第三十四章 ネオンの雨夜と機械の請求書
ジジジ……バチッ。
時空を越えていた因果軌道が完全に消滅した瞬間。
鼻を刺す機械油の臭いと、高電圧放電によって生じたオゾンの刺激臭が、一気に林野の鼻腔へ流れ込んできた。
「うっ……」
思わず顔をしかめる。
目の前に広がっていたのは――
果てが見えないほど広大な、荒廃都市だった。
北境の雪原とは、まるで違う。
第七街区の穏やかな日差しとも違う。
空には、無数の壊れた衛星と廃棄されたサーバーを無理やり組み合わせたような、巨大な義体惑星が浮かんでいる。
そしてそこから――
冷たく、わずかな腐食性を持つ雨が、絶え間なく降り注いでいた。
雨は淡いネオン色に染まっている。
街路の両側には、巨大なホログラム広告が無数に立ち並んでいた。
しかし、そのほとんどは壊れている。
映像が点滅する。
消える。
また点く。
何千年も前にフォーマットされたはずの、存在しない商品の宣伝を、今もなお繰り返し流している。
「新型因果冷却装置!」
「今なら契約料――」
「あなたの人生を、より豊かに――」
広告の音声は途中で途切れ、ノイズへ変わる。
ここは――
「機械墓場・第77区画」。
編劇会によって完全に忘れ去られ、多次元支流の底で腐り果てている、廃棄されたサイバー世界だった。
「うわ……」
レインが着地する。
機械義肢のブーツが、足元に転がっていた錆びた歯車を踏み砕いた。
ガキンッ!
彼は周囲を見回す。
崩れかけた高層ビル。
その壁面に絡みつく、巨大な光ケーブル。
そして、どこまでも続く廃墟。
レインの眉間に皺が寄る。
「ここの空気……」
「まるで、古いエンジンが焼き付いたまま放置されてるみたいだな」
彼は周囲を見回した。
「因果網なんて、とっくに粉々だ」
「法則も全部、意味不明なコードになってやがる」
「初代のじいさんが言ってた『初期原稿の残片』が――」
「本当に、こんな場所にあるのか?」
墨清は何も言わず、手の中に淡い剣罡を展開した。
ネオン色の腐食雨が三人へ降り注ぐ。
だが、雨粒は透明な壁に触れたように弾かれ、地面へ落ちていく。
墨清は無人の街路を鋭く見渡した。
「北境総館から送られてきた底層定位によれば――」
「原稿の残片は、この廃棄都市の中心部にある」
「『中枢鉄塔』の内部よ」
墨清はそこで一度言葉を止める。
「ただし……」
彼女の視線が周囲へ向いた。
「ここの住人は、私たちをあまり歓迎していないようね」
その瞬間だった。
街路の両側。
これまで真っ暗だった無数の監視カメラが――
一斉に点灯した。
ギラッ。
すべてが、真っ赤な光を放つ。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
続いて――
ギギギギ……。
耳障りな金属関節の軋む音が、雨の向こうから響いてきた。
暗闇の中から、巨大な影が次々と姿を現す。
一体。
二体。
十体。
数十体。
身長三メートルを超える、重装型暴動機械。
その胸部には――
大部分が削り取られた、編劇会の徽章が残っている。
腕には高出力レーザーブレード。
ネオンの雨に濡れた刀身が、不気味な光を放っていた。
先頭に立つ一体は、他の機械とは少し違っていた。
半分は機械。
もう半分は――
まるで死者のように腐食した機械構造。
その顔面に赤い光が灯る。
そして、錆びついたスピーカーから、低く冷たい合成音声が響いた。
「――不法越境者」
「第77区画の全資産は、至高編劇会によって永久凍結されている」
「無許可で侵入した存在は――」
「フォーマット処理する」
ズラリ。
数十体の暴動機械が、一斉に武器を構えた。
レインが機械義肢を起動する。
「来たか――」
だが、その瞬間。
林野が片手を上げた。
「待て」
レインが振り返る。
「林店主?」
林野はゆっくりと懐へ手を入れた。
取り出したのは――
あの分厚い帳簿だった。
林野は表紙に付着したネオン色の雨を、手の甲で軽く拭う。
そして――
笑った。
緊張など、まるでない。
むしろ、ようやく仕事が始まったと言わんばかりの顔だった。
林野は一歩前へ出る。
目の前の機械統領を見上げる。
「フォーマット?」
「そんな役所みたいな台詞で、俺を脅そうとするなよ」
林野は帳簿を軽く叩いた。
「俺は、お前らのつまらない説明を聞きに来たんじゃない」
そして――
周囲の崩壊した高層ビルを指差す。
「この廃土都市の面積は――」
「ざっと三千平方キロメートル」
林野の声は決して大きくない。
だが、不思議なほどよく通った。
雨音を突き抜け。
壊れた広告音声を押し退け。
街全体へ響き渡る。
「水道、電力、ガス――」
「因果網は全部ぶっ壊れてる」
「そのうえ、お前らは何百年もこの土地を占有したまま――」
林野は帳簿を開いた。
「滞納金を一銭も払ってない」
さらに頁をめくる。
「環境汚染費も――」
「未払い」
林野は機械統領をまっすぐ見据えた。
「なあ」
「お前ら――」
「この何百年分の勘定、どうやって払うつもりなんだ?」




