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1/9

導入

アキラ、三十六歳。

今日、彼はすべてを失った。

決して、ゆっくりと、指の隙間から砂が零れ落ちるように失ったのではない。力ずくで、暴力で、屈辱で、バットで頭を、肩を、長い間陽の光を知らなかったその醜く膨れ上がった肉体を打ち据えられ、引き剥がされるようにして——失った。


---


彼にとって、あの四畳半の部屋が、世界のすべてだった。


年中閉め切ったカーテン。朝から晩まで輝くディスプレイ。画面の向こうの二次元の少女たちは、彼にしか話しかけず、彼にしか微笑まなかった。棚には、等間隔に並べられたアニメフィギュア。大きな胸に、短いスカート、潤んだ瞳。それが彼の恋人だった。それが彼の愛したものだった。それゆえに外の世界は彼を“変態”と呼び、“無能”と呼び、“ゴミ”と呼んだ。


それでも、両親だけは違った。


父と母は毎日、部屋に飯を運んだ。洗濯をし、机の脇に果物の皿を置いた。何も言わなかった。何も咎めなかった。ただ黙って、いつまでも成長しない子供を、静かに世話し続けた。


そして、死んだ。


葬儀から一ヶ月も経たないうちに、長男と次男が、彼の部屋の前に立っていた。


---


「いつまでここにいる気だ?」


アキラは、ディスプレイから顔を上げた。


充血した目。濃く落ちた隈。脂で固まった髪は、鳥の巣のように絡まり、頭皮に貼りついている。三日間着替えていないTシャツは、襟と脇の下が黄ばみ、酸っぱい汗の臭いを放っていた。長い間、換気されない部屋に籠る人間だけが纏う、皮膚の奥から発酵したような、重くて底の知れない悪臭だった。


彼は答えなかった。ただ、マウスを握る手に力を込めた。それが、彼の最後の命綱であった。


「今日中に、出て行け」


長男の声は、枯れていた。感情がなかった。


アキラは口を開いた。喉はひりつき、長い間使っていなかった他人の身体のようにぎこちなかった。


「ここは……俺の家だ。父さんと母さんが残してくれた……」


「父さん? 母さん?」次男が嘲笑う。「誰の親だよ、それ。お前に資格があると思うか? 一日中部屋にこもって、エロ動画見て、オナニーして。発情期の犬みたいに。お前、この家に何一つ貢献してないだろうが」


アキラは、椅子を蹴って立ち上がった。


重い身体。鈍い動作。それでも、絶望が彼をドアへと駆り立てた。


「部屋を返せ! この糞野郎! 人でなしの屑どもが! 俺の家を奪いやがって!」


彼は絶叫した。声は潰れ、壊れたラッパのように掠れていた。袋小路に追い詰められた獣の咆哮だった。


しかし、その身体には、抗う術などなかった。ただ——打たれることだけができた。


バットが、唸りを上げた。


最初の音は、風切り音。次の音は、肉の潰れる音だった。


――ベシッ。


額を、バットがとらえた。アキラはその場に崩れ落ちた。両手で頭を覆う。生温かい血が、生え際を伝い、目の中にまで流れ込んだ。悲鳴を上げる間もなく、バットは肩を、背中を、かざした腕を、容赦なく叩き潰した。


「誰が犬だって? この臭いデブ豚が?」


長男の足が、腹を踏みつけた。一度、二度、三度。分厚い脂肪が衝撃を吸収したが、内臓は悲鳴を上げ、軋み、潰れかけた。


アキラは、床の上で丸くなった。両腕で頭を守り、厚い背中で、全身で、盾を作った。


それでも、打撃は止まなかった。


「偉そうに喚きやがって!」

「家を寄越せ? 笑わせるな!」


背後で、次男が部屋に踏み込んだ。


「おい、見ろよ、このゴミの山!」


バットが、フィギュアケースを薙ぎ払った。


アキラが大切に、丁寧に、埃ひとつ拭わずに愛でてきたアニメの少女たちが、粉々に砕け散った。首が飛び、腕が折れ、スカートが宙を舞った。次男は笑いながら、さらにバットを振るった。ディスプレイが割れ、机の角が欠け、ゴミ箱が倒れ、フィギュア撮影用に使っていた偽の生理用品——彼がこっそりネットで買い、タンスの隅に隠していたもの——が、辺りに散乱した。


