7-7:筆頭侍女が思うところ
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7-7
私がドミナンス家筆頭侍女の役職を頂戴してから、もう5年以上の歳月が流れました。
当主であるリガウス様はその類い希なる武勇で元々平民であったにも関わらず、遂には辺境伯にまで上り詰めた英雄であらせられます。
若くして、竜種、巨人種など数えきれぬほどの魔獣を狩り、また公にはされていませんがとある戦争にも参加し、先王陛下の懐刀として活躍なさっていました。しかし、いつまでも妻を娶らず後継もいない事から、貴族達からは不名誉な渾名などで陰口を叩かれ、あらぬ噂まで立てられる始末でした。
ある時、ケイリュオンで政変が起きた事を知ったのは、王都でのことでした。悪辣なるケイリュオンの領主をリガウス様が誅したというのです。しかし、貴族の中では面白くない話題だったのでしょう。平民へ伝わる前に揉み消され、箝口令さえ敷く貴族まで出てきた始末でした。
今にして思えば、それを先王陛下が是としたのはリガウス様を思っての事でした。しかし、今までの大功に褒章を与えぬとあっては、王族の恥です。そして、この国で歴史上初めての平民からの上級貴族が誕生しました。ドミナンス男爵家が勃興したのです。
屋敷と使用人、侍女が下贈されるとのことで、当時娘を育て終え、実家で執務などを手伝っていた私にも声が掛かりました。
集められたのは10歳ほど~40歳ほどの年齢層が離れた侍女たちでした。えぇ、『そういうこと』を先王陛下も期待されたいたのでしょう。しかし、生憎とご期待には添えず、それどころかリガウス様は屋敷には殆ど寄り付きませんでした。稀に帰ってきても--
「飯と寝床を用意せよ」
そして翌日の早朝にはどこかへ発つのです。高位の魔獣を狩っていただとか、貧しい村落に援助を行っていたなど、屋敷の中でも様々な噂が立ちましたが、結局真相は分からずじまいでした。今にして思えば、あの時からご令孫、もしくはご子息を探してらしたのでしょう。
そんなある日、リガウス様が姿を消し、屋敷に震撼が走りました。そこからは知っての通りでございます。主の帰還を信じ、ただ屋敷を守るのみございました。その間におそらく寵を受けるのを目的としていたであろう侍女の多くが辞め、残ったのは私を含めて数名の侍女と使用人だけでした。
そして、5年ほどでしたでしょうか?ある日、王城から当家の侍女を大至急登城させるよう王命が下りました。セドリックが使いの者に確認を取ると、当家のお嬢様を保護している、と。
あまりの知らせに頭に衝撃が走ったようでした。家宰であるセドリックを落ち着かせ、侍女を引き連れて登城致しました。騎士の方に詳しく話を聞くと、何でも奴隷として売り飛ばされそうになっていたところを保護されたそうです。当家のお嬢様になんということを…!
怒りで震えそうになる手を押さえ、王城までの長い道のりを馬車の中で過ごしました。
到着してまず我々は王城の離宮へと通され、お嬢様が起きた時のための準備を進めました。どうやら共に亜人も保護されたようですが、その時は大して気にも留めませんでした。
私がお嬢様に初めてお目通りしたのは、お嬢様が保護されてから2日後の朝でした。クローゼットが半分開いていたりなどしていたので、一度は起きていらしたとういうことでしょうか?どちらにせよ、これ以上幼い体で食事を摂らないのは危険と判断いたしました。
ベッドの上でよくお眠りになっていましたが、肩を揺すって起こします。
「お嬢様。お嬢様、起きてください」
「んん・・・?」
「お目覚めですか?ヒスイお嬢様」
「・・・お、お嬢様?」
「えぇ、私にとってはお嬢様でございます。おはようございます、お嬢様」
「あ、お、おはようございます」
輝くような金の髪に、宝石のような碧色の瞳。幼いながらも、整った顔立ちは大変可愛らしゅうございました。
