82話 vs 水精霊②
天城ひなたは前へ出た。
水精霊は左右に割れながら迫ってくる。
だが、二つに見えても流れは一つだった。
右が先に崩れる。
左が遅れて寄る。
その全部が、同じ場所へ戻ろうとしている。
大鎌を振る。
形を刈らない。
戻る先を横から断つ。
水が弾ける。
手応えは浅い。
それでも今までとは違った。
散った飛沫が、一瞬だけ戻れずに空中で迷う。
全部、そこに引かれている。
水精霊が腕を広げる。
周囲の水帯が一斉に走る。
軌道がずれる。
一度目が通り過ぎ、遅れて同じ軌道が戻ってくる。
ひなたは踏み込んだ。
一つ目をかわす。
二つ目を大鎌の柄で受け流す。
三つ目が半拍遅れて脇腹を打った。
息が詰まる。
足が流れる。
踏んだ位置がずれる。
さっきまでの場所に、遅れて水槍が突き立つ。
怖い。
見えているのに、合わない。
避けたはずの場所に、後から攻撃が重なる。
時間ごと引き戻されるみたいに、軌道が重なってくる。
それでも、分かる。
この相手は刈っても減らない。
崩しても終わらない。
戻る場所が残っている限り、何度でも形を作り直す。
だから断つのは、そこだ。
ひなたは深く息を吸う。
大鎌の刃先を少しだけ下げる。
水精霊そのものではなく、その奥を見る。
足元を回る水の帯。
散った飛沫。
崩れた腕。
全部が、ほんの一瞬だけ同じ一点へ引かれていた。
水精霊がまた崩れる。
肩がほどける。
首が落ちる。
胴が裂ける。
だが、消えない。
戻る。
全部、そこに戻る。
ひなたは床を蹴った。
正面ではない。
半歩外す。
さらに半歩ずらす。
遅れて、さっきまで立っていた場所を水槍が貫いた。
今だ。
大鎌を振る。
一点へ向けて、斜めに。
水精霊の胸ではない。
その後ろ、何もないはずの空間へ。
水が裂けた。
初めて、戻りが止まる。
輪郭がぶれる。
人型が一瞬だけ崩れる。
視界の端にカメラが滑り込む。
ひなたを映し、すぐに引く。
コメントが流れる。
「そこなの!?」
「本体じゃないのかよ」
「今の止まった!」
ひなたは答えない。
呼吸を整える。
視線を外さない。
水精霊が膨らむ。
周囲の水が持ち上がる。
圧が増す。
逃げ場がなくなる。
次の瞬間、全部が落ちた。
上。
横。
足元。
さらに遅れて、同じ場所へもう一度。
ひなたは走る。
一歩目をかわす。
二歩目で床がずれる。
着地が噛み合わない。
三発目が来る。
受けるしかない。
大鎌の柄で受ける。
重い。
腕が痺れる。
さらに遅れて、もう一度衝撃が返る。
同じ軌道。
同じ重さ。
今度は肩へ入った。
ひなたの体が吹き飛ぶ。
床を転がる。
視界が揺れる。
それでも、手放さない。
大鎌だけは離さない。
仰向けのまま、水精霊を見る。
輪郭は揺れている。
だが、さっき断った場所だけ戻りが遅い。
そこだ。
頭じゃない。
身体が先に理解する。
ひなたは立ち上がる。
膝が震える。
脇腹が痛い。
肩が重い。
それでも、止まらない。
息を吐く。
吸う。
整う。
力を込めない。
振りかぶらない。
無駄が、消える。
ひなたは小さく息を吐いた。
「……これなら、届きます」
水精霊が正面から来る。
崩れながら。
増えながら。
遅れて戻りながら。
ひなたは形を見ない。
流れだけを見る。
戻る一点。
そこに、重なる。
一歩。
半歩。
踏み込んだ瞬間、足元の床が砕けた。
空気が押し潰される。
重さが一瞬だけ集まる。
次の瞬間、すべてが消える。
最短。
『月刈・断』
大鎌の刃が、低く弧を描いた。
音は遅れて消える。
衝撃もない。
ただ、水精霊の中心だけが切り離された。
輪郭が崩壊する。
腕も胴も頭も、ばらばらにほどける。
だが今度は戻らない。
散った飛沫が一点へ集まれない。
ぶつかり合い、形を失う。
水のまま落ちる。
ただの水になって、足場へ広がる。
終わりが見える。
だが、水がまだ動く。
残った流れが、無理やり形を作ろうとする。
ひなたは迷わない。
崩れた中心へ踏み込む。
残った一点へ、もう一度だけ刃を入れる。
大鎌の内刃が水柱を引っ掛け、そのまま横へ刈り払う。
水柱が割れる。
内部から白い泡が噴き上がる。
遅れて、すべてが崩れ落ちる。
今度こそ、戻らない。
水精霊は足場に広がり、そのまま光を失った。
揺れていた輪郭も、遅れて来る衝撃も、すべて消える。
ひなたはその場に膝をついた。
呼吸が荒い。
腕が震える。
それでも、顔を上げる。
カメラが戻る。
コメントが流れる。
「今の何!?」
「速すぎて見えなかった!」
「一撃で終わったぞ」
ひなたは中央空域を見る。
その瞬間、ルナリアの周囲で空間が軋んだ。
距離が歪む。
足場の位置が一瞬だけずれる。
遠くが近くなり、近くが遠ざかる。
歪みが、明確に増えている。
ひなたはゆっくり立ち上がる。
大鎌を握り直す。
息を整え、短く言った。
「……もう外しません」