「この面、見ろよ! 泣いてやがる!」


アキラは、泣いてはいなかった。


しかし、涙は止めどなく溢れた。


痛みのせいではない。フィギュアが——彼の世界のすべてが——目の前で破壊されたからだ。


---


怒りが収まった頃、彼は家から引きずり出された。


二本の腕が襟首を掴み、廊下を、階段を、敷居を越えて、彼の身体を引き摺った。背中が段差に擦れ、シャツが裂け、皮膚が剥けた。彼はもがいた。しかし、十数年間部屋に籠っていた人間に、抗う力など残っていなかった。


鉄のドアが、背後で轟音を立てて閉まった。


アキラは、歩道に投げ出された。


冷たいアスファルト。ざらついた路面。小さな砂利が、掌に食い込む。血のにじむ睫毛の奥で、彼は自分の家を——両親の家を——見上げた。


リビングの暖かな灯りが、まだ点いている。


中では、二人の兄が、何事かを笑い合っていた。


彼は、もう叫ばなかった。


喉は、とっくに潰れていた。


ただ一人、路傍に残された。


---


三十六歳。


破れ、擦り切れ、悪臭を放つTシャツ一枚。


青痣の浮かぶ、肥満に蝕まれた醜い肉体。


血と脂で固まった、鳥の巣のような髪。


一銭の金もない。


家もない。家族もない。未来もない。


アキラは、立ち上がった。


全身の関節が軋み、痛んだ。


しかし、それより深い場所で、何かが痛んでいた。


鈍く、永く、脂肪の奥に、皮膚の下に、癒えることのない傷の底に——十数年の間、部屋の中で決して感じることのなかった何かが、疼いていた。


虚無。


彼は歩き出した。


どこへ行くのか、わからない。


ただ、十数年ぶりに広がった世界が、決して自分を歓迎してはいないことだけを、身に染みて知っていた。

アキラは、夜の冷え込むアスファルトの上を、傷だらけの身体を引きずりながら歩いていた。

昼間に負った傷は、まだ血を滲ませている。刃物や鋭利なものでつけられた傷ではない——ただ、押し倒された時にできた擦り傷、路面に膝をついた時のもの、そして短気な料理長の一蹴りでできた、肩の大きな痣。しかし、そんな肉体の痛みなど、胃の内側から彼を蝕む飢えに比べれば、何ほどのものでもなかった。まるで無数の蟻が、じわじわと内臓を食み進むかのような飢えだった。


何軒目の店か、彼にはもうわからなかった。


ガラスのドアを押すたび、暖かく湯気立つ食べ物の匂いが押し寄せた——出汁の香り、焼き肉の香ばしさ、炊きたての飯の湯気。喉はからからに渇き、制御不能な生理反応として、唾液がやたらと分泌された。そして、店主たちの視線が、一斉に彼の身体へと集まる。


大きく太った身体。色褪せ、両膝の擦り切れた服。


「このデブが、何が食うだ」

「痩せろよ、お前」

「うわ、臭っ! 出てけよ、店の運気下げんな」


言葉の鞭が、彼の顔面を打った。アキラは反論しなかった。うつむき、小さく「すみません」と呟き、扉のほうへと下がる。湯気で曇ったガラスの向こうで、人々は笑い、美味そうに飯を食っている。その背中は、やがて曇り硝子の向こうに消えた。


道はより暗く、街灯もまばらだった。数本の黄色い灯りが、歩道にぼんやりと斑模様を落としている。アキラはゆっくりと歩いた。靴は一歩ごとに軋む。飢えは、鋭い痛みから感覚の麻痺へと変わり、そして再び——前よりも激しく——ぶり返した。


