相沢みどりと異常な愛情
・・・異常だ。
異常な事態に巻き込まれて、私は・・・とても素敵な一日になるはずだったバレンタインデーを一人で渡せなかったチョコレートを抱えながら震えている・・・以上だ。
なにも言葉遊びがしたいわけではなく、私は自分が一体どうしてこんな目にあったのかが分からないのだ。分からないし、分かりたくもない・・・。私は、自分が目にしたこと、体験したことの意味を正確に理解できず、ただただ、帰り道の公園のブランコに座り込んでいた。
手がひりひりと痛い・・・気休めに貼られた絆創膏が赤く染まっていて、それを見るたびに美しく微笑む弘樹君のお姉さんの顔が浮かんできた。
お姉さんは綺麗な人だったのは分かっていたけれど、その瞬間の表情は恐怖を覚えるほどに美しかった。
・・・悪魔だ。あの人は悪魔だ。優しく、美しく、儚げに人の心に入り込み、甘い言葉で誘惑をする。
けれどもその反面で心の奥底に深い・・・なにかとても深いものを隠していて、そこに踏み込んだ人間を食べてしまう・・・いうなれば私は不味くて食べられなかったからこうして残っているのだろう。
「不味くて・・・食べられないなら、なんで私なんかいるんだろう。」
渡せなかったチョコレートとともに、一度は弘樹君という存在を通して自己を肯定できそうだったのにそれがすべて崩れていった。私はこのチョコレートと同じで、誰にも食べてもらえずに役目を終えるのだとしたら・・・ひどく惨めだ。
一度舞い上がってしまった気持ちの分、惨めさが増して、泣き出してしまいそうになる。
でも、ここで泣いたところで誰も助けてはくれない。余計に惨めになるだけなのが見えていた。
世の中は不公平だ。
こんなに神様を恨んだことはない。
あの人は・・・あの悪魔は、私の大切な弘樹君を私の目の前で、私にその’所有権’を見せつけるように椅子に縛りつけて笑いながらチョコレートを食べさせていた。弘樹君は最初こそ戸惑っていたけれど、そのまま悪魔のチョコレートをほおばっていた。悪魔が何かを囁いていたけれど、私には聞こえなかったし、弘樹君もただ従っていただけだった。
自分には越えられない二人のつながりの強さを前に何もできず、私は耐えきれずに走った。
直前に悪魔は言ったのだ
ー弘樹が本当に求める大切なものがなんなのか・・・私がしっかり教えてあげるから・・・みどりちゃんはそこで見ていてね。ー
それまで私を拘束していたリボンをほどいて、まるで私が声をあげられないことを分かっていたように。
私が見ているだけしかできないことを分かっていたように。
嘲笑った。
最初に逃げようとしたときになぜか開かなかったはずの玄関が開いて、転がるように外に飛び出し、そしてこの公園にたどり着いた。きっと逃げることさえもわかっていて、止める気などなかったのだろう。
「お姉さん…美人だったな…すごく綺麗だった。」
私の中で、なにかどろっとした感情が産まれるのを感じた。
弘樹君のお姉さんが、赤く染まった私の指を美味しそうに舐めた瞬間、私の身体は熱く火照った。
恋も愛も知らない…私は何も知らない…でも、心臓が締め付けられるような…。
どきどき・
どきどき…
妖艶に微笑むお姉さんの表情が目に浮かぶ。
白い肌、赤い唇、綺麗な髪、私をからとるような指使い…すごく怖かった。
このまま飲み込まれると思った。
膝を抱きしめるようにして体を丸める。
「…飲み込まれたい…すべてを、あの方に受け入れてほしい。」
私も弘樹君のように、いやそれ以上にあの方に愛されたい。求められたい。縛り付けられたい。
自分でもおかしいと思う。
少し前までは、弘樹君とのバレンタインデーを望んでいた私が、今では弘樹君のお姉さんに飲み込まれることを願っている。
あまりに非現実的なことが続いたから私はおかしくなってしまったのだろうか?
でも、根底から私はおかしかったのだと思う。
そんな私が普通の女の子としてのなにかを望んで、気が付いたのは…自分の中にあった別の愛情だった。
「…明日、学校に行ったら弘樹君のお姉さんに会えるんだ。」
そう思うと、今から学校に向かいたくなる。
痛みを感じていた指さえも、彼女が与えてくれたものだと思うと、ひとつひとつの痛みが幸せの波のように押し寄せてくる。
あぁ、私は今、恋をしているんだ。
私は悪魔に魅了されたのかもしれない。
でも、それが幸せでしかたがない、私の心をこんなにも満たすもの…はじめての感情の嵐に私はめまいがするような感覚に襲われる。
神様、いらっしゃるのでしたら私にあの方の愛情をください。
いいえ、もらえるのでしたら憎しみでも何でもいい…あの方の視界に入れるのならなんでもいい。
見上げた空には星が輝いていた。
明日はきっといい日になる。
…まずは誰よりも先にお姉さんのもとに駆けつけて、ほかのやつらを排除しなくちゃ。
「…早く会いたいな。」
弘樹君とももっと仲良くならなくちゃ。
私は、私の世界が変化していくのを心の底から祝福したいた。
さようなら、今までの私…よろしくね、新しい…私。