それから食事を摂っていただき、先王陛下へ挨拶をし、専属侍女をお決めになられました。まだ、私たちを警戒なされているご様子でしたが、幼い子供特有の急に泣き出すような事もなく、大変大人しいお嬢様というのが私の第一印象でした。
…ちょうど娘たちの子供--つまり孫と同じくらいの年の頃です。しかし、その子たちと比べても、異質さのようなものを感じざるを得ませんでした。
呑み込みは早く、大人と会話し、時折穿ったような言葉を発する様はまさしく異質という他ないでしょう。しかし、先王陛下よりよく仕えるようにとお言葉を頂いておりますし、どんな方であろうと当家の希望であることには変わりありません。むしろ、魔窟のごとき貴族社会を渡る上ではこの上ない事と思うことにいたしました。
それから離宮で生活していくにつれて、お嬢様の本性を知ることにもなりました。
「マーサ、この世--国の女性の下着事情ってどうなっていますか?『ブラ』とかあります?あと下着ってこういうのばっかりですか?」
「お嬢様っ!!!」
……何と言いますか。時折かなり驚くようなことを口にされ、仰天するような行動を起こします。べろんとスカートの裾をたくし上げ、下着から下を晒しておりました。当然、厳しく叱らせていただきました。優秀であることには間違いないのでしょうが、どうにも女性としての心が欠けているとでも申しますか…
一体どのような環境でお過ごしになられていたのでしょうか。今までお仕えしてきたお嬢様方とは全く異なるようで、教育方針などに日々頭を悩ませることになります。
「マーサ、亜人蔑視ってどうにか消せないですか?」
「…難しいでしょうね。何せユースティナ王国の建国の頃からですので」
「えぇ、そんなに?う~ん…」
「お嬢様、どうしてその様なことを?」
「え?だって、ララァナさんやルゥさんが何時までも自由に外に出れないのは可哀想ですし。息が詰まっちゃいますよ」
私たち王国民が当たり前と思っていることを指摘したりなど。またそれを聞いた理由はただ身近な友人にも等しい侍女兼護衛ためであったり。
「マーサ、マーサ。えっと…私が初日で追い出しちゃった侍女たちには少し補填金というか、その…何かしらの補償みたいなのを出しておくのってできますか?」
時には初日に追い払った侍女の身を案じたり。
「うーん…マーサ、おじい様の行方について何か情報は入ってきましたか?あ、えっと…一応心配は心配ですし…」
抜けている部分も確かにありますが、心根はお優しいのでしょう。一個人としては美徳ですが、これから将来海千山千の貴族を相手取るお嬢様のためには、私はこれを『甘い』と叱らねばならないでしょうね。しかし、お嬢様はいくら賢くとも子供であることにはお変わりありません。お嬢様が安心できる相手が必要でしょう。
私はお嬢様の専属侍女となったナディ、イリーナ。侍女兼護衛となったララァナ、ルゥを、お嬢様が就寝した後、呼び出しました。離宮の一室で専属侍女達を座らせ、話をすることにしました。
「マーサさん、それでお話とは何でしょうか?」
「お嬢様の側でお仕えになって、そこそこの日が経ちました。一度この機会に、あなた方から見て、お嬢様の事をどう思うかというのを、嘘偽りなく聞かせてほしいのです。そのために今だけは言葉遣いが多少乱れても指摘しません」
専属侍女たちは顔を見合わせ、それぞれが少し考え込んだ後、まずララァナが話し始めました。
「えっと、まずルゥもほぼ同じ考えだと思って聞いていただきたいのと、その…本当に忌憚のない考えでいいのよね?あ、いいんですよね?」
「えぇ、構いません。それと言葉遣いも大丈夫ですよ」
ララァナはラミアという下半身が蛇の亜人です。人里には決して近寄らず、隠れ里から出るような事がない故に見つけることが稀という種族です。そんな彼女が如何にしてお嬢様と一緒に捕まっていたのかを聞いてはいませんが、とにかくお嬢様をお守りする覚悟は私よりも強いかもしれませんね。
