閑話:本物の霊感と、妹の不機嫌な審判
「お前には霊感は一切ない。……だが、もう一人のあの子(妹)は、本物だ」
五年前に高名な霊能者に、そうはっきりと告げられた言葉。
俺の妹、進藤琴葉は、幼い頃から人には見えない『何か』が視え、感じられる、本物の霊感体質だった。
そんな現役高校三年生の妹が、秋の大学受験の下見と陣中見舞いと称して、突然、京都の俺のアパートへと襲来したのが、土曜日の午前中のことだった。
「――お兄ちゃん。今すぐこの部屋に塩を撒いて、九字を切った方がいいよ」
アパートの玄関を開けるなり、琴葉はキャリーバッグを置くのも忘れて、スッと細い目を険しく細めた。
少し小柄で、俺によく似た黒髪をツインテールに結った琴葉は、部屋の中心に立ち、不機嫌極まりない顔でクンクンと鼻を鳴らした。
「え? なんだよ急に。……もしかして、この部屋に何かヤバい浮遊霊でも憑いてるのか?」
俺が冷や汗を拭いながら尋ねる。
「浮遊霊? そんな可愛いものじゃないよ。……これは『生霊』。それも、お兄ちゃんを絶対に他の女に渡さないっていう、恐ろしい執念を秘めた女の生霊的な邪気が、複数……部屋の四隅にどんよりと渦巻いてる」
「い、生霊……!?」
「ほら、そこにピンクの可愛らしいヘアピンが落ちてる。ポニーテールで、いかにもお兄ちゃんに懐いてますって感じの、依存度の高い邪気がこびりついてる」
琴葉はテレビ台の隙間を指さした。ひまりがこの前落としていったやつだ。
「さらに、キッチンの方からは、おとなしそうな顔をして『胃袋からお兄ちゃんを囲い込もう』とする、ねっとりとした甘い邪気。そして、部屋全体に漂うこの上品な石鹸の香りの奥からは、知性と法律を盾にしてお兄ちゃんを独占しようとする、絶対防壁の邪気を感じるわ……!」
「お、お前、霊感っていうか、ただの女子の痕跡を鋭く見抜いてるだけじゃないのか……?」
「本物の霊能者を舐めないで! お兄ちゃんが大学生活で、どれだけ無自覚に網を広げて女の子を引っ掛けてるか、空気の乱れで全部お見通しなんだから!」
琴葉はぷくーっと頬を膨らませ、お兄ちゃん大好き(ブラコン)な妹特有の不機嫌オーラを全開にした。
「お兄ちゃんに手を出そうとする泥棒猫どもめ……。私が直々に、お兄ちゃんにふさわしい女かどうか、厳しく霊視(品定め)してやるんだから――」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン!
その時、まるで計ったかのようなタイミングで、アパートのインターホンが激しく連打された。
「あ、駆先輩! 開けてください! 琴葉ちゃんが今日来るってルインで聞いたので、サークルの『公式おもてなし担当』として駆けつけました!」
外から聞こえてきたのは、案の定、ひまりの元気な声だった。
さらに、ガチャ、と鍵が開くと、なぜかその後ろには葵さんと、さらには遥さんまでが、それぞれ両手に大荷物を抱えて佇んでいたのだ。
「進藤さん、こんにちは。琴葉ちゃんのために、美味しい和食のおかずをたくさん作って持ってきたの」
「進藤くん。受験勉強の差し入れに、脳の活性化に良い最高級のチョコレートと、講義のレジュメを持ってきたわ。……妹さん、はじめまして」
「うわぁ……。本当に、邪気の主たちが一堂に会したわね……」
琴葉が引きつった笑みを浮かべ、三人を目で品定めするようにじっと見つめた。
狭いワンルームに、一瞬にして集結した四人の女子。
部屋の温度が急激に上昇し、俺の生存本能が「これ以上の密室は窒息する」と警鐘を鳴らし始めた。
「皆さん、はじめまして。進藤駆の妹の、琴葉です。……お兄ちゃんがいつもお世話になってるみたいですね?」
琴葉は丁寧にお辞儀をしたが、その瞳の奥には、本物の霊能者としての鋭い「鑑定の光」が宿っていた。
「はじめまして、琴葉ちゃん! 私、サークルの後輩の佐々木ひまりです! 駆先輩には、いっつもお世話してあげてます!」
ひまりが胸を張ってマウンティング(?)を仕掛ける。
「佐々木ひまりさん、ね……」
琴葉はひまりを凝視した。
「(……ほう。生霊の戦闘力が一番高かったのはこの子ね。お兄ちゃんへの好き好きオーラが、もはや物理的な熱気になって部屋を温めてるわ)」
「私は市川葵です。琴葉ちゃん、受験勉強大変だけど、頑張ってね。お姉ちゃんが美味しいご飯、いっぱい食べさせてあげるから」
葵さんがトロンとした瞳で優しく微笑む。
「市川葵さん……」
琴葉は葵さんを見つめた。
「(……一見おとなしい小動物系に見えて、その背後に『新居にお兄ちゃんを監禁して手料理で餌付けする』っていう、一番恐ろしい肉食獣の邪気が見合っているわ。侮れない……!)」
「法学部の水瀬遥よ。琴葉さん、京都の大学を目指しているなら、受験のノウハウや法律の観点からの勉強法なら、いつでも相談に乗るわ」
遥さんが大人びたトレンチコートをスタイリッシュに翻して挨拶する。
「水瀬遥さん……」
琴葉は遥さんを睨みつけた。
