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重ねの魔女  作者: 焼魚圭
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Ⅲ 逃亡

 暗闇は恐ろしく広く感じられる。走っても走っても同じ景色しか見えないように感じては取り入れる空気に入り混じる湿り気が生きているという実感を辛うじて与えつつも生きている証となる心地を奪っていく。あの家の中で何が起こっていたのか、足を動かすことで必死でありながらも思考の中に挟み込まれてしまうほどに鮮烈な光景。二階から降りてきた骸骨の老婆が仲間を取り込んでしまったということ。あれは身のない人物なりの捕食だったのかも知れないと勝手に思考が想像を描いては強い吐き気を呼び起こしてしまう。湿った空気を吸う度に吐き気と共鳴して新たな吐き気を呼び起こしては負の情を訴えかける。久利の中であの時間が幾度となく再生されては身に染み込んで行った。

「み、んな、大じょ」

 声は途切れ途切れで言葉という形すら持つことが出来ずに周囲に広がっていく。理解できただろうかと不安を抱き一瞬だけ後ろを振り返って無事を確認しては再び森の外へと視線を向ける。

 走り続けた中で響くのは葉を踏む音と数人重ねられた不規則な息遣い。このまま走り抜ければ目指すべき場所にたどり着くのだろうか。不安を抱きつつも希望ある未来を目の前に描きながら走り抜け。新たに右足を出して葉を踏む音を響かせたその時だった。二つの悲鳴が上がり続いて立てられた葉の騒がしい音を経て葉を踏む音は止んでしまう。久利が振り返ったそこにあったのは本康と酔っぱらいが倒れている光景。視線を彼らの肩の向こうへとやるとそこに収まるものは骨の手を伸ばした髑髏の姿。彼らは起き上がり逃げようとするも久利との距離は一定以上縮まることはない。進むことの出来ないそこと今立っているここ、目で見ただけでも薄っすらと異なる雰囲気を見せつけている。

 どうしようかと対策方法の分からない問いに挑もうとするも当然のように敗北の二文字が突き刺さる。空気感までもが異なるそことここを隔てる壁は崩すことが出来る気がしない。実体を持たないはずのそれは果てしなく堅い。

 決して超えることの出来ない、触れた感覚を見ることさえ許さない壁の向こう側で彼らは絶望の表情を浮かべていた。こちら側の二人もまた必死に救うために手を伸ばし続けるも希望は訪れない。

「彼の世のようだ、向こうのものを口にしたのならもう帰ってくることなど出来ないんだ」

 男がそんな言葉を口にしたその時のことだった。髑髏はその言葉を待っていたかのように頷き、本康と酔いどれ男の首に腕を回し、勢いよく引っ張り立ち去ってしまう。

 そんな光景を見ているしかない久利は拳を握りしめ、向かおうとしたその場へと進む気配を感じたものの、踏み出した足が地面を掴んだ途端幾つもの話し声が耳に届いて辺りを見回す。家族連れの集団が楽しそうに肉を焼いては微かな焦げと煙のたくましい匂いを喜びの声とともに撒いているだけ。久利の隣にいたはずの男の姿すら見られず先程の出来事が全て幻だったのかという疑惑が湧いてくる。酔っぱらいの見た不思議な夢だったのだろうか。だとすると久利一人が置いて行かれているということになってしまう。

「あいつらは一体どうしたんだ」

 何も分からないまま一度帰ることにした。先程までの出来事は酔っぱらいの想像か何かでしかない。そう何度も言い聞かせて勢いよく歩みを進める。あの三人だけがいないのであればまだしも先程まで隣に立っていたはずの男までいなくなっているのだからおかしいのは自分だという結論に至った。