「ヒスイは私とルゥにとっては、放っておけない妹って感じがしっくりくる…かしら?あの子は私とルゥの心を救ってくれたから。でも時折年相応に不安定になることもある。だから、私もルゥもあの子の傍で、何に替えてもあの子を守りたいと思うわ」
なるほど。身内のような感情を抱いているのですね。しかし…
「えぇ、分かりました。ナディ、イリーナはどうですか?」
「…そう、ですね。悪い主ではないと思います。でも、まだそこまで長く仕えてないので、正直少しこのまま仕えても大丈夫かという不安はあります」
「不安、ですか。その要因は例の亜人の事を聞いた時の、お嬢様の反応ですか?」
「えっと…はい。亜人を擁護してくださるのは個人的には嬉しいです。しかし言いにくいのですが、貴族社会においては、その…」
ナディはどうやら個人的な感情と貴族社会はしっかり分けて考えているようですね。次にイリーナへ視線を移します。
「私もナディと似た意見です。でも、私はお嬢様に仕えることは悪くないと思っています」
「それは何故ですか?」
「亜人を擁護してくれれば故郷の友人が少しでも過ごしやすくなると思うのもそうですが、何と言いますか…勿論、お嬢様は根本的にお優しいです。なので仕える私たちに大きな負担を強いてこないのは勿論だと思います。ただそれだけじゃなくて、お嬢様とはこう…波長が合うと言いますか…」
イリーナはナディの意見に併せて、さらに自分のためと、あとは感覚的なものでしょうか。しかし、主従においては重要な要素でもありますね。
「なるほど、よく分かりました。総括すると、お嬢様の元を離れたいと思う者は今のところ居ない、ということですね?」
全員がそれに頷きます。これならば良いでしょう。勿論、ナディやイリーナはこれ以上いい働き先は今のところ無いと言うのもあるのでしょうが。しかし今は些末な問題です。
「では、あなたたち専属侍女はこの先何があってもお嬢様の味方でいなさい。これから先、貴族社会においてお嬢様は様々なものを疑って掛からねばなりません。嫌な物を散々見る事もあるでしょう。人間不信に陥ることもあるでしょう。しかしあなた達だけは絶対の味方でいなさい。間違いがあれば、ほどほどで構わないので諌めなさい」
私の言葉にナディが少し首を傾げつつ質問をしてきます。
「あの、マーサさん。ほどほど、でいいんですか?」
「えぇ、構いません。先程も言いましたが、あなた達だけは味方で居てもらわねば困るのです。取り分け貴族女性は様々な権謀術数や、政略結婚などで自らの将来が望まぬものになる事が多くあります。その時側に居て、最も信頼できる相手となりなさい」
そういう意味では亜人のララァナ、ルゥが居るのはむしろ都合が良いですね。この2人は、王国の亜人蔑視を理解しているでしょうから、お嬢様を裏切れないでしょう。なにせお嬢様の庇護がなければ、王城に居る時点で憂き目に遭うでしょうからね。もちろん、できる限りそうなって欲しい訳ではありませんが。
「私はお嬢様の『優しさ』を『甘さ』であり『毒』であると否定し、諌めなくてはなりません。お嬢様のためにもです。しかし、それでは何が正しいのか分からなくなってしまう事もあるでしょう。だから、あなた達はお嬢様の『優しさ』が決して間違っていないと肯定しなさい。いいですね?」
「…マーサさん、それだとマーサさんは--」
「ナディ、それ以上は言わなくて結構です。さぁ、話しは終わりです。明日からも佳くお嬢様にお仕えするのですよ」
えぇ、これでいいのです。嫌われ者を演じるのは老人の役目なのですから。おそらく私にとって、リガウス様とお嬢様が終の主となるのでしょう。誠心誠意お仕えさせていただきましょう。
それから暫くして、リガウス様がご帰還され、辺境伯へ陞爵の運びとなり、ケイリュオンへ引っ越すことになりました。前代未聞の事態なのですが、リガウス様もお嬢様も、全く嬉しそうにしておりませんでした。お二方は事の大きさを理解なさっているのでしょうか?
