第73話 静かな時間も悪くないだろう?
静かなはずの休憩は、何故か周囲だけが疲れていた。
執務室
昼下がりだというのに、空気はやけに重かった。
書類の山。
開け放たれた窓。
静かな室内。
――にもかかわらず、空気だけがどんよりしている。
机に肘をつき、ルードが深く頭を抱えていた。
「何故、突然来るんだ。
皇太子にしても第二皇子にしても。」
とにかく声が重い。
「別によくね?」
「……」
「ルード様が光栄、なんて言うからですよ!」
対面では、キドが同じように顔をしかめている。
「仕方ないだろう!
迷惑です。お帰りください、なんて言えないだろ!」
「言わなくていいじゃん」
「……」
「それはそうかもしれませんが、何とか理由をつけて滞在くらい避けられたでしょう!!」
キドがさらに追い打ちをかける。
「何か問題か?」
「……」
「……」
「……?」
二人は、ゆっくりロエルを振り返った。
「……どうした? お前」
「……変ですよ?」
信じられないものを見る目だった。
「何がだ?」
ロエルは首を傾げる。
口元に笑みもない。
ただ、本気で分かっていない顔だった。
ルードが眉を寄せる。
「……本気でそう思ってるのか?」
「だから何だよ?」
むしろ面倒そうな返事だった。
キドが目を見開く。
「皇族ですよ?!
いるだけで、こちらは気を使うんです!!」
「今更じゃね?」
あっさり。
「ラミアも皇族だろ」
「それとこれとは違います!!」
思わず机を叩くキド。
書類が一枚、ひらっと床に落ちた。
誰も拾わない。
ルードが改めてロエルを見る。
「……お前、第二皇子の事は嫌がってなかったか?」
「あれは、うるさいだろ」
即答だった。
「……それだけ、ですか?」
キドが半信半疑で聞く。
「……?」
ロエルは本気で不思議そうにする。
少しだけ考えて、
「……今日は静かだったしな」
それだけ言った。
沈黙。
説明になっていない。
全然なっていない。
ルードとキドは顔を見合わせる。
(理由、それだけか?)
(それだけなんですか……?)
だがロエルはもう興味を失ったように窓の外を見ていた。
完全に話が終わっている態度だった。
キドは軽く頭を振った。
「とにかく、報告くらいしてくださいよ!」
「皇太子殿下を迎える準備なんて
こっちは何もしてなかったんですから!!」
「あー、悪かったな」
あっさり返ってきた。
「え」
キドが固まる。
(……今、謝った?)
ルードも固まる。
(素直に?)
しばらく誰も喋らなかった。
――逆に怖い。
床に落ちた書類だけが、まだ放置されていた。
ルードとキドは、それ以上何も聞けなかった。
室内には、妙に納得できない沈黙だけが残った。
初夏の陽射しは、まだ柔らかいはずだった。
だが中庭に降り注ぐ光は思いのほか強く、石畳がじんわりと熱を帯びている。
その一角――建物の影が落ちる場所に、小さな円卓が置かれていた。
湯気の立つ茶器。
簡素な焼き菓子。
飾り気のない、ほんの短い休憩用の設え。
そこに並んで座っているのは、皇太子と、ロエルだった。
「……静かだな。悪くない」
皇太子がぽつりと言った。
「そうですね」
ロエルが答える。
それ以上、続かない。
ロエルは話題を探そうともしない。
勧める様子もない。
もてなしている気配もない。
ただ茶を飲む。
皇太子も同じように飲む。
成立していた。
完全に成立していた。
少し離れた回廊の影。
控えていた女官たちが、声を潜めている。
「……会話、なさらないのですね」
「ですが……成立しております……」
困惑しているはずなのに、誰も目を逸らせない。
「皇太子殿下も、ロエル様も……」
「並ばれると……」
「ええ……まるで絵画のようです……」
思わず、ため息が漏れた。
卓の側では、やはり会話は続かない。
沈黙のまま、茶だけが減っていく。
そこへ。
回廊の奥から慌ただしい足音が響く。
「――いたぞ!」
ルードだった。
後ろからキドも続いてくる。
「本当にこちらに……」
言いかけて、二人は揃って足を止めた。
視線の先。
皇太子とロエルが並んで座っている。
ただ茶を飲んでいた。
……本当に、それだけだった。
ルードは数秒黙ったまま、その光景を見つめる。
「……何してるんだ?」
ルードの声が低く落ちる。
「休憩」
ロエルは視線も動かさず答えた。
「休憩……?」
キドが思わず聞き返す。
皇太子は静かに茶器を傾ける。
「少し時間を借りているだけだよ」
穏やかな声だった。
沈黙。
キドとルードは顔を見合わせ、少し離れた所から二人を眺めていた。
「……会話、止まってません?」
「止まっているな」
「……喧嘩では?」
「違う」
「気まずいのでは?」
「違う」
一拍。
「……高度な政治ですか?」
「違う」
女官がさらに小声で混ざる。
「先ほども、数十分ほど同じ姿勢で……」
「数十分!?」
キドが素で驚いた。
「すごくないですか!?」
「何がだ」
「普通どちらか耐えられなくなりますよ!」
卓では。
皇太子が茶を飲む。
ロエルも飲む。
成立していた。
キドは卓を見つめたまま呟く。
「……第二皇子殿下の時と、空気違いません?」
「違うな」
ルードは間を置かず頷いた。
第二皇子なら、
この円卓はすでにひっくり返っている。
⸻
皇太子がふとロエルを見る。
「……君は、こういうのが苦にならない性分かな」
「嫌いじゃないですね」
それで終わる。
キドは混乱した。
「終わりましたよ!?」
「終わったな」
「話題広げないんですか!?」
「広げる必要がないんだろう」
控えていた女官が、ぽつりと漏らす。
「……あの距離感、理想では……」
「何の理想だ」
再び沈黙。
風は、まだ吹かない。
ルードは額を押さえた。
「……仕事に戻るぞ」
「はい……」
キドは去り際にもう一度だけ振り返る。
まだ座っていた。
まだ飲んでいた。
まだ成立していた。
「……あれ、何なんですか」
「知らん」
残された卓では、
やはり何も変わらなかった。
茶を飲む音だけが、
ゆっくりと続いていた。
お読みいただきありがとうございます。




