第一話 聖女の庭
グロテスク描写があります。
読むことはオススメしません。
珍しくAI非使用の自筆です。
聖女が必要だった。
聖女が必要とされていた。
それ故、16歳となったアナスタシアは聖女の御身に捧げる贄とされた。
アナスタシアは孤児であった。
市民街の端にある慈愛の神レヘムを崇める教会の傍の小屋で、戦争で家族を失った少女達は囲われていた。
神は応えぬものであると知りながら、少女達は日々を清廉に生きた。抱き合って飛ぶ片翼の天使の彫像へと祈りを捧げた。
街を、国を、世界をも蝕む魔瘴気の威力が少しでも鎮まるよう、祈りを捧げ続けていた。
しかし、国にまとわりつく魔瘴気を真に払えるのは、当代の聖女であるマルグリット・ファティマ王女の御身こそであり、その健在なくしては、隣国からの攻撃を耐えることも出来ない。
魔瘴気を払うことで魔物の活動は弱まる。自国の魔瘴気を払えば敵国へ魔物は逃げ込む。防衛にして加勢。マルグリットの役割は偉大であった。
アナスタシアは小屋の最年長の少女である。生活費の足しとして売るために、丁寧に伸ばしている薄い亜麻色の髪と、碧の大きな瞳が愛らしい。あまり多くない食事の割に発育した体を持ち、街へ買い出しに出る時には、男達が意味ありげにじろじろと見て来るほどであった。
アナスタシアは小屋の妹達にかかりきりで男達の視線になど気づいていなかった。そんなことよりも、教会で教えられた聖女の献身に心を打たれ、国を、小屋を、妹達を守ってくださるマルグリット様のお役に立てることがあれば、と考えていた。
男子禁制である小屋周りであるため、城の大聖堂の使いは初老の女中であった。
その女中より、自身がマルグリットの傍付きに選出された事を聞かされた時、アナスタシアはかつてない高揚を覚えた。
「わたくしが、マルグリット様のお付になることができるのですね」
「はい、御身はこれよりマルグリット王女のものとなり、生涯を捧げる事となります」
「何と嬉しいことでしょう。喜んでこの身を捧げます。慈愛の神レヘムよ、我らを憐れみ給え」
荷物は少なかった。少女同士が身を寄せあって、譲り合って、分け合って生きてきたのだ。私物などあるはずはなかった。
「では、これを…………」
女中は小屋を管理する老婆と、アナスタシアへと、それぞれに貨幣を渡した。老婆に渡された額は大きく、アナスタシアはこの小屋が国からの恩寵により庇護されている事を察した。
自身に手渡された額も大きく、アナスタシアはこちらの意味については図りかねた。
「このお金は、どうすれば良いのでしょうか」
アナスタシアの問いに、女中は丁寧に頭を下げながら答える。
「アナスタシア様は、入城後、王宮内にある聖女の庭より出ることができなくなります。それまでの間の慰みや、あるいは、何か私物を調達されるためにお使いください」
「まぁ、マルグリット様にお仕えできるだけでも幸福な事なのに、そのようなお心遣いまで……」
女中は何も答えず、ただ目を伏せた。
女中と老婆は、幾つかの書類を交換し、手続きを終えた。
「それでは、一週間後に馬車で迎えに来ます。どうかそれまで、健やかに……」
そう言って去って行った女中を見送った後、アナスタシアは小屋の妹達のうち、自身についで年長である2人を呼んだ。
「アニー、ヘレナ、いらっしゃい」
「はい、姉様」
「はい、姉様」
14歳になるこの2人は、本当に小さな時にほぼ同時にこの小屋へと預けられたこともあり、容姿は違えどまるで双子のようであり、何をするのも一緒であった。
アナスタシアは中腰になって2人と目線を合わせた。
「わたくしには、このお金を使い切ることはできません。貴方達2人が、小屋のみんなと仲良く使える玩具や、お勉強のための本を選んで買ってあげてください。お願いしますね」
そう言って微笑み、受け取った貨幣の大半を渡した。
「姉様、ありがとうございます。どうかレヘム様のご加護がありますように……」
「姉様、ヘレナとアニーは、必ずお約束を守ります。みんなの為に、ヘレナは一生懸命考えます」
「まだもう少しだけ、わたくしもここにいます。困ったり、悩んでしまうのであれば、相談してくださいね。わたくしは少し考え事をしたいのと、一つだけ贅沢をしてみたいので、街に行ってきます。許してくださいね」
アニーもヘレナも、許す権利などもたなかった。最愛の姉が、僅かばかりの金で贅沢をするということこそがむしろ本懐であり、だからこそアニーとヘレナは、むしろ自分達が許されたのだと感じた。
