第12話(番外編 : G戦場のラミア )
公爵家に滞在中の皇女ラミアの私室から、突然響いた悲鳴。駆けつけた当主補佐キドが目にしたのは、刺客でも陰謀でもなく――皇女が「見たことのない虫」と呼ぶ、ある存在だった。なぜか「神の御使」として扱われるそれを巡り、女官、騎士団、侯爵家嫡男までを巻き込んだ公爵家史上、最も口外できない一日が始まる。これは、決して記録には残らない、だが確かに戦場となった日の物語。※本作は一話完結のコメディです。本編を知らなくても楽しめます。
公爵家で当主ルードの右腕を務めるキドは、静かな廊下を足早に歩いていた。
皇女ラミアが滞在してから、すでにしばらく経つ。
屋敷の空気も、使用人たちの動きも、すっかり“皇女仕様”に慣れきっている頃だった。
本来なら、ここに侯爵家嫡男ロエルの姿もあるはずだ。だが彼は今、所用で一時的に屋敷を離れている。
(……平和だな)
キドはそう思った。
思ってしまった。
その瞬間だった。
皇女殿下私室の方向から、屋敷を切り裂くような悲鳴が響いた。
「キャーッ!」
反射的に足が止まり、次の瞬間には走り出していた。
悲鳴が上がった場所は、先日から滞在している皇女ラミアの私室。
(何があった? 刺客か?)
いや、ありえない。
帝国の剣とまで呼ばれるこの公爵家で、しかも皇女の私室だ。警備に抜かりはない。
キドは扉の前で一瞬だけ息を整え、即座に開け放った。
「どうされました? 緊急事態と判断し、お部屋に立ち入ることをお許しください」
室内では、皇女ラミアと女官たちが固まるように震えていた。
「あ、あの……見たことのない……その……虫? が……」
ラミアはおずおずと口を開く。
「……虫、ですか?」
「お前たちは何をしている? 早く対処しろ」
キドは冷たい視線で女官たちを叱責する。
「で、でも……私、無理です」
「わ、私も……」
女官たちは怯えながら視線を逸らした。
「……?」
キドは首を傾げる。
「一体何だというんだ。どこだ? 俺が片付ければいいんだな?」
「は、はい。お願いします」
女官が指差した先――
そこにいた。
カサカサと不規則に動くその虫。
いや、虫と呼ぶのも憚られる。昆虫の一員に数えるのは、昆虫に対して失礼と言っていい。
キド
(!!)
まずい。
こんなものが皇女殿下の私室に現れたと知られたら――。
顔色を失ったキドは、とっさにラミアへ向き直った。
「殿下。これは……神の御使と呼ばれる存在です」
女官たちが一斉に困惑の表情を浮かべる。
「まあ……それはとても縁起が良いですね」
ラミアは安堵したように微笑んだ。
「私、失礼にも怖がってしまいました」
「確かに、先ほど拝見したお姿は神々しく、艶やかに光っておりましたね。それに頭には……」
「キャーッ!」
女官は、その先を聞きたくなかったのだろう。両耳を塞いだ。
「お前たち! 不敬だぞ!」
「キド様も耳、塞いでるではありませんか!」
互いに耳を塞ぎながら、大声で言い合う異様な光景。
「……私は、何かいけなかったのでしょうか」
ラミアは戸惑いながら尋ねた。
「殿下は何も悪くありません!」
キドは即答する。
「悪いのは……神だ。この御使をこの世に生み出した神。そうだな? お前たちが清掃を怠ったわけではないな?」
「はい、決して!」
「殿下は悪くありません。悪いのは……」
「あ、あの……そのご発言は……神への冒涜には当たりませんか?」
ラミアが心配そうに口を挟む。
「…………」
沈黙。
口を開いたのは女官だった。
「神の御使を怒らせてはなりません。御使は時に祟りを与えると……」
嘘に嘘が重なっていく。
「そうです、殿下」
キドは力強く頷いた。
「ここは自分が引き受けます。お前たちは殿下を」
「命に代えましても」
真剣なふりをする一同。
だがその甲斐あって、ラミアを庭園へ避難させることに成功した。
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ラミアが庭園で穏やかにお茶を楽しんでいる頃。
公爵城内では。
「敵の侵入経路の発見を急げ」
「一匹たりとも、この公爵城に足を踏み入れることは許さん」
「は、騎士の名誉にかけまして!」
そこは、完全に戦場だった。
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庭園に影が落ちる。
「まあ、ロエル様。侯爵家へお戻りになっていたのでは?」
「用事、思ったより早く終わってさ」
侯爵家嫡男ロエルは、柔らかな笑みのまま周囲の異変を察した。
「……何かあった?」
「ロエル様、私、先ほど神の御使様にお会いしましたの」
ラミアは眩しいほどの笑顔で語る。
「とても光栄でしたわ」
女官たちは一斉に目を逸らした。
「……神の御使い?」
「はい。私の私室を訪れてくださったのです。烏の濡れ羽色のように日を浴び、神々しく……」
「ヒィッ!」
女官が耳を塞ぐ。
「……それって、もしかして……」
「聞きたくないです! その名前を!!」
ロエルは苦笑し、ラミアは不思議そうに微笑んでいた。
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公爵城・執務室。
「皇女の部屋に出たのは問題だが、騎士団まで動員するのは大げさすぎないか?」
腕を組むルードに、キドは胃を押さえた。
「殿下が“見たことがない”と仰ったんです。
つまり皇宮には出ない。あれだけ広いのに」
「……まずいな」
「このことが陛下のお耳に入れば……」
「緘口令を引け。第一級機密だ」
「へぇ。楽しそうだね」
声の主に、二人は振り向く。
「ロエル……」
「皇女を騙した件、罪になるかなぁ?」
「脅すつもりか?」
「脅してもいいのー?」
ロエルは楽しそうに笑う。
「歴史に残るかもね?」
「ええ、どうぞ」
キドが真顔で言った。
「そうなれば称えて差し上げましょう」
「よっ! ゴ⚪︎⚪︎⚪︎侯爵」
「やめろ!」
「よっ! ゴ⚪︎⚪︎⚪︎」
「お前は爵位すら消えてるぞ!!」
ロエルはついに観念した。
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皇宮。
「ラミア、最近はどう?」
「神の御使様にお会いしました」
その言葉を訝しみ、皇帝は静かに手を上げた。
「公爵家を調べよ」
影は命を受け、闇へと溶けていった。
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数日後。
調査報告書は、極めて簡潔だった。
『対象は確認できず』
『神性なし』
『虫類に分類される可能性が高い』
『正式名称は――』
皇帝はその一文を読み、手を止めた。
「……書かなくていい」
「陛下?」
「いいから書くな」
皇帝は深く息を吐いた。
「この件は、なかったことにする」
「しかし記録上――」
「残すな。絶対にだ」
その日のうちに、
公爵家第一級機密は「皇宮指定・存在しない事件」に格上げされた。
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後世。
歴史書の片隅には、こう記されることになる。
公爵家滞在中の皇女ラミアは、
ある日「神の御使」に遭遇したと語ったという。
その詳細は不明。
ただし当日、公爵家では騎士団が全力で出動し、
侯爵家嫡男が笑いをこらえ、
当主補佐が三日間寝込んだと伝えられている。
歴史家たちは、この事件をこう呼んだ。
――G戦場のラミア。
そして公爵家の愉快な者たちは、
この名が後世に残ることを、
まだ誰も知らなかった。
お読みいただきありがとうございます。
先日、人生で初めて御使=Gと対決。戦いは2時間に及びました




