供たちの笑い声が花畑のあちこちから聞こえてくる。
「女王様とはお話したりするの?」
聞いてくるのは叔父スティーグの妻シルフィアだ。カールのかかった青髪を、今日は一つに纏めている。
「少しだけ」
チェーリアは小さく言って、新しい冠を編むために籠に手を伸ばす。
「女王様はどんな感じ?」
「どんな感じ......ですか」
この国の女王・ルイーザは、エトランゼ地区にある王城に居る。花畑から見えるあの建物がそうなのであるが、女王は国民の前に滅多に姿を表さないので皆気になっているのだ。
「元気ですよ。お話好きで、優しいお方です」
チェーリアはそう答える。それを聞いた大人は「そっか」と少し物足りなそうに言って、冠作りに戻っていく。
それ以上の情報を欲しているようだったが、チェーリアが城で行う仕事は、城内に飾られている花瓶に季節の花を生けることや、庭の簡単な手入れくらいだ。満足させられるような情報は、ほとんど持っていなかった。
「今年はどうなるのかしらねー」
「私たちは参加しないで、ずっと冠作りよ。退屈ねえ」
「こらこら。大事な仕事なんだから、そういうことを言ってはだめだよ」
大人たちは他の話題に入ったようだ。チェーリアは内心ホッとして、冠作りに集中する。
暖かな日差しの中でも、サザリアは一輪も咲いていない。この花は皆いっせいに開くが、それを予想するのは難しい。ある程度の予想はできるが、夜だというのに突然開いたり、昼間だというのに突然萎んだりするのだ。不思議な植物である。その習性によって名付けられた別名が、「魔女の操り花」だ。
チェーリアがせっせと編んでいると、「そう言えば」と辺りを見回す大人が居る。叔母のオーラだ。
「ねえイロ、ベルタはまだ来ないの?」
子供を挟んで、チェーリアの右隣に座るのは、チェーリアの母親であるイロ・ファンファー二。彼女は顔を上げる。
「そろそろ来るはずなんだけれどね......今日の昼前にはエトランゼに着くって手紙では言っていたのよ」
その会話を聞いて、チェーリアも周りを見た。
この道はほとんど人が通らないので、誰かが歩いてきたならばすぐに分かる。
朝から此処に居る花守たちだが、まだ誰も此処を通っていないのだ。
ベルタはチェーリアの母親の妹だ。チェーリアの叔母にあたる。彼女はエトランゼ出身だが、四十年以上前に、遠く離れたユークランカ地区の小さな集落に嫁いで行った。
時折手紙をくれる彼女には、子供が六人居るそうだ。その子たちはチェーリアの従兄弟にあたり、長男のパーバリはエトランゼに働きに来ている。しかし、チェーリアは会ったことがない。
と言うのも、花守の親族が集まるのは五十年に一度、スプーン戦争の直前だけなのだ。このメンバーで次のスプーン戦争の時に集まることはきっと無いだろう。
「ベルタは約束を破るような子では無いけれどねえ」
祖母のマイリスが籠に手を突っ込んでそう言った。わさっとその手いっぱいにサザリアを掴むと、自分の膝の上に置いた。今年で八十五歳になる彼女は足が悪いので、一人だけ椅子に座っている。
「そうよね。でもきっとそのうち来るわ。ユークランカから此処までは遠いもの、時間がかかるのよ」
イロがそう言って、籠に手を伸ばす。そして、「あら」を眉を上げた。
「サザリアがもう無い」
「本当? この人数だとやっぱり早いわねえ」
シルフィアも目を丸くし、籠を覗き込む。
「私、貰ってきましょうか」
チェーリアは作りかけの冠を膝元に置いて籠を掴む。
「あらいいの? じゃあ、お願いしようかしら」
シルフィアが微笑んだので、チェーリアは頷いて立ち上がる。そして、花畑の奥へと小走りで向かう。親族の質問攻めから解放されて、彼女の足取りは軽かった。
