第0話 ー運命ー
太陽が西に傾いた頃、僕はいつものように空を見上げて考えていた。
幸せって何だろうーー。
命の終わりが見えた時、人はそう考えるという。
自分は精一杯生きてきたか、人の役に立てたか、欲しいものは手に入れたか、やりたいことはやり尽くしたか……。
幸せの定義はそれぞれ違う。
自分のそれはいったい何なのか。
僕がそのことに思いを巡らすようになったのは、小学校高学年になって間もない、若干9歳の頃だった。
僕は17年前に都内の裕福な家庭に生まれた。
政治家のお父さん、料理上手なお母さんに、大切に育てられた。
勉強が得意で、小中学校の成績は常に学年でトップ3に入っていた。
得意なのは座学だけでない。
運動、美術、音楽。どれをとってもそれなりの素質があった。
友達もたくさんいて、クラスではいつも輪の中心だった。
資質と人望を兼ね備える僕に、学校の先生たちは「将来はお父さんのように立派な政治家になれるね」と太鼓判を押した。
裕福な家庭、優しい両親、たくさんの友人と、普通の人にはない素質……。
多くの人々は、僕に『君は幸せ者だ』と言った。
ーーしかしそんな彼らも、僕の背負う運命を知れば、きっと『不幸なやつだ』と憐れむに違いない。
何しろ僕は、20歳まで生きることができないのだから。
この事実を知った日のことは、今でも忘れない。
あれは小学4年生になって間もない、日曜日の昼下がりだった。
クラス替えで新しくできた友達と遊びに出かけた僕は、途中で忘れ物に気づいて家に戻った。
ドアを開けると、耳をつんざくような怒鳴り声が聞こえてきた。
「そんな残酷なこと、あの子に言えるわけないじゃない!!」
お母さんがあんなに声を荒げるのを見たのは、後にも先にもこの時だけだった。
顔を真っ赤にし、眉間にしわを寄せ、目からは大粒の涙をボロボロとこぼしていた。
お父さんはソファーに腰かけ、俯いて泣いていた。
「どうしたの?何があったの?」
普段と違う両親を見かねた僕は、いつもの朗らかな2人に戻ってほしい一心で話しかけた。
2人は僕の存在に驚き、目を丸くしていた。
その後、父は何か覚悟を決めた顔で僕を見つめ、母は床に崩れ落ちた。
僕の病名は『脳性早老症』という。
体は他の人と変わらず健康なのに、脳だけが普通よりも早く老化してしまう奇病だった。
99%の人は成人するまでに亡くなり、30までには100%の人が死ぬという恐ろしい病気だ。
両親は僕が産まれた直後に医者から宣告されたらしいが、いつ本人に伝えるか、そもそも伝えるべきなのかを9年間ずっと悩んでいたという。
この事実を知った後、僕は今までにない衝撃と絶望から立ち直れず、しばらく床に臥せっていた。
しかし2か月後には、また以前と同じように学校に通えるようになっていた。
幼いながら、『部屋にこもって嘆いているだけでは人生がもったいない』と思い至っての事だった。
幸せとは何かーー。
今ではなんとなくわかる。
それは物や事象ではない。
自分が感じているかどうかなのだ。
人生は幸せを感じるためにある、と僕は思う。
僕の人生は短いから、人よりも幸せを感じることのできるチャンスは少ないのかもしれない。
でもたったそれだけのことなのだ。
幸せを感じることができるかなんて、自分次第だ。
たくさん感じれるようになればいい。
感じれるように全力で生きればいい。
僕は今、そう思って生きている。
そんな僕も今年で17歳。
刻一刻と死期は迫っているが、今は7年前よりもさらに幸せを感じて生きている。
理由は簡単だ。
僕には今、この残酷な運命が霞むほどに愛している人がいるーー。
……それにしても遅いな。
……いつもの時間を30分も過ぎている。
……もう外は暗いから、事件などに巻き込まれていなければいいけど……
勇馬がそう考えると同時に、遠くから足音が聞こえてきた。
「ごめーん勇馬!授業がなかなか終わらなくて……!」
現れたのはスラっとした色白の女性だった。
短いスカートをひらひらとさせ、むっちりとした健康的な太ももがあらわになっている。
……よかった、何もなかったようだ。
勇馬は彼女の無事を確認し、安心して肩をなでおろす。
彼女ーー莉々音は僕の幼馴染であり、恋人だ。
母親同士の仲が良く、小さい頃から一緒に病院に通っていた。
実は、彼女も病気を持っている。
彼女の病気は『過活動免疫』と言い、普段は異物を排除する役割である免疫が働きすぎて、異物だけでなく自身の体をも傷つけてしまう病だ。
しかしこの病気は薬で抑えることができ、彼女の命に別状はない。
それだけでも僕にとっては救いだった。
彼女とは12の頃から付き合っている。
きっかけは彼女からの告白だった。
僕はその時、自分の病名を明かし、付き合うことはできないと一度は断ったが、彼女の返事は意外なものだった。
「それなら私が医者になって、必ず勇馬を治してあげる……!だから……一緒に頑張ろう!」
彼女は目に涙をいっぱい浮かべながらそう言った。
それは、苛酷な運命を背負う僕に、彼女が精一杯考えて出してくれた答えだった。
今考えれば、僕が死んでしまうまでにこの奇病を治す方法を見つけるなんて不可能に近いことだがーーその希望に満ちた言葉に、12の僕はどれほど救われたことか。
彼女には感謝してもしきれない。
現在、彼女はその宣言通り、医学部を目指して猛勉強している。
そんな健気で愛らしい彼女を、僕は死んでも幸せにしたいと、そう願っている。
「あれ~?勇馬。今なんか考えてたでしょ!」
莉々音はクリクリとした大きな目で勇馬をのぞき込む。
真夏の暑い中走ってきたからだろうか、莉々音の夏服は汗で濡れて透けていた。
……相変わらず今日も可愛いな。
勇馬は彼女を見つめる。
「勇馬……大好きだよ……」
彼女は頬を赤らめて、勇馬に顔を近づけた。
……今夜も良い夢が見れそうだ。
そんなことを考えながら勇馬はゆっくりと目を閉じ、彼女とキスをした。




