誘拐犯は聖女
「まさか?」
黒焦げになった大木の裂け目の向こうに、人影がぬっと現れた。
「まさか魔族のおチビが逃げた先がこの神殿だとは」
「……あなたは、まさか」
大木の焼け跡を粉砕し、近づいてきた人のお顔を見て、レオ君とシャール以外が固まった。
「……そのお顔はテレジア様?」
その姿はこの国では大半の人が知っているこの国の女神官を束ねる聖女テレジア様だった。白地のシンプルなトゥニカに赤の薔薇の刺繍が入った白の頭巾。
赤い石を施した杖を持つ白髪の老女。
彼女は元々巫女だったが、十年ほど前から修道者として各地を回り、特に癒しと火の魔法が得意な彼女は寒冷地の訪問先で貧しい人達が暖を取れるよう火の魔法を駆使し、冬の時期に流行る流感患者を治癒の魔法で治療し功徳を積んできたという話は皆知っている。
白地のシンプルなトゥニカに赤の薔薇の刺繍が入った白の頭巾、火と癒しの魔法が得意なことからいつの間にか「赤の聖女」と呼ばれる存在になった方だ。
ただ、杖の先にあんな大きな赤い濁った石をはめた杖を持っていたかは知らないけれど、あの杖の先の石をはめた部分に描かれた黒い蔦の柄が「聖女」という存在が持つにしては不気味な柄だ。
「聖女様がなぜこの子を誘拐など」
サミュエル様の疑問は彼女の評判を知っていたら誰でも浮かぶはずだ。
彼女の評判を知っていたら、まさか「聖女テレジア」が子供を傷つけ、誘拐したなどという話を聞いたら、皆冗談だと思うだろう。
しかも国の転覆にもつながりかねない力が強い他種族の子供を攫うなど想像すらできないだろう。
目の前で、事実を突きつけなければ!
「残念ですね。その子供に治療を施されたのですか。
ここで魔力暴発でも起こしてくれれば、建物も消えて、あわよくば神器でも奪える可能性もあるかと思ったのですが」
舌打ちした聖女は苦々しい表情を浮かべた。
「まさか、本当にあなた様がこのような愛らしい子供を?」
テレジアの吐き出した言葉に、トーマス様が目を剥く。
「僕のちゅの、返せっ!」
「レ、レオ君?」
私の背後からテレジア様を睨んだレオ君は、テレジアに臆することなく眼に強烈な怒りを浮かべ、小さいながらもつかみかかろうと前に踏み出そうとしたので、慌てて抱き上げたが、レオ君が「ちゅのをかえしぇっ」と興奮し怒っている姿を見れば、明らかに犯人は彼女だと思わざるを得ない。
「レオ、角はとり返してやるから落ち着くのだ。
しかし、血の匂いを纏って何が聖女だ、この女っ」
シャールが彼女に向かって風の魔法を起こし、周囲に囂々と風が渦巻き始めた。
だが、その魔法が、彼女が杖を翳すとふわりと消えた。
「なぬ?」
「おやおや。さすが霊峰ヴェスパ山。力が強い精霊がまだいたとは。
先ほどの精霊とともに私が連れて行きましょう」
精霊のシャールに対し畏敬の念どころか、獲物を見つけた悪党のように、にやりと嫌な笑みを浮かべいきなり「パンッ」と手を叩いた彼女の前には、白い腹に赤い鋭利な細い棒で貫かれた大きな白蛇が現れた。
「うおっ」
巨大な白蛇の登場にさすがにびっくりして思わず後ずさりしてしまう人間グループに対し、シャールとレオ君は前に出ていこうとして、蛇から「来るなっ、逃げろ」と止められた。
傷の痛みにのたうちながらも喋る蛇に虎のシャールが問いかけた。
「イラリオン! なぜだ?」
「イラリオン?