チェーリアが籠を片手に向かった先は、祖父ピーテルのところだった。
彼は花畑の奥で作業をしていた。彼のこだわりなのか、彼は花畑の奥側からサザリアを摘み始める。よって親族が集まる場所からは遠く離れてしまうのだ。
「おじいちゃん、サザリア無くなっちゃった」
ピーテルはサザリアを摘んでいるところだった。地面にしゃがみこみ、ハサミを使って真剣な様子で花を摘んでいる。素早く、しかし花を傷つけないような優しい手付きに、チェーリアの視線は吸い込まれるようにして祖父の手元に向けられた。
「ああ、そこに沢山入っているのがあるから、持っていきなさい」
祖父はそう言って指を指す。その先には溢れんばかりにサザリアが盛られた籠がある。
チェーリアは空の籠を祖父の隣に置いて、サザリアで満たされた籠を手に取った。
祖父はその間にも空の籠にサザリアを入れていく。既に底が見えなくなっていた。大きな籠なのにすごい、とチェーリアは再び魅入ってしまう。
祖父はエトランゼ大図書館の庭師だ。退職前は現在の王城の庭師をしていたが、退職後は無償で図書館の庭を整えている。
チェーリアはあまり図書館には行かないが、祖父はきっとこんな風に植物の手入れをしているのだろう、と思った。
チェーリアが黙って見つめていることに気づいたのか、ピーテルは怪訝そうに顔を上げた。
「どうした?」
「え、あっ......ううん、何でもない。おじいちゃんは冠、一緒に作らないの?」
ピーテルは、今日の花守の冠作りに唯一参加する気が無かった。花を摘むだけの係なのだ。
チェーリアはそれが不思議だった。あまりあの賑やかさが好きではないのだろう。久々の親戚の集まりにもなると、皆話したいことが山盛りなのだ。チェーリアもあの場に居るのが億劫になってきた。
ピーテルはチェーリアの問いに対して黙った。上げていた顔を下げると、再び花摘みに戻る。
何かいけないことを言ってしまったのだろうか。
チェーリアはドキリとした。すると、ピーテルが口を開く。
「城は楽しいか」
それは、先程親族らに聞かれた質問だった。チェーリアは内心うんざりしながらも、
「うん、楽しいよ」
「女王は何か言っていたか?」
やはり、女王の言動は誰もが気になるようだ。ミステリアスな彼女に国民は興味津々なのである。祖父は興味が無いのだろう、と勝手に思っていたので、チェーリアは少し面食らった。
「えっと」
彼女の頭に数週間前の女王との会話が思い出される。
突然五人の従者が彼女の元へ呼び出された。
元々お喋り好きな女王だが、チェーリアは彼女に呼ばれた経験が一度もなかった。そのため何か自分は良からぬことをしてしまったのではないかとビクビクしながら彼女の前に立った。
女王が四人の従者に一つずつ仕事を与えた後、チェーリアの番が巡ってきた。彼女から与えられた命令は__、
「花守たちには、心を込めて仕事をして欲しい、って。今回のスプーン戦争は、大きく歴史が動くんだって。成功させるには、国民全員の協力が無きゃダメって、言ってた」
チェーリアが答えると、ピーテルは再び黙り込んだ。手を止め、何かを考えている様子だ。それはあまりに長い時間だった。遠くで親族の笑い声が聞こえてきて、それが静まることが何度も繰り返される。しかし、祖父は一向に口を開かなかった。チェーリアは気まずさが勝ち、手に持った籠を軽く上げる。
「私、戻るね。お母さんたちが困ってるだろうから」
そう言って、爪先を来た道に向ける。すると、
「恨みの籠った祭典に、動くものなんてあるものか」
低い声が地面を這うようにして聞こえてきた。チェーリアは驚いて一瞬足を止めかけるが、聞こえないふりをして小走りでその場を去った。




