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スプーン戦争の夜明け  作者: 葱鮪命
第一章 知らない祭典
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建物保護

「これで最後......」


 リゼは父の部屋にあった大量のゴミを袋に入れ、その口を縛り終えた。

 父の部屋からリビングへと運び出したゴミ袋の数、およそ二十。何をどうしたらこんなにゴミが溜まるのだろう。


 念願の小説を借りることができた日から約二週間が経過した。フローレンスでは営業を休止し、スプーン戦争に向けて建物の中の大掃除が行われていた。


 フローレンスは建物の一階部分が食堂、二階がリゼとティモーの居住スペースになっている。

 スプーン戦争では、二階に上がるための階段は行き止まりにすることにしていたが、この際なので片付ける範囲に二階部分も含めることにした。


 フローレンスは定休日はあれども毎日忙しいので、これだけの大掃除をする機会もなかなか無いのである。この機会を逃さんとしたリゼは、ティモーに二階部分も掃除しようと提案したのだ。


 話し合いの時点では、二階部分をリゼ、一階部分の店内はティモーが担当することになっていた。

 二週間という短くも長い期間で、二人はせっせと掃除を進めて__いなかった。


「お父さん、二階の掃除終わったよー」


 いや、主にリゼは二週間の中でコツコツと掃除を進めたのだ。自分の部屋、リビング、風呂、そして父の部屋。父の部屋にはかなりの苦戦を強いられたが、五日かけてやっと綺麗にすることが出来た。


 問題は父のティモーであった。


「おう! なあ、リゼ! この調味料すっげー美味いぜ!? これを肉に振りかけるとだな、香りが立って__」


 ティモーはフローレンスが休業してから、すっかり新メニューの開発に夢中であった。


 週に一度だけ定休日があるフローレンス。ティモーはその日をメニューの開発日に当てていたが、これだけの長期休業となれば彼はもはやそれくらいしかすることが無いのだ。


 いや、それをしなければならないと思ってしまっている。

 掃除など頭の片隅にもないのだ。


 そもそも彼は、掃除が大の苦手であった。


 父の様子を見に階段を降りたリゼは、二週間で掃除が一歩も進んでいない父を見て頭を抱えた。


 もう既に、フローレンスがある通りまで建物保護をするための業者が来ているのである。

 ひとつ通りを奥に行った仕立て屋のプリシラの店も、最近業者が入ったと聞いた。薬屋のカスペルは、もうとっくに店を布で覆ったのだとか。


 そろそろフローレンスにも業者がやって来る。それまでに掃除を終わらせておくよう、一ヶ月前に届いた手紙には書いてあった。


 しかし、この様だ。二階部分の掃除は完璧に終わっていても、肝心の一階部分がこれでは話にならない。


 リゼは大きなため息をついて、階段を最後まで降りきった。


「お父さん、もう掃除始めて二週間経つんだけど? 全然片付いていないよ」


 リゼは腰に手を当てて父を睨む。彼が今手に持っているのは箒でも雑巾でもない。フライパンである。


 ティモーは全く反省する気も見せず、フライパンの火を弱めながら首を傾げる。


「火には弱いのか? 匂いが弱まってる気が__」


「お父さんっ!!!」


 その日一番の怒鳴り声が、フローレンスのある食べ物通りに響き渡った。


 *****


「俺は厨房の掃除をするから、リゼはそれ以外のところをよろしくな!」


 リゼが喝を入れたのが効いたのか、ティモーは重い腰を上げた。作っていた料理は昼食として腹に収まり、ようやく食堂部分の大掃除が始まった。


 ティモーは厨房の掃除、リゼはカウンターなどの客席を含めた、厨房以外の掃除である。


 やはりこの二週間全く掃除をしていなかったらしい。埃が溜まり、リゼが毎晩しっかり磨き上げていたテーブル席やカウンター席が悲惨なことになっていた。


 ため息をついていても仕方がない。ティモーがやる気を出しただけ、手を叩いて喜ぶべきことだ。


 雑巾を取り出して埃を払い落とし、続いてフロア全体を箒で掃いていく。窓の拭き掃除もするため、雑巾を一度洗いに厨房に行くと、ティモーは今度こそ真剣に食器を箱に詰めていた。割れないように緩衝材として買ってきた布に食器を包んでいる。