その後、街に出たアナスタシアは、兼ねてからの憧れだった屋台の牛串を買い、その場で食べた。はしたない行為であることは分かっていたが、好奇心を抑えられなかった。その味は味蕾に深く染み渡り、肉汁は喉を潤さんばかりであった。幸福の味であった。
屋台の店主である中年男性は、あまりにも旨そうに牛串を頬張るその娘の姿に喉を鳴らした。
「嬢ちゃん、もう一本あげるから、ちょっと話をしないかい」
店主のその発言は下心でしか無かったが、アナスタシアはその意味を解さなかった。
「そんな、お心遣いは大変ありがたく思いますが、わたくしだけがこれ以上の贅沢をする訳にはまいりません。どうか、そのお気持ちを、教会へと……」
手を組み、深々と頭を下げるアナスタシアの姿に、店主は食い下がることが出来ず、曖昧な返事をかえした。
「あ、ああ。よかったらまた食べに来てくれよ」
「はい、大変美味しく、頬の落ちる思いでした。いつか、また」
アナスタシアは二度とこの街に来ることが出来ないことを理解していた。否。この時はじめて、正しく理解したのかもしれなかった。
その晩、二度と会えなくなる妹達や優しかった街の人達を思い、アナスタシアは静かに枕を濡らした。
その後、アナスタシアは街に出ることはなく、お使いはアニーとヘレナに任せ、妹達一人一人との時間を大切に過ごした。そして牛串の日に買った、それぞれを思って選んだ装飾品を、優しく包み込むように手渡して行った。
王宮から迎えの馬車が来る日、妹達は静かに泣いた。今更喚くものなどいなかった。
アナスタシアがいざ馬車に乗り込むその時、妹達を代表して6歳のレベッカが、翡翠色の髪留めをアナスタシアに手渡した。
「ねえさまの目と同じ綺麗な色だったから、きっとねえさまに似合うと思うの。みんなで決めたんだよ」
「ああ、なんてことでしょう。ありがとうレベッカ、みんな。わたくしは今、きっと世界で一番しあわせな女であることでしょう」
アナスタシアは膝をつき、レベッカを抱きしめ涙を流した。それから順に、妹達を抱きしめ、改めて別れを交わした。
「お役人様、大変お待たせ致しました。もう、大丈夫です」
「それでは、参りましょう……」
貰い泣きでもしたのか、中年女性の御者はややか細い声で応えた。付き添いとしてきた女中は、目を伏せていた。
王宮までは馬車で数刻程で、夕方には着く。
到着までの間、お気に召しましたらと言いながら、女中は絵本をアナスタシアに手渡した。
アナスタシアはそれを好んで読むほど幼くは無かったが、大事に借り受けた。妹達によく読み聞かせをした事を思い出しながら、じっくりと読んで、そう長くもない旅路を過ごした。
絵本の内容はレヘムの天使の話であった。
慈愛の神レヘムは、傲慢である事を許さず、助け合い、慰め合うことを良しとした。それ故、自らの使いを、片翼にした。
レヘムの天使は一人では飛べない。二人で抱き合って飛ぶ。1人で歩くことは出来る。しかし、互いが互いを思いやり、支え合うことで、飛ぶことさえ出来る。
そういう話の絵本であった。
アナスタシアにとっては、もう幾度も聞かされた話であったが、絵本として読むのは初めての事で、思いの外気に入り、読み耽っていた。
馬車が王門をくぐり、王宮ではなく、少し離れた場所へ向かった。そこは高い壁に囲まれていて、隔離されているように見えた。
「あちらが、聖女の庭でございます。これからアナスタシア様が、生涯お住いになる場所でございます」
女中の説明を受け、アナスタシアは聖女はそこまで守られるべき存在なのだろうと、それほどまで貴き存在なのであろうと、決意を新たにした。
馬車を降り、絵本を返そうとした所、女中はやんわりと断り、それをアナスタシアへの贈り物とした。
「随分お気に召して頂けたようですので、お持ちになってください」
「ありがとうございます。とても嬉しいです。マルグリット様に、子供のようだと思われないかだけ、少し気がかりです」
「マルグリット王女はそのようなお方ではございません」
「大変失礼致しました」
アナスタシアは自らの失言を悔いたが、女中はやはり目を伏せたまま、多くを語らなかった。
「わたくしどもがご案内できるのはここまでとなります。どうかこれより先は、ご自身で」
「はい。わかりました。お世話になりました」
双方が深々と頭を下げた。
アナスタシアは自らの二本の足で舗装された地面を歩き、聖女の庭へと入って行った。
アナスタシアの入場とともに背後でドアが閉められ、聖女の庭は、また堅牢に守られた。