さて、そこからは毎日が目の回るような忙しさでした。ケイリュオンの領地は荒れ果てており、リガウス様はお嬢様--いえ、姫様にはなるべく悪い部分を見せないようにお命じになられました。そのために我々侍女一同も各所で動くこととなりますが、主命を果たすためです。やむを得ないでしょう。しかし、姫様は率先して領民を助けるように動き始めました。
前ケイリュオン領主の影響で潰された孤児院を再建し、人材の確保、労働者のために雇用の創出。塩田の改良、溜まった執務の消化、各種道具の作成、保健所設立による治療など。
こちらが心配になるほど毎日のように働いておられました。まだ6歳という齢で大人顔負けに働くのですから、我々も手抜きなどもっての他で御座いました。というよりは、手抜きなどしていては、姫様の仕事に付いていけないという方が正確でしょう。
しかし、一旦目の回るほどの忙しさの時期は過ぎ去ったようです。ほぼ半年といったところでしょうか。そのため、その反動か姫様は最近羽目を外すことが多いように感じます。最たる例は『水着』と『プール』の存在でしょうか。あの様に肌の大部分を晒すような服を着るなど…
しかし、姫様の努力を見てきた身としましては、少しくらいの報奨はあって然るべきと考え、ついつい許可を出してしまいました。一応この事自体が特別だと言ってはおりますが、覚えていらっしゃるでしょうか?
またそんな中、姫様が手負いの幻獣を拾ってきたのには驚きました。フォルカというケイリュオンの海においては漁師を助けることもあるという存在だそうです。リガウス様も昔竜種討伐の折に助けられた事があるそうで、姫様が「この子たち飼います!」と仰った時も最終的には許可を出したそうです。孫である姫様には、相変わらず甘いですね・・・
とにかく幻獣とはいえ、獣であることには変わりありません。私だけでも警戒は続けておきましょう。
そうしている内に秋の入り口が見え始めてきました。そろそろ娘達に宛てた手紙を出そう、と城の外へ向かうために城門まで足を運ぶと、何やら揉めている声が聞こえました。
「だから、僕は怪しいものじゃありません!以前先生に--えっとここの姫様?に曲を教わり、各街で得たお金を納めると約束したんです!」
「だから、姫様は今日はお休みだって言ってんだろ?ずっと働き詰めだったんだから、今日はお休み頂こう、って武官や文官と決めたんだよ。だから日を改めてくれ」
「だが、この前もその前もその前も留守って言って追い返されたぞ?それで日を改めたらコレだ。何時だったらいいんだよ!?」
「そりゃ、姫様がお暇なときだろう。というか、お前さん本当に姫様の関係者か?嘘なら容赦なく捕まえて牢にぶち込むぞ?」
「本当だって!吟遊詩人のヴェントって言ってくれれば分かる筈だ!」
「あー、分かった分かった。じゃあ、隊長には伝えておくから今日は帰れって」
「前も、その前もその前も同じこと言われたぞ!」
またですか。割りと当初の頃からですが、仕官のためであったり、姫様が幼い故に与しやすいと思ってか、姫様の知り合いを自称して押し入る者が時折出てきます。一応、リガウス様には報告しておりますが、今のところ全員が嘘を吐いており、例外なく罰っせられました。
しかしヴェントという名は姫様が以前お話しされた、ベイジ村というグランドル領の僻地にある村での出来事で聞いたことがあるような気が致しますね。もし本当ならば、お知らせしなければならないでしょう。
「失礼いたします、お二方」
「こ、これはマーサ様!」
門番の方が敬礼を取ります。私はそれに挨拶で返し、ヴェントを名乗る吟遊詩人の男に向き直ります。
「初めまして、吟遊詩人殿。私はドミナンス家筆頭侍女を務めますマーサ・グレイスと申します」
「あ、は、はい…」
「よろしければ私がお話をお伺いしましょう。門番の方、申し訳ありませんが他の兵士の方を呼んで、こちらの手紙を冒険者ギルドへ届けてください」
「は、はっ!お預かりします!」
門番の方は他の兵士の元へ代わりを頼むと、走り出していきました。これで良いでしょう。さて、次はこの方ですか。
「ひとまず、立ち話では落ち着いて話せないでしょう。どうぞコチラヘ」
「え、あ、はい…」
