第7話 シューズの特訓 前編
地獄の特訓4日目、シューズは高支配力下での領域の使い方のコツが少しわかってきた……気がした。
地獄の特訓10日目、この日初めて、高支配力からの解放後に気絶しなかったが、11日目にはまた気絶してしまった。
15日目、16日目、初めて二日連続で支配力切れをせずにシューズは過ごせた。
しかしそれは、常に集中して自身を守る領域を無心で調整していたからで、他の何かをする余裕は全くなかった。
17日目、耐える以外の何もしないだけではダメだとシューズは判断し、領域を維持したまま喋ろうとしたが、自己を守る領域を長時間保てる状態にしたまま話すのは繊細さが必要でできそうになく、その日は領域を一定に保ったまま声を出す練習に終始した。
18日目、シューズ自身のダンジョン能力の成長と、昨日の練習で話すことができそうだと判断し、シューズは声を出した。
「トートさん、聞こえてますか?」
『はい、聞こえてますよ! どうしました!?』
「……前から聞きたかったのですが、その、俺はトートさんの重荷になっていませんか? こうやって毎日訓練に付き合ってもらって時間を取らせてますし……金銭面だって、」
『ああ、気にしなくて大丈夫ですよ! 実のところ、シューズさんの訓練中、俺も街とかダンジョンとか調査してますし、お金は現地の人を雇う前提で支給されてます! それに俺の訓練にもなってるんですよ! これ!』
「そうなんですか?」
『はい! 常にダンベル持って歩いてるみたいな感じですね! 物理的な重さでなく、ダンジョン能力にかかる負荷的な意味で!』
「な、なるほど……」
自分はダンベル扱いなのかとシューズは少し引っかかったが、口には出さなかった。
『捜索はあまり進んでません! 元々、行方不明事件も散発的で規則性がなく、一つも痕跡が見つかってませんでしたからね! まあ、何かあるまでは修行を続けましょう!!』
「はい……、その、すいません」
『ん!? なんで謝るんですか!?』
「いや……正直俺って、あまり才能がないですよね?」
『…………』
トートは答えられなかった。
正直に言えば、シューズに才能はない。
もし同じくらいのレベルで、同じだけの訓練をした時で比較したならば、それこそ才能の塊のような人間であれば、この高密度の支配力修行、二日目には気絶せずに領域を保ち続けれるようになる人間もいるだろう。
実際にトートの兄弟である金色の千眼はそういうレベルの才能の塊だ。
そしてそれに引っ張られる形で成長してきた、あまり才能のある方でないトートであっても、多分一週間もかからず安定して気絶しないようになれるだろう。
そういう意味では、シューズに才能はない。
だが————、
『そう思うなら、もう少し負荷を上げて、2時間くらい時間を伸ばしますか!?』
半分冗談で、断られて当然の気持ちでトートがそういえば、
「……はい、お願いします!」
当たり前のように、シューズはそれを受け入れた。
トートは自分がシューズと同じ立場としたら、同じようにはできない。
もしも同じ訓練を続けることができれば、確かにシューズよりもトートは成長できるだろう。
しかし、逃げ道がある状態で、諦めてもいいと言われている状態で、トートはシューズと同じことを続ける自信は全くない。
何がシューズをここまで動かしているのかを思い、トートはまた涙目になった。
『ずびっ……わかりました! では、頑張ってください!!』
地獄はより、暑苦しくなった。
シューズが強力な支配力に身体が慣れて、トートから与えられた『この空間から自力で脱出する』という課題を始められたのは、修行を始めて30日目の事だった。
支配力の負荷上昇も、時間の延長も、その環境を維持するトートにとっての限界点まで上げられている。
その状態でシューズは支配力切れを起こすことなく、余力を十分持って話したり歩き回ったりすることができるようになっていた。
「よし、まずは……」
シューズは最初に検証したかったことを確かめるために、走り出した。
出力は長時間の支配力に耐える必要もあるため控えめだ。
シューズの感覚で、数十分から一時間前後走っただろうと思ったところで、シューズは足を止めた。
