第74話 愚弟が、来たようだ
午後のテラスは穏やかなはずだった。
……第二皇子が来るまでは。
庭園に面したテラス。
日除けの下を、風がゆっくりと通り抜けていく。
夏の光が白い卓に落ち、茶器の縁を白く照らしていた。
丸卓の上には、白磁のカップと焼き菓子。
甘い香りが風に溶け、庭園の花々が静かに揺れている。
ラミアはそっとカップを持ち上げた。
淡い色のドレスが風を受け、髪がふわりと揺れる。
向かいでは、皇太子が背もたれに軽く身を預けている。
艶やかな黒髪が光を受け、涼しげな目が細められていた。
ロエルは椅子に深く腰掛け、肩の力を抜いたまま茶を口に運ぶ。
「……そう。ユアン嬢が」
皇太子がラミアに穏やかな笑みを向ける。
ラミアはぱっと顔を上げた。
「はい。ユアン様は、とても分かりやすく教えてくださいます」
そのまま、嬉しそうに続ける。
「お兄様が滞在中、ユアン様ともご一緒できると良いですね」
屈託のない笑顔。
皇太子は一瞬だけ視線を外し、それから柔らかく微笑んだ。
「……そうだね」
「お兄様とロエル様が仲良くなられて嬉しいです」
ラミアは心からそう思っている様子で微笑む。
その直後。
ロエルが、ごく自然に手を伸ばした。
口元に笑みを浮かべたまま、
ラミアの頭を、当たり前のように撫でる。
ゆっくりと。
慣れた手つきで。
ラミアも嬉しそうに目を細める。
――そこへ。
テラスに続く室内の扉が開いた。
ルードとキドが、揃って足を止める。
「あいつは皇太子殿下の前で何してるんだ……!?」
声を潜めたつもりが、まったく潜んでいない。
「あれ、大丈夫なんですか!?」
キドはすでに顔色が悪い。
片手が無意識に胃を押さえている。
「……ルード様の管理不足を問われません?」
「何!?」
ルードが振り向く。
キドは真顔のまま続けた。
「ロエル様をこの城に置くと決めたのも、騎士団入りを許可したのも、ルード様ですよね?」
「……」
「つまり管理責任は――」
「俺か……」
雷に打たれたように固まるルード。
その横で、キドは壁に手をついた。
もう逃げ場を探している顔だ。
その気配に、テラス側が振り向いた。
「何してんだ?」
ロエルは特に気にした様子もない。
「お前のせいだろ!」
ルードが即答する。
ロエルはきょとんと首を傾げる。
「?」
「どうした、ルード。入口で固まっているな」
皇太子がわずかに首を傾けた。
「実は――」
説明しかけた、その時。
庭園の奥から声が飛んだ。
「おい!! ロエル!!」
全員の視線が向く。
第二皇子が、露骨に不機嫌な顔で立っていた。
靴音も隠さず、まっすぐこちらへ歩いてくる。
「なんでそいつと仲良く茶なんてしてるんだ!?」
「え? 何かダメでした?」
ロエルは本気で分かっていない顔をする。
「俺と、態度違ぇじゃねーか!!」
「いや、俺、第二皇子殿下にお茶に誘われたことないですよ?」
ロエルが首を傾げる。
「……」
確かにそうだ。
第二皇子は言葉を失う。
キドが小さく呟いた。
「論破されましたね……」
「黙ってろ」
ルードが即座に返す。
皇太子が小さく息をついた。
「相変わらずだな。ここまで声が届く」
軽い口調。
だが視線がわずかに細まる。
「公爵家に何か用かな?」
第二皇子がにやりと笑う。
「来てると聞いてな。隣国では強くなれたか?」
皇太子は肩をすくめる。
「外交で赴いただけだ。修行に行ったわけではないよ」
口元には笑みが浮かんでいる。
だが、目だけは笑っていなかった。
「俺は公爵家騎士団と合同稽古してな。腕試ししたい所だったんだ。」
空気が変わる。
さっきまでの午後の静けさが、嘘みたいに消えた。
それを察したのは、ルードとキド、そしてロエルだけだった。
キドが小声で呻く。
「胃薬……持ってくればよかった……」
「持ってても効かん」
ルードが低く返した。
「お兄様もご一緒に――」
ラミアが無邪気に声をかけようとした瞬間。
「ラミア」
視線を向けさせ、そのまま立ち上がる。
ロエルはラミアを見下ろし、柔らかく笑った。
「行こう」
「ロエル様?」
「散歩しよう」
「はい」
ラミアは素直に頷いた。
ロエルは自然に肩へ手を添え、室内へと促す。
すれ違いざま、キドと目が合った。
ロエルはにっこりと笑う。
穏やかで、実に爽やかな笑みだった。
(押し付けたな)
――しかも清々しい顔で。
キドは無言で天を仰いだ。
「では、お兄様方、後ほど」
笑顔のまま去っていく。
扉が閉まる。
一拍。
静寂。
――直後。
鈍い音。
椅子が滑る音。
何かがぶつかり、
食器が盛大に割れる音が続いた。
キドは目を閉じた。
「……始まりましたね」
ルードは額を押さえた。
「始まったな」
さらにもう一度、派手な破砕音。
キドがぼそりと付け足す。
「……あの、これ終わりあります?」
ルードは遠い目をしたまま答えた。
「ない」
庭園には、変わらず静かな時間が流れていた。
音の出所だけを除いて。
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