兵士の方に目配せをすれば、4名ほど護衛として付いてきてくれます。ひとまず逃げられることはありませんね。
案内したのは城門近くに設置されている兵士の詰所です。来客用の建物もありますが、そちらは貴族用なので今は使えませんね。ヴェントという吟遊詩人に席に付いていただき、話を聞くことにします。
「それで、ヴェントと言いましたね?姫様とお知り合いとの事ですが、それを証明できますか?姫様に害意ある者を会わせるわけにはいきませんので」
「え、えっと…ど、どう証明すればいいでしょう?」
「そうですね。姫様とどういう風な関係で、どの様に『先生』と呼ぶに至ったかなど聞かせて頂きますか?」
「わ、分かりました!」
それから語られた事は、以前姫様からお聞きした内容と概ね合致するものでした。
「では、各地を巡り貯めた金銭の内1割ほどを姫様にお渡しするために?」
「は、はい!」
念のためリガウス様にも人伝に確認を取った結果、間違いなさそうです。会わせても良いと許可を得ましたので、問題ないでしょう。しかし念のため兵士に騎士達を護衛として立ち会わせる様に依頼を出します。ヴェントにはこの場で待ってもらい、面会するための準備を整えます。それが終わってから、姫様の私室を訪ねます。
今日はお休みということもあって、普段よりゆったりした服装で寛いでおられました。そして、どうやらヴェントと知り合いというのは事実なようですね。これからお会いになるそうです。
平民相手とはいえ、服装はしっかりしていただきましょう。お召し替えをしていただき、ヴェントを待たせている部屋までご足労願います。マルタもパックも付いてきていますが…まぁ、良いでしょう。面会中に急に現れてこられるよりマシです。
部屋に到着すると、ヴェントが立ち上がり頭を下げます。
「お久しぶりです、先生!」
姫様はしばらくポカンとしていましたが、少しすると立ち直ったのかニコリと微笑みます。
「久しぶりですね、ヴェント」
姫様が席に付き、ヴェントも着席します。
「それで、約束ということでお金を納めに来たと窺ったんですけれど」
「はい!どうぞ、お納め下さい!」
ヴェントが麻袋の様なものを出すと、姫様が直接受け取ろうとなさいますが、それを制します。気付いたらしい騎士が一旦受け取り、中身を確認してから姫様へお渡ししました。
「別に正直に納めに来なくても良かったのですけどね。何せ今はベイジ村から越して来たんですし」
「いえいえ、そういう訳にはいきません。それと、伝え忘れてたんですけど、リナとシーナの2人から手紙も預かっているんです。こちらもどうぞ」
再び騎士が受け取り、姫様が確認します。しかし開封することなく、私の方へ差し出してきました。
「マーサ、後で読むので預かってくれますか?」
「えぇ、承知いたしました」
私はその手紙を部屋のトレーの上に置いておきます。これで要件は済んだ筈ですが、ヴェントの方はまだ用でもあるのか、何かを言い掛けては黙ってしまいます。姫様もさすがに気付いてか、首を傾げています。
「あの、ヴェント?どうしたんですか?何か言いたいことでもあるんですか?」
「うぐ……えーと、その…先生、あ、えっとここでは姫様か……姫様は専属の楽士などを雇ってはいませんか?」
……なるほど。結局はこの手の輩ですか。どうしてくれましょうか。
「居ませんけど?マーサ、居ませんよね?」
「えぇ、楽士は雇っておりません。領主様も姫様も音楽にさほどご興味を示されませんので」
暗に必要ないことを伝えたつもりなのですが、ヴェントには通じなかったようですね。
「で、では!僕を雇ってくれないでしょうか!」
「えーと、専属楽士として、ですか?」
「はい!」
姫様は少し考えた後、こちらを振り返ってきます。
「マーサ、辺境伯家として専属楽士が居ないのは普通ですか?」
「…いいえ。現在の4大領のケイリュオン以外の領主達は専属の楽士を雇っているそうです。辺境伯でなくても、幾つかの貴族家では雇っております」
「『楽団』とかはありますか?」
『ガクダン』ですか。聞いたことが御座いませんね。
「姫様、恐れながら『ガクダン』とは何で御座いましょう?」
「え?何人もの奏者が1つの曲を一緒に演奏する…集まり?みたいなものです」