誰? まさかあの……」
綺麗な響きのお名前らしき単語は、まさかと思いますがあの白い大蛇ですか?
「あの蛇はこの山の精霊だ。千年生きて先代のこの山を守る精霊からこの山を守る立場を任されたばかりだというのに、何たることだ」
「しゃっきのおじしゃん!
酷い怪我!
あっ! 僕のちゅの! 血がいっぱい」
どうやらレオ君は目の前の白い大蛇が助けてくれた人物と同一だと分かっているらしい。
しかもイラリオン様に刺さっている棒は血に染まってしまったレオ君の角だと。
そうなったら、イラリオン様ごと角を回収して、この目の前の犯人テレジアを捕縛することが一番じゃないですか。
「この女は「精霊封じの石」を使っておかしな術を使う。
それに、この女の仲間が車に乗ってどこかに消えた。
私のことは良いからその子供も連れて逃げ……うがあっ」
杖先で蛇を殴ったテレジア様はにやりと笑ってこちらを見た。
「蛇風情がよく喋りますね。私が子供を誘拐していることを、この「精霊封じの石」を使った杖を持っている姿を見た者を生かすわけがない……」
「なんと、「精霊封じの石」ですと?
それは恵みを与えてくださる精霊様の力を奪う禁忌の魔道具ですぞ!
しかも聖女たるあなたがこのヴェスパ山の精霊様になにをなさるのです。
人型が取れないほど痛めつけるとは……。
闇にでも魅入られましたか?
万死に値しますぞ」
どうやら、彼女の杖に嵌っている石が「精霊封じの石」らしい。
私は魔法には興味はあっても、道具にそれほど関心がないので詳しくは知らないが、そんな私でもたしか「呪われた遺物」とか「封印された禁断の魔道具」という、いわゆる曰くつきの魔道具として聞いたことがある代物で、使ったら使用者もただでは済まないとかいう物なのに、なんでそんなものを「聖女」のはずのあの人が?
しかも確か万が一それらに該当する道具を売買していたり、作ったりしたら一族郎党死刑になってしまうモノだった気がする……。
テレジア様の足元で傷に苦しむイラリオン様の姿を見て、目に怒りの火をともしたトーマス様が、その傷めがけて高度な水の治癒魔法をかけようとしたが、その魔法がすぐにテレジア様の杖の一振りで、彼女の杖の先に着いた石に吸い込まれるように消えた。
「え?」
魔法が打ち消されるのではなく、吸い込まれるという見たこともない現象に皆が固まる。
まさか、さっきのシャールが放った風の魔法もあの石に吸い込まれたの?
「まずは結界を張れ」
魔法がかき消されたとわかると、まずは身の安全だ。
シャールが辺りに結界を張った。
それに続いて私も見習いサミュエル様も守護の結界を張り、私達が魔法を使っている間に、自分の角を折った仇のテレジア様に向かって走り出そうとしたレオ君を、村長さんが慌てて連れ戻した。
「おや、ただのじい様と子供の参拝者かと思ったら……その服はフィリパ学園のマーク?
それなりに魔法が使えるようですね。でも私の前では無駄ですよ」
相手の言葉が本当か確かめるかの如く、シャールが白蛇、いや精霊イラリオン様を助けようと捕獲魔法をかけようとしてその術も吸い込まれた。
「なんだ? この変な術は……。
あの「精霊封じの石」の力はまだ完全に作動しておらぬのに」
「ありきたりの魔法など、私の周りでは役に立ちませんよ。
この「精霊封じの石」を埋め込んだこの杖の前ではね。
さあ、皆さんは今日ここにいたことを不運だと思ってあの世に行ってくださいな。
人間どもは死ぬがいい」
彼女の高笑いの桶が響く中、赤い石が嵌った杖の先から、神殿の正門から玄関までを覆う巨大な魔法陣が空に浮かび上がると、私達の結界の力が急激に弱まり強烈な熱風が襲ってきた。
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