先に、露店の屋台があった。数人の若者が、低いアルミの卓を囲んでいる。卓上には煙を上げる焼き鳥、氷の浮かぶペットボトル。彼らは何か大声で笑い合っていた。その一人が、遠くから歩いてくるアキラの影に気づいた。


「おいおい、あのデブだぜ」


笑い声が止んだ。全員の視線が、彼に集中した。


アキラはおずおずと立ちすくんだ。無意識にシャツの裾を握りしめる。しかし腹が、長く濁った、壊れかけの機械のような音を立てて鳴った。彼は近づいた。まっすぐに目を合わせることができない。


「食うか?」一人が、冗談めかして言った。


アキラはうなずいた。ひどく小さく、こっそりと。


一瞬の静寂。そして、全員がどっと笑った。


「うわ、うなずいたぜ!」

「マジかよ? そこまで貧乏なのか?」


嘲弄の笑い声。しかしアキラはただ立ち尽くしていた。うつむき、両手をだらりと垂らして。彼に誇りがないわけではなかった。その誇りは、ずっとずっと前に——まだ学校に通っていた頃から、豚だ、デブだ、役立たずだと罵られるたびに——粉々に砕かれ、今では心臓の片隅で縮こまる、乾ききった小さな塊でしかなかった。


「食いたいのか? じゃあ、ひざまずけ」


アキラはひざまずいた。


膝が地面につく。路面は冷たくざらつき、小さな砂利が、ズボンの薄い布地越しに食い込む。誰も何も言わなかった。彼らは皆、足元にうずくまる大きな身体を見下ろし、その滑稽さに奇妙な興味を抱いた。


「吠えろよ。犬みたいにな」


アキラは唇を噛んだ。乾き、ひび割れた唇。昼間の傷の血の味が、かすかに広がる。彼は顔を上げた。卓上の、まだ湯気の立つ熱々の焼き鳥を見つめた。


「……ワン」


か細く、みっともない声。だが、全員の耳に届いた。


彼らは笑った。涙を流して笑った。一人が冷めた焼き鳥の串を取り、彼の目の前の地面に投げ捨てた。


「食えよ」


アキラは飛びついた。肉片を拾い上げ、ざっと埃をはらい、口に放り込む。冷めていた。少し砂埃がついていた。しかし、舌の上で脂と肉の味が広がった瞬間、彼の身体は——一時的な充足に——震えた。


次は、ゴミ箱の中へ。


団子の揚げ物が、茶殻とレモンの搾りかすにまみれていた。アキラは手を突っ込んでそれを掻き出した。指が酸化した油で汚れるのも構わず、背後から響く笑い声も構わず、急いで口に押し込んだ。


飢えは、人間を人間でなくする。


三度目、一人が串を手に取り、卓の下で何かに突き刺し、遠くへ放り投げた。


「これを食えたら、俺はお前を認めてやるよ」


アキラは見た。新しい犬の糞だった。土砂と混ざり、そのてっぺんに串が突き刺さっている——残酷な冗談のように。


彼は動かなかった。


「どうした? 食わないのか?」


男の声の色が変わった。冗談の色は、もう消えていた。


「食えって言ってんだよ」


アキラは首を振った。ほんのわずか、かすかに、弱々しく。


「犬のくせに、好き嫌いかよ」


最初の一蹴りが、胸に入った。アキラは仰向けに倒れ、背中が路面を打つ。すぐに、蹴りの雨が降り注いだ——腹へ、脇腹へ、顔面へ。靴が肉を踏む音。喉の奥で詰まる呻き声。彼は頭を抱え、身体を丸めた。それでも打撃はやまず、ますます激しくなった。