「次あった時に話してみるか」

 どこまでが正気でどこからが本気か全くもってつかむことが出来ずに困り果て、そんな状況での歩みは綱渡りのような不安定な心境を与えてくる。

 そうして辿り着いた家に入りながら久利は本康の引っ越しの日を思い出していた。数年前に突然今の家を手放し別の家に引っ越して行った時の事。引っ越し先はアパートの集中した地域であり、その中に一軒家を建てたと言っていたのだから目立って仕方がないのではないだろうか。悪酔いと悪目立ち、どちらのほうが良いだろう。悪いには悪いなりの良さ、劣悪などんぐりにも背比べをするほどの世界は残されている。

 親にただいまと告げて自分の部屋へと入って電気を点けると共に視界に迎え入れた猫のポスターを見つめて久利は心を落ち着ける。気に入りの猫は蓄光仕様で灯りを蓄えるとともにもう一つの気に入りが顔を出すもので。次の日の仕事の準備を済ませてパジャマを用意して風呂へと向かう直前にポスターに着目して電気を消す。暗闇の中に先程までそこにいた猫の姿はなく代わりに犬の輝きが見られた。それを見つめること数十秒、固まった思考や身体をほぐすような癒しに包まれながら部屋を後にして一日の疲れを、穢れのように纏わり付いてくる湿りの感触を落とすべく風呂に入り、体を洗う感触をいつも以上に強くこすりつけて感触の上書きを施し心情までを色替えして温まりそのまま上がって枕と毛布の温もりに身を預けた。



 会社の中では特にいつもとは変わらない日常を過ごし続けていた、ある一点を除いては。いつも久利の方へと一番に駆け寄って話しかけてくれる人物がいない。常に会社のことなど考えていないのだろうと言った姿に苦笑を覚えつつも楽しく会話を弾ませているものだが今日に関しては存在そのものが失われたように思えてしまう。社会の隙のない回転は見当たらない人間一人など必要とせずに回り続けている。容易く埋めることの出来るパーツ、人間など初めからその程度のものだと思い知らされた瞬間、上司からの呼び出しがかけられすぐさま応じる。

「久利、今日はあいつがいない分しっかりと頑張りたまえ」

「はい」

「正直少し働きやすいだろう」

 その言葉に返す言葉が見当たらない。言い淀んでしまう要素、人間一人の存在を否定したような言葉を持ち込まれるのはうんざりだったものの彼らはそのような心情など頭に入れようともしてくれない。

「はい」

 嘘を吐いた。上からかけられる無自覚な圧は同調以外の何物も求めていない事など明らか。世間を無難な形で渡るには必要な事だと理解しているものの実行しては胸を刺す痛みがどこからか飛んできてしまうものだ。

 それからの心境を問われれば地獄と答える他なかった。虚しさと呼ばれるものが空気が満たして息苦しさを感じさせる中で罪悪感がこちらを指して責め立て続けるといった環境はあまりにも重々しい。それこそ彼らからの期待の重さなど重りの一つにもならない程の、感じ取らせない程のものでしかないと錯覚させる重々しさ。全てを誤魔化し素早く手を動かして必死に歩みを刻み続けている久利のことを評価する人物まで現れ始めまさに不快。様々な意味で彼の存在が必要だと思い知らされていたその時、新たな不穏が湧いてしまう。今まで殆ど見られなかった新しい期間という事実に目を細めずにはいられなかった。いつもの振る舞いが出来ていたのは心を許した彼がいたためだと改めて個人的な事情による一人の人間の重要性を感じながら電子情報を映し出す板にてチャットを開いて励ましの言葉を送る。

「風邪なんだって聞きました。ゆっくり休んで復帰して下さい」

 送ってすぐに読まれることは考えていない。そんな考えを抱きながらスマホをポケットに仕舞う久利を裏切るように通知音が鳴る。寝付けないのだろうか、心配を抱きつつ画面を開く彼に微笑みが舞い降りた。

「なんだよそれ」

 画面に表示されたことによれば今の彼は即興で獲得した休日満喫中とのこと。強がりは痛々しく刺さりながら巻き付いてしまう。今度こそスマホをポケットに仕舞い込み仕事に励むこととした。

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