一世一代
「で、殿下!?」
「皆、滞在楽しんでいたか?」
お茶会後、晩餐の席に現れたのは、レイ王国の クレメンス殿下であった。後ろにはアイザックも控えている。彼らは皇宮内にある王族用のエリアに滞在することになっており、今日迎賓館に来ることは知らせていない。そのせいで、今厨房は戦場と化していた。
厨房からお皿が割れる音やら怒号やら色々聞こえてるけど、中の人達大丈夫かしら…。こんなに聞こえてきて心配になるわ…どうか、殿下のせいで怪我をする人が出ませんように。
…はっ!
殿下がここにいるということは、もしや…
エルザは勢いよく入り口を見た。
「ああ、安心してよい。オルドは連れて来ていない。今回は国賓として招かれているからな、ちゃんと近衛師団を連れて来ている。」
それを聞いてほっと胸を撫で下ろすエルザ。
別に兄に会いたくないわけじゃないけど…
ここにいたらまたメンシスがいじめられそうだし、話ややこしくしそうだし、なんかトマス皇子と会わせたらめんどくさいことになりそうだし、今回は同行してなくて安心したわ…
「私たちは明日の夜会後すぐにこちらを立つことになる。だから、その前にここに寄ったのだ。明日は終日公務で忙しいからな。せっかくだから、私たちも晩餐をともにして良いか?」
「もちろんですわ!トマス皇子は生憎いらっしゃいませんが、私たちで良ければせひ。」
その頃、ルシアにこっぴどく叱られたトマスは、名誉挽回のため、必死に公務に打ち込んでいた。反骨精神に火が付いたらしい。
しばらくして、涼しい顔をした給仕係が殿下達の分の料理も運んできた。先ほど聞こえて来た喧騒が嘘のようだ。
今日は通常のフルコースだったが、殿下がいたからか、デザートと食後のお茶は皇国のものだった。殿下は食べ慣れているものらしく、相変わらず上手いなと賛辞の言葉を口にした。
厨房から今度は、人が倒れたり調理台に手を付いたりするような音が聞こえて来た。感極まったらしい。何とも騒々しい人達である。
エルザは厨房の方を見て心配しつつも、すぐに、美味しそうな菓子とお茶に興味を持っていかれた。
「エルザ嬢、少しだけ良いか?私が皇宮へ戻る道すがら少しだけ話をしたい。もちろん、帰りは守衛に送らせる。」
いつになく真剣な瞳がエルザのことを捉えていた。彼女は、一瞬怯み、逃げたくなる。
これは、逃げちゃダメ、、よね。
本当は怖い、知らないフリをしたい、向き合いたくない、そんな臆病な感情で気持ちがいっぱいになる。
でもきっと、私以上に殿下の方が怖いはず。だから、私が目を背けるわけにはいかない。
「ええ、私で良ければ喜んで。」
「感謝する」
皇宮まで戻る道のりはゆっくり歩いて20分ほどだ。今は夏季のため、まだ西陽が差していて暗くはない。今は建国祭で忙しいのか周りが気を遣っているのか、周囲に人の気配はない。石畳で出来た小道を2人並んでゆっくりと歩く。
2人の間に緊張感が漂う中、意を決した殿下が敢えてゆっくりとした口調で話し始める。
「その、話なんだが…私はエルザ嬢のことを慕っている。もちろん一人の女性として。オルドのように上手い言葉は言えないが、君に対する気持ちは本気だ。」
彼はちらりとエルザの顔を見た。
彼女はつい目を逸らしてしまった。
「やはり困らせてしまったか…。どうにも、君を前にすると上手く話せず、この想いを一人で抱え過ぎてしまったようだ。あの時、初めて会ってプロポーズをしてしまった日、衝動に任せてあんなことをせず、己を律して、時間を掛けて親しくしていれば…って何度何度も考えてしまった。後からでも、嫌われることを恐れずにもっと話し掛ければ良かった、そう思ってしまう。本当に情けないな、過去を無かったことになど出来ぬのに。これでは益々嫌われてしまうな。」
「あ、あの…私が言うのは本当に大変烏滸がましいのですが、衝動に駆られて動くのが恋心なのではないでしょうか… 私はそういった感情を抱いたことがまだありません。だから、誰かを想って、抑えの効かない感情を抱くって、少し憧れます。理性が効かないほど思いやれる相手と巡り会えたら、自分の人生が彩られるような気がして…」
はっとしてエルザは口元を手で押さえる。
「ごめんなさい!私だいぶ好き勝手失礼なことを申し上げてしまいましたわね…。自分が恋心を知らず、殿下の想いに応えられないというのに、勝手を言い過ぎました。ご無礼をお許し下さいませ。」
「顔を上げてくれ。気に病むな。私に対する想いが君の中に欠片も無いことは知っていた。それでもこの想いを伝えたかったというのは私の我儘だ。今夜のことは忘れてくれて構わない。君にそんな顔をさせたくて言ったわけではないからな。」
「そんなことはありませんわ!好むものを好むと言うことに我儘などございません。それに私は嬉しかったですから。恋心を知らずに、殿下の気持ちに応えられないことは恥じるばかりですが、そんな私でも好ましいと仰って頂けたこと、それは私の人生の宝物ですわ。いつか殿下が好ましいと言ってくれた、殿下から見た私に相応しい自分になりたいと思いますの。」
「ありがとう。そう言ってもらえて、君を想っていて良かったと心の底からそう思う。しかし、君は、恋心を知らないと言うが、いるだけで落ち着く相手、自分が何かしてあげたいと思う相手、また話したいと思う相手、そんなヤツは思い浮かばないか?心を乱すだけでなく、安心させて安らぎを与えてくれる恋もあると思うぞ。だからそう無闇に自分を卑下するな。」
「安心出来る恋…それは考えたこともありませんでしたわ。ずっとドキドキして抑えられなくて衝動で動くものだけが恋だと思ってましたの。私はまだまだですわね…」
「きっと、視野を広げればまた違ったものが見えてくるだろう。」
「ありがとうございます、殿下。私が慰めて頂きましたわ。やはり、お優しいですね。」
「なんともそれは…複雑な気分であるが、ありがたく受け取っておく。」
「ご、ごめんなさい!つい…」
「はは、冗談だ。きっと周りの皆も、君の素直で真っ直ぐなところ、思っていることをきちんと言葉にすることを好ましいと思ってくれているのだろう。エルザ嬢、どうか変わらず、そのまま真っ直ぐな君でいてくれ。振られた身で言うのも烏滸がましいがな。」
殿下はイタズラな笑みを浮かべた。
彼が懸命に明るく努めようとしていることを理解したエルザは、同じように振る舞う。
「あまり揶揄わないで下さいませ!ええ、殿下からのお願いですから、言いたいことはちゃんと言葉にして、素直に生きていきますわ。」
「ああ、それがいい。好ましいと思う相手が現れたら、後悔せぬように気持ちを伝えると良い。私みたいに手遅れになる前にな。」
「殿下ったら、もう!」
最後は、殿下は優しい顔で笑っていた。その顔にもう後悔の念は見当たらなかった。
2人を包む空気に、悲哀も緊張もなく、陽だまりのような温かなものだけが漂っていた。
ようやく描きたかった場面に辿り着きました!
読んでくださった方ありがとうございます!
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まだ続きますので、引き続きどうぞ宜しくお願いします!