「物乞いのルールってものを教えてやろう!」

「人に迷惑かけんじゃねえよ!」


唇から、鼻から、血が流れた。冷えきった皮膚の上を、温かく伝う。アキラは泣かなかった。涙は、もう枯れ果てていた。ただ、そこに横たわり、目を閉じて、嵐が過ぎ去るのを待った。


頭上には、星ひとつない夜闇。


通りは無人だった。誰一人として通りかからない。


若者たちは去った。まだ笑い、罵り合いながら。振り返って、歩道に倒れる大きな身体を見る者はいなかった。散乱するゴミと焼き鳥の串の横で。


アキラは、長いことそこに伏していた。


やがて、彼はよろめきながら起き上がった。頭はくらくらし、目の前が度々暗転する。自分がどこへ向かっているのか、彼にはわからなかった。ただ、歩き続けた。一歩、また一歩、目的もない道を。


腹はまだ飢えていた。


しかし、胸の奥の何かが——何年ぶりかで——粉々に砕け散った。

アキラは、重い身体を引きずって、橋の下の暗がりへと辿り着いた。


一歩。また一歩。靴は軋み、靴底はすり減っていた。彼の影は、頼りない街灯の光に長く伸び、歪み、冷たいアスファルトの上に崩れ落ちた。


彼は座り込んだ。粗いコンクリートの橋脚に背を預ける。黒く澱んだ川から立ち上る冷気が、薄手のシャツを、厚い脂肪の層を貫き、震える骨髄の奥まで沁み込んだ。


そして、彼は泣いた。


噎び泣きではなかった。惨めな慟哭でもなかった。ただ、涙が勝手に溢れ出した。長く押し込められ、割れる寸前の器から、静かに、制御不能のまま、液体が零れ落ちるように。彼は顔を覆った。両手は冷たく凍え、短く節くれだった指は、乾いた血と埃にまみれていた。


「なぜ……」


声が潰れた。


「なぜ、俺は……こんなふうになってしまったんだ……」


「なぜ、俺は……こんなに苦しまなければならないんだ……」


誰も答えなかった。川は流れ続けた。時折、橋の上を車が通り過ぎた。誰も止まらなかった。誰も振り返らなかった。


そして、彼は思い出し始めた。


---


幼い頃、アキラはこんな人間ではなかった。


彼は聡い子供だった。算数が得意で、字も綺麗だった。先生はよく彼を黒板の前に立たせ、友達は休み時間になるとノートを借りに群がった。彼はかつて、たくさん笑い、速く走り、昼休みにはパンを半分分けてくれる友達もいた。


ある日、彼はアニメを観た。


二次元の世界が、魔法の扉のように彼の前に開かれた。艶やかな髪、語りかけるような瞳、鈴の音のように澄んだ声の少女たち。彼女たちは決して裏切らなかった。決して嘲笑わなかった。優しく、理想的で、完璧だった。彼はそう呟いた。


「アニメを観ない奴は、馬鹿だ」


彼は蒐集を始めた。フィギュア、ポスター、漫画。部屋の隅々から、アニメの少女たちが彼に微笑んだ。彼は彼女たちに名前を付け、語りかけ、いつかスクリーンの向こうから現れて、自分の妻になるのだと本気で信じていた。


友達は、彼を避け始めた。


「おい、あのアキラって奴。頭おかしいんじゃね?」

「部屋中、女の絵だらけだって。キモすぎ。」

「あいつと遊ぶの嫌なんだよ、なんか臭いし。」


もう誰も、彼をサッカーに誘わなかった。朝ごはんに誘わなかった。かつてノートを借りていた者たちさえ、廊下で彼と目が合うと、顔を背けた。


アキラには理解できなかった。彼はただ、美しいものを愛していただけなのに。どうしてその愛が、彼を異端者に変えてしまったのか。


---


高校に上がると、事態はさらに悪化した。


「あのデブの変態、来たぞ。」


その言葉は、毎日、消すことのできない環境音楽のように鳴り響いた。大柄な男子生徒たちは、廊下で、階段で、校門の前で、彼を待ち伏せた。彼らは笑い、指を差し、彼を女子トイレに追い込み、ドアを閉めた。アキラが必死にドアを叩き、泣き喚いても、彼らは聞かなかった。


