呼び戻される鼓動
誰もが、諦めていた。
それは、怠慢でも、冷酷さでもない。
積み重ねてきた経験が導く、当然の判断だった。
呼吸は、ほぼ停止。
心拍は、測定不能。
魔力反応は、拡散を始めている。
――この段階まで来た者は、戻らない。
治癒魔術師として、
それは“常識”だった。
「……もう……」
誰かが、そう呟いた。
言葉にしなくても、皆が同じ結論に辿り着いていた。
延命処置すら、成立しない。
時は、すでに――
彼女を置いて、先へ進んでいる。
だから。
次に起きたことを、
誰も、理解できなかった。
「……魔力反応……?」
若い治癒魔術師が、声を上げる。
「いえ……これは……」
「流入……?」
「逆流……?」
観測器が、悲鳴を上げる。
通常ではあり得ない数値。
個体一人が扱えるはずのない魔力量。
それが。
一方向に、注ぎ込まれている。
「……殿下……?」
誰かが、気づいた。
ルイ・アグナス。
彼は、跪いていた。
いや、姿勢だけ見れば、そう見える。
だが。
それは、祈りではなかった。
魔術陣も、詠唱もない。
術式による制御も、ほぼ存在しない。
あるのは。
剥き出しの意思。
ただ、それだけだった。
魔力が、荒れ狂っている。
制御不能なはずの奔流が、
一点――メイ・シルヴァへと集中している。
「……正気じゃない……」
治癒魔術師が、後ずさる。
恐怖で、ではない。
理解不能なものを前にした、
純粋な生理的反応だった。
これは、治癒ではない。
回復でもない。
――時を、引き止めている。
そう表現するしかなかった。
鼓動が、戻るわけではない。
呼吸が、再開するわけでもない。
それなのに。
“死が、進まない”。
「……こんな……」
「こんなこと……」
誰かが、震える声で呟く。
「……王様で、良かった……」
その言葉に、誰も反論できなかった。
戦場を、蒸発させた存在。
一瞬で、帝国軍を消し去った“アグナス王”。
その力が、今。
一身に。
たった一人へと、捧げられている。
それは、恐ろしい光景だった。
失敗すれば。
制御を誤れば。
この砦ごと、
この場にいる全員が、
消し飛んでもおかしくない。
それほどの魔力が、
抑え込まれ、凝縮され、
一点に注がれている。
治癒魔術師の一人が、唾を飲み込む。
「……狂気だ……」
誰かが、否定しようとして――やめた。
否定できない。
これは、狂気だ。
だが同時に。
愛と執着が、ここまで到達した姿でもあった。
戦争の女神。
砦を救い、民を救い、
国を立ち上がらせた存在。
その女神に向けて。
王は、
世界を滅ぼせる力を、
惜しみなく、注いでいる。
――失うくらいなら、世界ごと巻き込む。
そう言っているようだった。
治癒魔術師は、息を詰めた。
もし。
もし、ここで彼女が戻らなければ。
この王は、
次に何をするか、分からない。
だから。
誰も、口を挟めなかった。
誰も、止められなかった。
ただ、
祈るしかなかった。
――どうか。
この狂気が、
報われてしまいますように、と。
静寂の中。
ほんの、わずか。
本当に、わずかな。
鼓動の兆しが、観測器に現れた。
「……っ!」
誰かが、息を呑む。
「……今……」
「見えた……?」
治癒魔術師は、震える指で確認する。
間違いない。
微弱。
だが、確かに。
時間が、再び、動き始めている。
その瞬間。
誰もが、理解した。
これは、奇跡ではない。
――呼び戻されたのだ。
王の狂気によって。
一身に捧げられた執念によって。
そして。
失敗すれば、
自分たちも蒸発していたであろう、
危うい均衡の上で。
誰かが、かすれた声で言った。
「……生きて……帰ってきてください……」
それは、
女神に向けた祈りだった。
そして同時に。
この国の未来そのものに向けた、
切実な願いだった。
治癒側




