娘の傍へ
戦争は、終わっていた。
だが、それを
ハーバル王国が知るまでには、
まだ少し、時間があった。
シルヴァ伯爵邸の朝は、慌ただしかった。
使用人たちが廊下を走り、
書類と地図が次々に運び込まれる。
父は、すでに執務机の前に立っている。
椅子には座らない。
もう――
この国のために腰を落ち着けるつもりなど、
一切なかった。
「……ハーバル王国なぞ」
低く、しかしはっきりとした声。
「願い下げだ」
机の上には、
メイが追放された際の記録。
形式ばった文言で書かれた、
“正当な処分”。
父は、それを見下ろし、
鼻で笑った。
「無実の罪を着せ」
「追放し」
「その後、行方も追わず」
紙を、指先で弾く。
「――誰が、こんな国に忠誠を誓う?」
母が、隣で腕を組んだ。
表情は穏やかだが、
その目は、完全に怒っている。
「ないわね」
「ありえない」
きっぱりと。
「娘に、あんな仕打ちをしておいて」
「今さら、家の忠義を期待するなんて」
肩をすくめる。
「笑えない冗談だわ」
二人の結論は、
すでに一致していた。
この国を、出る。
貴族としての地位も。
領地も。
過去のしがらみも。
すべて。
「準備は?」
父が問う。
「終わってるわ」
母は即答する。
領民。
付き従ってきた者たち。
信頼できる使用人。
全員に、すでに話は通してある。
驚きはあった。
戸惑いもあった。
だが。
「シルヴァ家が行くなら、ついていく」
そう言った者が、圧倒的に多かった。
それだけの年月を、
共に生きてきた。
「馬車は?」
「増やしたわ」
「物資も、人も、全部乗せる」
母は、少しだけ笑う。
「だって」
「娘のところへ行くのよ?」
当然でしょう、と。
父も、口元を緩めた。
「ああ」
「直接、支援する」
中途半端な後方支援など、意味がない。
生きていると分かったなら。
戦場にいると分かったなら。
行く以外の選択肢など、
最初から存在しない。
「あの子に、会える」
母の声が、少し弾む。
「驚く顔が、目に浮かぶわ」
父も、頷く。
「……痩せているかもしれんな」
「無茶ばかりしているだろう」
心配と、誇らしさが、
同時に滲む。
誰も、知らない。
その娘が、
すでに一度、倒れていることを。
心臓を貫かれ、
生と死の境を彷徨ったことを。
両親は、まだ知らない。
戦争は、長引くものだと、
そう思っている。
まさか、
数日で、決着がついたなど。
まさか、
娘が、王族を最大強化し、
戦局そのものをひっくり返したなど。
誰が、想像できるだろう。
だから。
馬車は動く。
シルヴァ家の紋章を掲げ、
領民とともに。
愛する娘のもとへ。
国を捨ててでも。
すべてを失ってでも。
それでいい。
娘が、生きている。
それだけで、
世界は、十分すぎるほどだ。