「食え。」


汗の染み込んだ、異臭を放つ靴下が、彼の顔に投げつけられた。


アキラはそれを拾い上げた。手が震えた。目を固く閉じた。口に含み、噛み、飲み下した。涙が、雑菌の染み込んだ布地と混ざり合った。


彼らは動画を撮った。狂ったように笑った。


翌日、全校生徒がその動画を見た。


「これを履け。」


真っ赤なハートの柄が入った、卑猥で滑稽なパンツ。彼らはそれを制服の上から履かせ、昼休みの校庭を一周させた。アキラは走った。俯いたまま。耳は、嘲笑と口笛と拍手で、麻痺した。


彼は、自分が消えてしまうことを願った。


ある日、彼らは別の生徒を殴り、病院送りにした。


「やったのはアキラだ。」


彼は抗えなかった。


抗えば、次は自分が病院送りにされることを知っていた。彼は俯き、罪を認め、処分を受け入れ、教師と生徒たちの侮蔑の視線を受け止めた。


その日から、彼は学校に行かなくなった。


---


両親は泣いた。


彼らは懇願した。諭した。精神科医の元へ連れて行ったが、彼はただ虚空を見つめ、一言も発さなかった。


長男は怒鳴った。「いつまでそこに籠もってるつもりだ!」


次男は首を振った。「ゴミだ。こんな弟、いる意味がねえ。」


それでも、両親は諦めなかった。


彼らは毎日、部屋の前に食事を置いた。果物を置き、牛乳を置き、優しい内容の本を置いた。ドアを叩かなかった。ただ黙って、枯れかけた苗木が再び青々と茂る日を待つように、静かに世話を続けた。


十数年。


あの部屋は、彼の殻だった。第二の子宮だった。誰も彼を『デブの変態』と呼ぶことのない、唯一の場所だった。


彼は二次元の世界に生きた。そこには暴力も、嘲笑も、顔に投げつけられる汚れた靴下も存在しなかった。


彼は、自分はもう安全なのだと思い込んでいた。


---


そして、両親は死んだ。


殻は割れた。子宮は乾いた。二次元の世界は、二人の兄の怒りから彼を守ってはくれなかった。


「俺の家から出て行け。」


今、橋の下に座り、涙を頬に伝わせながら、アキラは一つの事実に気づいた。


彼は、生涯、一度も生きてはいなかった。


聡明で社交的だった子供時代——異質であるというだけで、粉々に砕かれた。

初恋にも似た高揚を抱いた青春——嘲笑され、汚され、笑いものにされた。

部屋に籠った年月——それは選択ではなく、最後の避難所だった。

そして今、その避難所すら、奪われた。


---


彼は、黒い川面を見下ろした。


水はゆっくりと、静かに流れている。何かを待つかのように。


彼の頭の中に、一つの考えが芽生え始めた。唐突に、ではない。ゆっくりと、乾いた土を貫く根のように、胸の奥深く抉られた傷口を逆流する血のように、それは這い上がってきた。