アナスタシアが中を進み、夕陽のあたる場所に着くと、揺り椅子に座る者がいた。現王の三女にして当代の聖女、マルグリット・ファティマであった。
夕陽を浴びてなお輝く、緩く波打つ金糸の髪に、赤い色をした瞳が印象的だった。白い布に隠れて良く見えなかったが、か細い小さな少女の姿をしているように見えた。
アナスタシアは、マルグリットの顔立ちと、全身の均衡に僅かな違和感を覚えた。
「マルグリット様、お初にお目にかかります。アナスタシアと申します。どうぞよろしくお願いします」
アナスタシアは遠くから声をかけた。
「そんなに畏まらなくていいわ。これから、私たちはレヘムの天使になるの。だから、もっと気安く接して。私、友達いないから」
随分と気さくに、マルグリットは応じた。しかし、レヘムの天使とは、どういう意味だろうかと、アナスタシアは逡巡した。
「困ってるみたいね。こっちへ来て、私にかけてある布をとって」
「はい。わかりました」
言われるがままに近づき、対面する。化粧はしていないようだったが、髪から除く耳の形がおかしいことに気がついた。妙に尖っている。
次いで、恭しく布を取る。
「つまり、見ての通りなの」
マルグリットは苦笑していたが、アナスタシアは絶句するしか無かった。
左手は健在。しかし、右腕はあるが、手首から先がなかった。
右足はあったが、左足は膝から下がなかった。
「こんな姿、国民に見せられないから、こうやって隔離されてるの。この国の魔瘴気はね、私が吸っているの。そのせいで、だんだん腐り落ちていく。もう慣れたけどね。そしてごめんなさい。貴方も、私と一緒にいるということは、その影響を受ける。私と共に、貴方も腐っていく」
マルグリットは淡々と説明をした。アナスタシアはそれをすぐには理解できなかった。けれど、生涯を捧げると既に覚悟はして、ここに来ていた。
「わかりました。お仕え致します。身の回りの事を、わたくしが全て」
「物分りが良すぎるのも、逆に考えものね。貴方みたいな良い子を私の犠牲にするのは、少し申し訳ないけれど、国のため、我ら王族のため、尽くしてもらうわ」
「はい。御心のままに」
アナスタシアは深々と頭を下げた。一切の不服は無かった。
「もっと気さくに話して。ゆっくりでいいから。2人きりなんだもの、仲良くしたいの。さて、と。それじゃ、早速だけど、お風呂に入りたいわ。入れて貰えるかしら?」
「わかりました。浴室はどちらでしょうか。あと、お運びする時は、どのように……?」
「いずれ手足がなくなったら物みたいに運んで貰って構わないわ。先代の1番上の姉様も、最後はそうなってたから。まだ、その気になれば自分でお風呂に入ることもできるから、怖かったら無理しなくていいわよ」
「いいえ、やらせてください。わたくしは、マルグリット様にお仕えすることを夢みて生きてきました。この上ない喜びです」
「……そう。あの教会は、そういう教育をしているのね」
アナスタシアは、そのマルグリットの言葉を聞かなかったことにした。アナスタシアは、聡明とまではいかないが、愚鈍ではない。自分の信仰は、このために用意されたのだと悟った。しかし、自らの信仰を、アナスタシアが裏切ることは無かった。
アナスタシアは揺り椅子の様子を観察し、車輪がついている事を確認した。固定具を外し、後ろから押す。
「あら、初めてにしては上手いじゃない。でも、急にぐるっと回られると、目が回っちゃうから、方向転換はゆっくりとお願いね」
「失礼いたしました。以後、気をつけます」
「もう、そんなに畏まらないでってば。私は、誇りを持ってこの役を引き受けているけれど、意外と寂しいのよ?」
「努力致します」
「期待しているわ。ねぇアナスタシア、だったわよね。アナって呼んでいい? 私のこともマルーで良いわよ」
「わかりました。マルー様」
「お風呂、一緒に入ってくれる? 自分じゃ洗いにくいし、貴女もびしょ濡れになるのだから、いいでしょう?」
「はい、妹達とよく一緒に入っておりましたので、人と入ることは慣れております」
「あら、頼もしいわね」
マルグリットはその人生から、当然のごとく寂しがり屋で、甘えん坊であった。そしてアナスタシアは、そんな甘えん坊たちの長姉を務めてきた。2人は、どうやらまだ手探りながらも相性が良いようだった。
こうして、いずれ爛れ腐り落ちる、甘ったるい香りのするような、箱庭での日々が始まった。
今はまだ、さながら、檻の中に咲く華のようであった。
次回はドキドキワクワクお風呂シーンからです。やったね!