「お父さん、食器は細かいから後で一緒にやろう。今は水回りとか、竈の掃除が優先。そこを掃除するのが一番大変なんだから」


「リゼ、この皿まだあったんだなー! 何処にしまったんだったか......!!」


「......」


 もうダメだ。食器は任せて、水回りと竈周りは自分で掃除した方が早い。


「な、なんだその目......。分かりました、真面目にやります......」


 いつの間にか彼を睨んでいたようで、ティモーは肩を縮めて竈の掃除をし始めた。


 リゼは「よろしくね」と、雑巾を手にして急いで窓に向かう。


 先程から隣の家が騒がしい。もうそこまで業者が来ているらしい。掃除が終わっていなければ彼らに迷惑がかかってしまうのだ。それは避けたい。


 窓を素早く且つ丁寧に拭きあげ、リゼは他に拭く場所はあるだろうか、と壁をぐるりと見回す。

 すると、カウンターの横、店に入って左手にある壁に絵がかけてあるのが見えた。


 リゼはその絵に近づく。バスケットの中に林檎が入った絵だ。林檎に混ざって、サザリアの花も描かれている。


 この絵はいつからあっただろうか。

 あまり壁にものを飾らないフローレンスでは、この絵が異様に浮いて見える。


 リゼは厨房で竈の掃除をしている父を呼んだ。


「お父さん、この絵ってどうしたの? いつから飾っていたっけ」

「んあー?」


 掃除をしていた彼が顔を上げた。


 すると、


「おわーっ!!」


 今まで見たこともない、矢のような早さで、彼はリゼと壁の間に滑り込んできた。両腕をばっと広げて、


「こ、この絵はいいから、俺が後で片付けておくからっ!!!」


「えっ、でも、お父さん厨房の掃除しないといけないでしょ。それに、長い間壁にかけているんだったら汚れも気になるし、一回外さないと__」


 リゼが絵に手を伸ばすと、父が素早くそれをガードする。


「......」


 ならば、と空いている方に手を伸ばすが、再び鉄壁のガードで封じられてしまった。


「......その裏に何かあるの?」

「な、な、ないっ!!」

「じゃあ良いでしょ」

「ダメなんだ!!」


 怪しいにも程がある。


 此処まで焦っているティモーを、リゼは見たことがなかった。

 一体裏に何を隠しているというのだろう。


 彼との激しい攻防を繰り返していると、


「ごめんください」

「あ......」


 埃を逃がすために開けていたフローレンスの入口に、一人の青年の姿があった。


「スプーン戦争実行委員会・エトランゼ班より建物保護の手伝いに参りました、ルーク・マクレガンと申します。此方からお送りした箱は玄関先のものでよろしかったでしょうか?」


 聞き取りやすくハキハキと喋るその青年は、攻防を繰り返す二人を微笑ましげに眺めていた。リゼは恥ずかしくなって彼に向き直る。ティモーも広げていた腕を下ろした。


「す、すみません、実は......」


「まだ掃除終わっていないんすよー」


 青年__ルークは目を丸くして驚いていたが、「それなら」と笑む。


「お手伝いさせて頂いてもよろしいでしょうか」


 *****


 ルークは灰色の髪が特徴で、朝の風のように爽やかな雰囲気をまとっていた。


 エトランゼ班ということならば、あの夜に店に来ているということだ。それを思うと、リゼはそう言えばと、ある光景が浮かび上がる。


 黒ローブの団体客が帰る時、外で盛大な尻もちをちいた赤い髪の男と、肩を組んでいた青年が居た。

 リゼがプリシラに林檎を届けてきた直後は酔っ払っていなかったが、店を出る時はあの赤い髪の次にべろんべろんだったのだ。


 彼にそれを伝えると、顔を赤くして頬を掻いていた。「お恥ずかしい」と言って、酒が弱いことを明かした。

 どうやら、あの席で飲まずには居られなかったようだ。たしかに、リゼは強引に進められている光景を何度か目撃した。


「でも、本当にお酒に合うお料理でした。とっても美味しかったです。下見の前に女王様へ挨拶をするために、エトランゼには一度来ているのですが......その時にこのお店で食べたいという話は出ていたんです。噂にも聞いていましたしね」