「お前らは……俺の全部を奪った……」


歯を食いしばった。歯軋りの音が、岩と岩とが擦れ合うように、軋んだ。


「家を。部屋を。父さんと母さんを。俺が彼らと過ごせた、最後の年月を……」


握り拳が震えた。爪が掌に食い込み、赤黒い痕を残した。


「ならば、俺も奪い返す。」


家ではない。部屋ではない。粉々に砕けたフィギュアでもない。


「お前らには、子供がいる。知っている。長男には息子、次男には娘。」


アキラの目から、涙が乾いた。代わりに、凍てつく湖の底で燃えるような、奇妙な冷たい光が宿った。


「俺は、お前らの子供を道連れにする。」


「お前らに、一番大事なものを奪われる痛みを思い知らせてやる。」


「お前らに、この虚無を思い知らせてやる。」


彼は結果を考えなかった。罪を考えなかった。その子供たちに一片の罪もないことを、考えなかった。


彼の頭の中には、ただ一つの反響だけがあった。鋼の心臓を打ち続ける、槌の音。


復讐。復讐。復讐。


---


しかし、その時、記憶の最深部から、一つのイメージが浮かび上がった。


父だった。


彼がまだ小さかった頃、食卓を囲み、彼が夢中になって観たアニメの話を嬉しそうに語る息子に、父は笑顔で頷いていた。アニメが何か、父には理解できなかった。それでも、父は箸を動かし、彼に肉を取ってやった。


「お前が楽しそうで、それが一番だ。」


母だった。


彼が部屋に閉じこもるようになってから、母は見る間に老けた。母は決して愚痴を言わなかった。責めなかった。ただ黙って、皮を剥いた林檎の皿を、キーボードの脇に置いた。


「食べなさい。剥いてあげたよ。」


アキラは、再び泣き崩れた。


しかし今度は、噎び泣きだった。嗚咽だった。喉の奥で千切れるような、肺腑を搾り出すような、慟哭だった。


「父さん……母さん……」


彼は顔を覆った。大きな身体全体が、市場で迷子になった幼子のように、激しく震えた。


「俺は……どうすればいいんだ……」


「もう、誰もいないんだ……」


「どこへ行けば……何をすれば……」


川は流れ続けた。街灯は頼りなく瞬いた。車は、橋の上を走り去った。


誰も、彼に答えなかった。


そして、この冷たい闇夜の中、深い復讐心と、取り返しのつかない喪失の痛みとの狭間で、アキラは座り込み、泣き続けた。


夜明けが来たとき、自分はどうなっているのか。それすも分からずに。

アキラは、目を開けた。


橋の下の真っ黒な空ではなかった。冷えきったアスファルトの路面でもなかった。あの恐ろしい衝突が胸を引き裂いた痛みでもなかった。


そこは、白く翳った空間だった。


壁もない。天井もない。窓もない。ただ、低い茶卓が一つ、湯気の立つ土瓶が一つ、そして長い白髯を蓄えた老翁が一人、優雅に茶碗を手に、アキラの方へ目を向けて座っていた。