「(……完璧な知性と美貌で包み隠してるけど、お父さんの権力と法律を使って『お兄ちゃんを絶対に逃がさない法的な結界』を張ろうとしてる。この人が一番の強敵ね……!)」
琴葉はごくりと息を呑むと、俺の前に立ちはだかった。
「お兄ちゃん。この人たち、全員お兄ちゃんを狙う『超一級の女難の呪い』よ。……よし、決めたわ。誰が一番お兄ちゃんのパートナーにふさわしいか、この私がここで、厳しく『不機嫌な審判』を下してあげる!」
「だから、品定めとか審判とかやめろって!」
だが、俺の制止など届くはずもなかった。
そこから、狭いワンルームを舞台にした、怒涛の「ブラコン妹の品定め合戦」が勃発したのだ。
「まずは『手料理審査』よ! お兄ちゃんの健康を支えられるのは誰か、目の前で実演してもらうわ!」
琴葉の宣言により、なぜか俺の狭い一口コンロのキッチンで、手料理アピール合戦が始まった。
「ふふん、私の家庭的な『愛情肉じゃが』を食べれば、琴葉ちゃんもお兄ちゃんも、胃袋を掴まれること間違いなしです!」
ひまりがエプロン姿で、少し焦げた(けれど美味しそうな)肉じゃがをお皿に盛る。
「私は、進藤さんの好きな、和風のハンバーグをトリュフソースで仕上げてみたの。琴葉ちゃん、召し上がれ?」
葵さんが、お店レベルの美しすぎるハンバーグを差し出す。
「私は……お父さんの秘書に作り方を習ってきた、最高級和牛のローストビーフよ。ソースには、トリュフと赤ワインを煮詰めてあるわ。法律の論理のように、完璧な黄金比の味付けよ」
遥さんが、なぜか調理器具も持参して作った、場違いなほどお洒落な皿を並べた。
「どれどれ……。もぐ、もぐ……。……くっ、悔しいけど全員、料亭レベルで美味しいじゃない……っ!」
琴葉が涙目を浮かべて敗北感を募らせる。
「でしょー!? 駆先輩、どれが一番美味しいですか!?」
「進藤さん、私のハンバーグ、あーん、してあげましょうか?」
「進藤くん。ローストビーフを私のフォークで食べてみて。……ほら、恥ずかしがらないで」
「お、お前ら、一口ずつでいいから! 距離が近い、距離が近いから……っ!」
右からは遥さんの上品な甘い香り、左からは葵さんの潤んだ視線、そして正面からはひまりがオムライス(?)をスプーンで押し付けてくる。心拍数はとっくに限界だ。
それを見た琴葉が、ついに嫉妬の限界を迎えて叫んだ。
「だ、だめ! お兄ちゃんをそんな風に惑わすなんて、やっぱり全員有罪! 最後の審査、お兄ちゃんとの『添い寝密着審査』よ!」
「はあ!? なんだよそれ!」
「お兄ちゃん、私、今日移動で疲れちゃった。……だから、昔みたいに、お兄ちゃんの膝枕じゃないと眠れないの!」
琴葉はそう言うと、俺のベッドに潜り込み、俺の太ももに頭をぽすっと乗せて、勝利のドヤ顔を三人に向けた。
だが、この「お兄ちゃん大好きアピール」が、乙女たちの恋の導火線に、完全に火をつけてしまった。
「――っ! 琴葉ちゃん、いくら妹だからって、駆先輩の膝枕は独占禁止法違反です! 私だって、風邪の時にお部屋で手を握ってもらったんですから、そのベッドの半分は私のものです!」
ひまりが顔を真っ赤にして、ベッドの左側へと滑り込んできた。
「そうですよ、琴葉ちゃん。私だって、進藤さんにお姫様抱っこされて、看病してもらった思い出があるんです。……お兄ちゃんのベッドの右側は、私がいただきますね?」
葵さんもトロンとした目を少し吊り上げて、ベッドの右側に潜り込み、俺の右腕をギュッと抱きしめてきた。
「ふふ、二人とも子供ね。ベッドの上の権利主張なら、私の方が一歩リードしているわ」
遥さんが、すました顔でトレンチコートを脱ぎ捨て、パーカー姿になると、俺の正面からベッドへと這い上がってきた。
「私は、二重壁のあの極限の狭い空間で、進藤くんと全身を何度も密着させて『お清め』をしたのよ。……進藤くん、あの時の私のハンカチの温もり、忘れていないでしょう?」
遥さんは俺の胸元にそっと手を置き、潤んだ瞳で覗き込んできた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 遥さん、壁の中の密着はずるいです!」
「進藤さん、私の温もりじゃ、物足りないんですか……?」
「お兄ちゃん! なんで泥棒猫たちにそんなに密着されて、お耳真っ赤にしてるのよ! 早く除霊して!」
右からは葵さんの柔らかい体温と甘い吐息。
左からはひまりの元気なホールド。
正面からは遥さんの、知的な外見に秘められた絶対的な独占欲のプレッシャー。
そして膝の上には、ジタバタと暴れる妹の琴葉。
「霊感は、綺麗さっぱり無い」
五年前に、高名な霊能者に言い切られたあの言葉。
俺には、怨霊も悪霊もこれっぽっちも見えない。
それなのに、どうして俺の大学生活は、こんなにも、世界で一番「ヤバい」呪い(物理)に包囲されてしまっているのだろうか。
「あの、みんな……とりあえず、一回ベッドから降りて落ち着こう、な……っ!?」
俺の頼りない悲鳴は、狭いアパートのベッドの上で巻き起こる、乙女たちの熱い、そして絶対に譲れないバトルの喧騒の中に、あえなく掻き消されていくのだった。