シューズも予想はしていたことだが、壁や他の物に辿り着くことはできなかった。
人間は砂漠など目標物がない所を走ると、真っ直ぐは走れなくて、元の場所にいつの間にか戻ってしまっていることもあるという話は聞いたことがある。
しかしそれはかなりの広さがある前提の話だ。たとえ大きな円を描いて走っていた所で、その円がすっぽり入ってしまうだけの広さは最低限でもあることにはなる。
次の検証に移ったシューズは、持っていたタオルなどを千切って目印にしながら歩き始めた。
走るのと違い真っ直ぐ歩くことを意識しながら、何かがないかの確認しつつ歩こうとした。
しかしそれは歩きはじめて数歩で、あまり検証にならないのではないかとシューズは結論づけた。
シューズがいるのは暗闇の中だ。
光源はないのになぜか自分の身体と数歩先程度までなら視認できはするが、その先はもう見えない。
つまり、目印を置いたところで真っ直ぐ進めてるかどうかなんてわかりようがなかったのだ。
ダンジョン能力者の領域には内部に入った物をある程度感知できる特性がある。
しかし、シューズのダンジョン能力は領域を広く広げるのは得意でないし、状況を感知する能力もあまり高くない。
そもそも消耗の多いこの環境下で、多くの支配力を使ってまで検証することとは現状では思えなかった。
すでにいくつか切れ端を落として歩いたが、人様のダンジョン空間内を散らかしているのは良くないかと、シューズは直前に落とした切れ端を回収し、少し戻って落として歩いた切れ端を回収して行こうとした。
しかし、いくら探しても視界外に出た切れ端が見当たらなかった。
暗闇の中で見失ったかと少し歩き回ってみたが、やはり無い。
支配力は使うが検証しておくべきかと、シューズは切れ端を一つ置き、それを包むように領域を展開した。
そしてその切れ端を能力で認識したまま領域を広げて離れていき、視認できなくなる距離まで離れた。
ダンジョン能力の感知では切れ端がまだそこにあるように感じた。
確認するために視認できる距離まで近づくと、確かに切れ端はそこにあるように見えた。
今度は、能力で切れ端を認識したまま見えなくなるまで離れたあと、切れ端を領域で包むのを解いてから切れ端があるはずの場所に近づいた。
すると、あったはずの切れ端はその場所から消えていた。
「なるほど、認識から外れると消えるのか……まあ、それがわかった所で脱出の方法は思いつかないけどもな」
シューズは、認識から外れると消えるという特性が、八紘ダンジョンの消失時間の特性と似ているなと感じた。
八紘ダンジョンのなんの処置もされてない場所に人工物や道具を置いて、存在を認識されていない状態にすると、忽然と消えてしまう。
これらはすぐさまというわけではなく、最後に認識してから消えるまでの時間というのが存在する。
それが『消失時間』とよばれているものだ。
基本的に、八紘ダンジョンの浅い層、支配力の弱い地域では消失時間が長く、強い地域では短い。
シューズの住むこの街の近くでは、一週間前後。
普通の人の住める限界がその程度だとされている。
わかった後、試しにもう何度か切れ端を置いたり消したりしてみた。
何も思いつかないからそうしていたが、無為な時間を過ごしている気がして、また走ってみたり、高めのジャンプをしてみたり、思いつく限りの色々をしてみた。
無意味だろうという結論が変わることはなかったが。
数時間後、
「さて、今日はこれで終わりです! 街に帰りましょう!」
その日の地獄の修行は終わり、シューズは今日も支配力切れをすることなく解放された。
「え?」
「どうかしましたか!?」
シューズにはその日の修行に、違和感があった。
「……いえ」
それは、空間から抜け出す答えのヒントとなるかもしれない違和感だとシューズは感じた。
「もしかして、何か聞きたいことでもありますか!?」
「はい、あの…………いや、明日に、違うな、明後日にします」
その場で聞いてしまおうかとシューズは一瞬思ったが、そうやって答えをもらうよりも、自分で確かめたほうがいい気がして、聞くのは辞めた。
「そうですか!」
そんな様子のシューズに、トートはいつも通りに、糸目を弧状にして笑いながら返した。