55話 みつけた
次の足場へ飛んだ瞬間、風向きが消えた。
横から押していた流れが途切れる。
消えたと思った直後、今度は下から突き上げられた。
身体が浮く。
着地の感覚がずれる。
靴裏が石を捉えたはずなのに、重心が乗らない。
滑っているわけじゃない。
立っている位置そのものが、わずかに横へずれている。
踏んだ場所と、身体の位置が一致しない。
嫌な感覚だった。
崩壊とは違う。
もっと根本的に、何かが狂っている。
足場に乗っている。
それなのに、落ちている感覚だけが残る。
重さと接地が噛み合わない。
一瞬、呼吸が止まる。
肺が空気を取り込むのを拒んだみたいに、動きが遅れる。
ひなたが体勢を崩しながら叫ぶ。
「ちょ、待って!
風、おかしくない!?」
凛が低く返す。
「横だけじゃない」
雪那が静かに言う。
「下からも来てる」
その直後、上が落ちてきた。
空が反転したみたいだった。
頭上の浮遊島が、重さを持って沈む。
落ちる方向が一瞬だけ切り替わる。
身体が引かれる。
胃が浮く。
視界の端で、追尾カメラが大きく揺れた。
足場の縁が削れる。
触れていない場所が、風に剥がされるように崩れていく。
コメントが流れる。
「何今の」
「重力バグってるだろ」
「画面酔いする」
「見てるだけで怖い」
俺は前を見る。
崩壊の順番はまだ読める。
右端から落ちる。
中央が遅れて沈む。
左が一瞬だけ残る。
だが、それだけじゃ足りない。
飛ぶ瞬間に、風が身体を外してくる。
着地の直前だけ重さが変わる。
安全な位置へ入る一歩を、わずかにずらされる。
偶然じゃない。
ひなたが飛ぶ。
距離は足りていた。
踏み込みも問題ない。
それなのに、空中で軌道が歪んだ。
横風じゃない。
下から押し上げたあと、斜め後ろへ引かれる。
身体が足場の端へ流れる。
「ひなた、左!」
「っ、届か――」
言い終わる前に足が空を切った。
着地が半歩ずれる。
端を踏む。
そこが砕ける。
落ちる。
凛が踏み込む。
腕を伸ばす。
届かない。
雪那の氷が走る。
「氷糸結界」
空中に張った糸へ、ひなたの身体が引っかかる。
だが、止まり切らない。
風がさらに押す。
糸ごと流そうとする。
俺は足場を見る。
今いる場所はもう死んでいる。
三秒も持たない。
次の足場も中央が抜ける。
使えるのは左端だけ。
そこへ運ぶには、次の風を使うしかない。
「雪那、糸を上げて。
凛、引くな。
次の風で押し戻す」
凛が即座に止める。
「分かった」
雪那が角度を変える。
「上げる」
風が来る。
右下から。
その瞬間、俺は言う。
「今」
糸が跳ねる。
ひなたの身体が押し戻される。
ぎりぎりで左端へ叩きつけられた。
転がる。
それでも落ちない。
ひなたが息を荒げる。
「今の、狙ってやってるでしょ……!」
その言葉で、違和感が形になる。
狙っている。
風に周期はない。
強弱にも規則がない。
なのに、落ちる瞬間だけ正確すぎる。
踏み込む直前。
着地の瞬間。
そこだけ、必ずずらされる。
自然現象の精度じゃない。
コメントが止まる。
一瞬だけ、全部消える。
次の瞬間、同じ言葉が連続で流れた。
「右」
「右」
「右」
「右」
背中が冷える。
揃いすぎている。
タイミングも同じだ。
しかも、右は罠だ。
次の足場の右端は見た目だけ残っている。
重力の切り替わりで最初に外れる。
「踏むな。
右は落ちる」
凛が止まる。
直後、その場所が消えた。
ひなたが顔を強張らせる。
「今のコメント、見えた」
「俺も見た」
凛の声は短い。
雪那は視線を細める。
「気持ち悪い」
風が散る。
今度は真下が消えた感覚が来る。
全身が一瞬だけ軽くなる。
次に、頭上から叩き落とされる重さ。
膝が沈む。
骨が軋む。
凛が踏み込む。
だが、踏み切った瞬間に正面から押し戻される。
距離が消える。
今までなら抜けていた。
それを許さない角度で、押し返している。
「……風じゃない」
口に出した瞬間、確信になる。
これは流れじゃない。
位置をずらしている。
落とすために、必要な瞬間だけ触れている。
「誰かが、触ってる」
指先がわずかに冷える。
寒さじゃない。
もっと内側から来る、嫌な感覚だった。
雪那が氷を広げる。
「足場、作る」
氷の板が三枚並ぶ。
一枚目は削られる。
二枚目は傾く。
三枚目だけが残る。
完全じゃない。
それでも、数秒は持つ。
全員が飛び込む。
氷が軋む。
白い霜が広がる。
ひなたが膝に手をつく。
「もう無理なんだけど、この迷宮」
凛は前を見る。
「無理でも進む」
雪那が周囲を読む。
「次、強い」
分かっている。
風じゃない。
意図が濃くなっている。
俺は追尾カメラを見る。
カメラが、俺たちを見ていない。
ゆっくりと上を向いている。
何もない空。
そのはずの場所に、視線だけが引っかかる。
映像がわずかに揺れる。
コメントが止まる。
次の瞬間、画面の端に一行だけ残った。
「みつけた」
流れない。
消えない。
ログにも残らない。
存在だけが、そこに残っている。
風が止む。
重力も戻る。
静寂が落ちる。
その中心に、気配だけが残る。
敵意じゃない。
観察するような、冷たい視線。
人のものだ。
その瞬間、喉の奥が強く締まる。
ほんの一瞬だけ。
女性の気配がした。
助けを求めているようで、
それでいて、落とそうとしている。
矛盾した違和感。
消える。
何もなかったみたいに。
だが、確かにいた。
俺は上を見たまま、息を吐く。
「……今、見られた」
「人だ」