 彼はよく喋るが、よく動いた。厨房の掃除もてきぱきと終わらせ、あっという間に保護作業に入り始めたのだ。


 フローレンスでは窓、そしてカウンターやテーブルの角の保護が必要という話になった。

 また、二階は出入りできないように、カーテンで仕切るのだ。数日前に届いた箱には、その作業に必要なものが全て揃っていた。


 ルークはそれを取り出し、リゼも手伝った。

 ティモーは外の掃除だ。看板やジョウロを中に入れるくらいならば彼もできるだろう、とリゼが言ったのだ。


 リゼは梯子を持ってきて、窓の補強に入る。すると、すぐにルークがやって来た。


「高い場所は危ないですし、私が」

「あ、ありがとうございます」


 ルークに場所を替わられ、リゼは他の仕事にかかる。重いものを厨房のパントリーに入れようとすると、そこにもルークは飛んできた。


「それは重いですから、私が運びますよ」

「でも......」

「窓は終わりました」

「えっ!!」


 本当に仕事が早い。リゼは目をぱちぱちとさせて彼を見る。彼はリゼの腕から荷物を受け取ると、パントリーにそれを運んだ。


 リゼはその様子を見ながら、ふとあの赤い瞳を思い出した。そう言えば、彼も今何処かで保護作業をしているのだろうか。


「あの、メレディスさんは......」


「班長ですか? 彼ならエトランゼ大図書館の補強作業に行きましたよ」


「もしかして、エトランゼ班だけでこの地区の保護作業をしているんですか?」


 エトランゼ地区は広い。広大な森を持つユークランカには適わないが、それでも街全体はかなりの広さだ。


 あの夜、フローレンスに来店した者だけでエトランゼ全体の保護作業をするのは、途方もない時間がかかりそうだが......。


 ルークはパントリーから出てきて、次なる作業に入り始めた。カウンターやテーブルの角の保護だ。


「エトランゼ地区は布を被せるよう申請した方があまり居なくてですね、最低限の補強で済むので早く終わるんです。おそらく、今日中には全ての補強が完了すると思いますよ」


 彼は「それに」と苦笑した。


「班長には、なるべく早く準備を済ませて、武器の練習に時間を割くように厳しく言われているんです」

「武器......」


 スプーン戦争は祭典だが、戦争という単語が名前についているように、地区毎に優勝を競い合うものだ。


 リゼもティモーも、まだそれに使う武器を持っていない。そもそも買うものなのか、自分で作るものなのかすら分からない。平和なエトランゼに武器屋など物騒な店は無いのだ。


「詳しいことは明日の説明会で班長の方からお話がありますから。ご安心ください」


 ルークはそう言って、リゼに微笑んだ。


 *****


 やがて、


「こんな感じでしょうか」


 フローレンスの保護作業が終了した。


 想像していたよりも綺麗な出来栄えだ。最低限の保護ということで、リゼが望む日常の風景からはほとんどかけ離れていなかった。


「助かったぜ、兄ちゃん!! 仕事も早いし、うちで働かないかっ?」

「ちょっとお父さん。ルークさん困るでしょ」


 ルークはティモーに微笑んだ。


「お言葉は嬉しいのですが......今は本業がありまして。其方が一段落したら考えますね」

「本業は何をしていらっしゃるんですか?」


 リゼが問うと、彼は「運び屋です」と短く答えた。大きい郵便物を運ぶ仕事である。どうりで、とリゼは彼の早い仕事ぶりが腑に落ちた。


「説明会では、祭典までに用意するものの準備物の確認を行う予定ですので、明日までお待ちください。困り事は、終戦までエトランゼ相談所に専門窓口を配置していますので、そちらまでお願い致します」


 ルークが最初のようにハキハキと言った。


「何から何までありがとうございます」


 リゼが丁寧に礼を言うとと、ルークは「いえ」と首を横に振る。


「スプーン戦争、楽しみです。お二人のご参加、心待ちにしております」


 彼がそう言った時だった。


「おい、早くしろ」


 外から低い声が聞こえてきて、ルークがパッと振り返る。開け放たれた入口の奥から、青髪の男が店の中を覗いている。


 彼もエトランゼ班だろうか。


 リゼは何処かで見たことがあるような気がして、首を傾げる。


 そう言えば、今日見かけるエトランゼ班は、皆黒いローブを着ていない。保護作業は体を動かすので、動きやすい服装になっているのだろう。


 あの夜に店にやってきた団体客の素顔がやっと見られるので、リゼは何だか不思議な気持ちだった。


「トラビスさん、今行きます」


 ルークがそう言って、リゼとティモーに軽く会釈した。そして足元にある箱を持ち上げてフローレンスから出て行った。次の建物に向かうらしい。


 彼らが見えなくなり、リゼとティモーは部屋の中を見回した。結局、ティモーが守り抜いたあの絵は、上から布がかけられて保護がされていた。


「本当によく働く兄ちゃんだったな。あの子が居たら、リゼも堂々と休めるなあ」


「もっと優しい言い方してよ、お父さん。まるで私が働かないみたいな言い方して」


 リゼはつん、と横を向いて外に目を向ける。フローレンスからは城と大図書館がどちらも見える。小さな森の向こうに佇む大図書館を、リゼはじっと見た。


 明日は彼処で説明会だ。


 いよいよ祭典の開始が近づいてきた。

 五十年に一度の大祭典。どんな素晴らしいものになるのだろう。


「さて、片付けも終わったし、何処か散歩でも行くか」

「えっ!?」


 リゼはティモーを振り返る。父と散歩など、もう長いことしていない。この二週間だって、掃除だけで一日が終わるので、外になどほとんど出かけていないのだ。


「せっかくの休みが出来たんだ。そうだな......中央広場にでも行こうぜ」

「うん!」


 リゼとティモーは戸締りをして店を出た。どこか活気づいた街の中を、二人の親子は並んで歩いていく。


 活気づいた街も、少女もまだ知らない。

 二百年間止まり続けていた歴史の歯車が、ゆっくりと動き出したことに。

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