「それでは楽士自身の評価に繋がらぬでは御座いませんか」
ヴェントも同意というようにコクコクと頷いております。姫様は衝撃だったらしく、驚いたご様子です。
「複数人で同じ曲を弾いては誰が弾いているか分からないということになる上に、誰かが失敗すればその責を他の者も負う事になります。その様な危険を犯したくないという者が殆どなのですよ」
「え、えぇ!?…えっと、少し私の認識が違っていたみたいです。聞かせて欲しいんですけど、1つの楽器では演奏できない曲もありますよね?」
「そういった曲も確かにございますが、先ほど申し上げた通り、複数人で弾く曲は人気がありません」
「人気がないのは、楽士にだけですか?それとも、聞いている側も嫌いなんですか?」
「それは人によると思われます」
「なる、ほど…なるほど…」
再び考え込み始めてしまわれましたが、今度は少し長そうですね。私はララァナに命じてお茶を淹れるよう指示を出します。姫様は目の前にお茶を出されたのにも気付かず、未だに考えておられるようです。しばらくすると顔を上げました。
「ヴェント、他の誰かと演奏することに抵抗はありますか?」
「……それで雇って頂けるなら、他の奴と演奏する事も我慢します」
「あ、それと他にもやって欲しい事があります。ヴェントって読み書き計算はできますか?」
「読み書きはできますけど、計算は本当に簡単なやつだけなら…」
「じゃあ、普段は文官として働いてください。で、午後とか午前中だけとか、細かい時間は後で決めますけど、その時間とかで練習時間を確保する感じで。他にも役割を色々と与えますけど、その辺は後で相談しましょう。でも、最初の内は仲間集めですね。一緒に演奏していいって人を見付けて下さい」
「…因みにいつまでに仲間を見付ければいいでしょうか?」
「1ヶ月くらいとか?」
「無理です!」
「え~。じゃあ、どのくらい欲しいんですか?」
その後、ヴェントと姫様の間で取り決めがなされました。普段は文官として仕え、必要に応じて楽士として活動するそうです。それとは別の仕事も与えられていましたが、仕方のないことでしょう。
しかし定住の権利と定職を得たのですから、むしろ良かったと思いますけれど。
「じゃあ、そういう訳で早速明日から働いてください」
「うぅ…はい…」
姫様の満足のいく契約となったようですね。「人材確保♪」と鼻歌交じりに上機嫌です。一方のヴェントは予想外の忙しさになると戦々恐々としているのでしょう。しかし、給金は決して安くはありませんし、住む場所があり、宿舎では食事が提供され、仕事着が配給されるのですから、これで文句を言っては領都民に殴り殺されかねませんね。
姫様はいつの間にかキャメロットの人々から支持を集めておりますからね。巷では『救世主』ですとか『聖女』などと呼ばれることもあるそうです。姫様のお耳にはまだ届いていないようですが。
「マーサ、ヴェントを宿舎へ案内してあげてください」
「承知いたしました」
私はヴェントを案内しようとしますが、扉がノックされました。姫様に視線を送ると、頷かれましたので、私が来訪者を確認します。相手はナディでした。どうやらリガウス様が姫様をお呼びのようですね。私はナディに許可を出し、部屋へ上げます。
「失礼いたします。姫様、領主様がお呼びです。ご足労願えますか?」
「分かりました。じゃあ、今から--」
「可憐だ…」
一斉に視線が言葉を発した人物の元へ集まります。発したのは今しがた私が宿舎へ案内しようとしていた人物でした。
…部屋の中を少し見回し、一瞬で変わった雰囲気を察します。取り分け部屋の護衛をしている騎士の雰囲気が変わりましたね。これはまた少し面倒事になりそうな予感がいたします。本当に姫様のお傍に居ると退屈する暇もございません。
今まで、そういえばマーサ視点って書いたことなかったと思い、今回はマーサ視点でお送りしました。たまに違うキャラの視点を書くと、息抜きみたいになって筆が進みます。
補足:ペット2頭は割と自由気ままに過ごしてます。(厳密に言うと、どっかに閉じ込めても勝手にヒスイのとこに現れるので無駄・・・)
7章は8日周期で1話更新してたんですが、リアルが少し忙しくなるので、また不定期に戻ります。申し訳ない・・・