アキラは、跳ね起きた。


身体が、驚くほど軽かった。痛みも、倦怠もない。三十六年的間、関節の一つ一つに重くのしかかっていた過剰な脂肪の重みが、消え失せていた。


「……こんにちは」


老翁の声は、低く、均一で、茶碗に注がれる湯の音のように静かだった。


アキラは眉をひそめた。彼は逃げなかった。慌てふためかなかった。最初に湧き上がった感情は恐怖ではなく、長年の酷使で骨の髄まで染みついた、冷ややかな警戒心だった。


「……ここは、どこですか? 助けられたんですか?」


老翁は、茶碗を置いた。急がず、焦らず。千年を内包したかのような深い瞳を、アキラに向けた。


「いいえ。あなたは死にました」


その声音は、冷たく澄んでいた。


「あなたは、もう生きてはいません」


アキラは、黙り込んだ。


不思議と、衝撃はなかった。叫びも、崩壊もない。ただ、胸の奥底から、空洞が広がっていく感覚があった。まるで、ずっと前から、この瞬間を予期していたかのように。


「そして、ここは――」老翁は一瞬息を呑み、微かに嘆息した。「おそらく、私がどう説明したところで、あなたには理解できない場所です」


彼は茶碗を取り、一口含んだ。


「ですが、その前に、一つお尋ねします」


その眼差しが、アキラを貫いた。


「あなたは、自分の人生を悔やんでいますか?」


アキラは、即座に答えなかった。


彼は、自分の手のひらを見下ろした。かつて短く節くれ立ち、余分な脂肪にまみれていた手ではなかった。それは清潔で、白く、驚くほど軽かった。


しかし、その手は、あの時、二匹の子供を抱き寄せ、車の波の中へ押し出した手だった。


その手は、彼らを突き飛ばした手だった。


「……はい」


声が、千切れた。


「私は、本当に……心から、悔やんでいます」


涙が、溢れ始めた。橋の下で流した、制御を失った涙ではない。それは、初めて己自身と向き合った人間が、魂の最深部から絞り出すような涙だった。


「私は、生涯を……無駄にしました」


彼は顔を覆い、両肩を震わせた。


「……何一つ、得ることなく」


老翁は何も言わなかった。ただ、静かに茶を注ぎ足し、碗をアキラの方へそっと押しやった。


しばらくして、アキラは顔を上げた。目は赤く腫れていたが、声は既に落ち着きを取り戻していた。


「……あなたは、一体何者なんですか?」


老翁は、一瞬、動きを止めた。


そして、口元をほんの少し歪めた。その微笑は、茶の湯気のように、かすかに漂っては消えた。


「さあ……地球ならば、人は私を『神』と呼ぶかもしれません」


彼は白い髯を撫でながら、一呼吸置いた。


「ですが、他の世界では……どう呼ばれているか、私にもわかりません」


アキラは、息を呑んだ。


「……他の、世界?」


老翁の瞳が、急に曇った。彼は茶碗を卓に強く置き、危うく倒しそうになった。


「チッ……しまった!」


彼は額に手を当て、頭を振った。まるで、大切な花瓶を割ってしまった老人のように。


「また、口を滑らせてしまった」


アキラは、呆然と彼を見つめた。


「……『他の世界』とは、どういう意味ですか?」


老翁は、深く、重い溜息をついた。自分の計画を何度も台無しにしてきた神が、すっかり疲れ果てたような、長い溜息だった。


「……もういい。しまったものは仕方ない」


彼は顔を上げ、その瞳は一変して、異様なほどの真剣さを帯びた。


「私がお前に伝えたいこと。それは――」


一瞬の沈黙。


「お前に、人生をやり直させる。別の世界で、だ」


アキラの目が、見開かれた。


「……やり直す?」


「そう。全てを、初めから。お前が三十六年的間に生きてきた人生とは違う。後悔と、傷と、お前をお前でなくなるまで押し潰した、あらゆるものからの――完全なる再起」


老翁の声は、低く響いた。


「今度こそ、精一杯、生きろ」


彼は、アキラの瞳を真っ直ぐに見据えた。


「前の生のような後悔を、決してするな」


アキラは、長い間、黙っていた。


そして、彼は、か細い声で尋ねた。


「……誰かと、一緒にいてもいいですか?」


老翁は、眉をひそめた。


「どういう意味だ?」


「前世では……誰からも、本当の愛を受けたことがありません。私が愛する人も、いませんでした。ただ、父と母だけが……でも、彼らはもう、いません」


老翁は問うた。選べるならば、お前はどちらを選ぶ? 互いに愛し合う、田舎の家族か。それとも、冷え冷えとした、宮廷の家族か。


アキラは、俯いた。


「もし、やり直せるなら……裕福でなくても構いません。権力も、いりません。ただ、私は……」


声が、詰まった。


「……私の帰る場所を、欲しい」


老翁は、長い間、アキラを見つめていた。


やがて、彼は、そっと頷いた。


「……わかった」


彼は茶碗を手に取り、最後の一口を含んだ。


「私が、整えよう」


白い光が、アキラを包み始めた。


「待ってください!」アキラは、慌てて顔を上げた。「あなたのお名前は……!」


老翁は、微笑んだ。


初めて、その微笑みは、冷たくも、遠くもなかった。


「ただの……茶好きの老人と、呼んでくれ」


光が、アキラを呑み込んだ。


そして、白く翳った空間に、ただ一人残された老翁は、茶碗を掲げ、別れの挨拶とした。


「幸運を祈る、アキラ」


「新たな世界で。新たな人生で」


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