挙動不審
八月十二日、日曜日。佑暉はお気に入りのショルダーバッグに、着替えなど実家に持って帰るものを詰め込んでいた。すると襖が開き、笑顔の彩香が顔を出した。
「今日、東京に帰るん?」
「はい」
「これ、お母さんから預かったんやけど。佑暉君のお父さんにお土産やってさ」
彩香はそう言って、丁寧に包装された箱を渡す。黄緑の包装紙の中央に、和菓子屋のマークが大きく記されている。
「ありがとうございます」
「八ツ橋やから、あんま日持ちしいひん。知らんけど」
それだけ言い残すと、彩香は早々に退室していった。佑暉は、出発する前に正美にも礼を言おうと思った。そしてその土産を潰さないように、慎重にそっとバッグの中に詰める。
午後四時十五分。佑暉はバッグを肩にかけ、玄関に行った。
フロントの近くにいた正美が見送りに出てきて、
「行ってらっしゃい。ほな、お父さんによろしくな」
「はい、行ってきます。あと、お土産ありがとうございます。父も喜ぶと思います」
佑暉は玄関の戸を開けると、「気をつけてな」という正美の声を背に受ける。彼は振り返って正美に会釈し、外に出てゆっくり戸を閉めた。
京都駅に着くと、ちらとホームの天井に吊るされた時計を見た。午後五時二分発の東京行き「のぞみ」までは、まだ二十分ほどある。今日から慎二が休暇で家にいると分かっていた佑暉は父に電話をかけたのだが、数コールもしないうちに、スマートフォンの向こうから慎二の声が聞こえた。
久しぶりに休みがとれて羽を伸ばしているのか、息子が久々に帰って来ることが嬉しいのか佑暉には分からなかったが、嬉々とした声音で慎二は語った。
「おう、佑暉か? 確か、五時過ぎの新幹線に乗るんだったよな。そうだ、俺が駅まで迎えに行ってやろう! その後、一緒に寿司でも食いにいかないか? 回る寿司でもいいし、回らない寿司でもいいぞ。今日はお前の好きなところに連れていってやる。何でも好きなのを頼んでいいからな!」
冗談混じりのその声を聞くと、佑暉も頬を緩める。京都で暮らしている間は、早く現在の環境に慣れようと一途に努力してきたが、電話越しでも父と会話しているうちは不安や悩み事を忘れられた。慎二の存在が、彼の心の支えであった。
「分かった、あまり無理しないでね」
佑暉は最後にそう告げると、電話を切った。特に何かを伝えたかったわけではない。だが、それでも電話してしまったのは反射条件のようなものであったかもしれない。
やがて来た新幹線に乗車し、指定席の番号の席に着いた。動き出した車両の窓から外の風景を眺める。
父に会ったら、何の話からしようか今のうちに考えておこうと佑暉は景色を見ながら思う。京都という新しい土地で出会った人々、この五ヶ月の間にあった出来事は彼にとってどれもかけがえのないものばかりであった。
七時二十分頃に東京駅に着き、そこから実家の最寄り駅までさらに電車で五十分ほどかけて行く。到着する頃には八時半を過ぎていた。
電話で慎二と何度かやり取りし、佑暉は無事に父と合流した。父は笑顔で佑暉を迎えると、すぐに彼の頭を撫で回し始めた。しかし人目を気にした佑暉から叱咤され、慎二はやや元気がなくなったように肩を落としていた。
電話であったように、佑暉は父と駅を出て、帰りに寿司屋に寄ることにした。
「何でも好きなのを頼んでいいからな」
夜道を歩きながら、慎二は陽気に笑う。
「お金、大丈夫?」
「ははは、そう心配するな。一日くらい贅沢しても、バチは当たらんだろう」
ことのほか元気な慎二を、佑暉は驚き半分安堵半分で見つめた。
まだ慣れない職場でろくに休みももらえず、働き詰めだったために疲労困憊しているのではないかと心配もしていたが、杞憂だったと知って一先ず胸を撫でおろす。
さらに、慎二は疲れた様子を息子に見せないばかりか、鼻歌まで歌い始めた。
そんな父に佑暉は、
「仕事は大丈夫?」
と、近況について尋ねた。
「なんだ、いっちょ前にそんなこともきけるようになったのか。いいぞ、後でたっぷり教えてやる」
慎二はそう言うと、また無邪気な笑みを彼に見せた。
寿司屋を見つけると、慎二は戸を開ける。店内の冷気が一気に外に放出され、それと一緒に客の話し声も漏れてくる。続いて、酢の匂いが佑暉の嗅覚を刺激した。懐かしい、これは東京の回転寿司店の匂いだと佑暉は思った。
席に案内されると、慎二は味噌汁を二つ注文した。するとすぐに、赤出汁が運ばれてくる。それを見ると佑暉は改めて、「あぁ、帰ってきたのだ」という実感に浸った。
「そう言えば、京都のは白かっただろう。あっちではあれが主流だからな」
慎二の言葉で、佑暉は正美の作る味噌汁を思い出した。京都では白味噌が使用され、それは甘く、心が休まるほどに優しい、それでいてどこか不思議な味だった。
今頃、正美たちもその白出汁を食卓に並べ、同じように食事をしているのだろうかと佑暉が「ふたまつ」に思いを馳せていると、父の声が聞こえた。
「どうした? 全然、箸が進んでいないじゃないか。食欲がないか?」
慎二に声をかけられて我に返った佑暉は、首を小さく左右に振る。
「何でもないよ。ちょっと考え事」
「女将さんは何か言ってたか」
佑暉がふと前を向くと、慎二が真剣な顔で彼を見据えていた。その顔が、佑暉には妙に怖く感じられた。すると彼の意中を察したように、慎二の表情が再び柔らかくなった。
「すまん、べつに戸惑わせるわけじゃなかったんだ。だが、少し気になってな」
そう言いながら慎二は、照れたような仕草で頭をかく。そんな父の言動に若干違和感を覚えつつ、佑暉は答えた。
「お父さんに、よろしくって」
「……それだけか?」
何かを疑るような視線で慎二は佑暉を見つめる。その目を見た佑暉も、とうとう疑問を抱かざるを得なくなる。
「それだけって、何かあるの?」
佑暉が問うと、慎二は気がついたように「いや、何でもない」と首を振った。さらに誤魔化すように、
「あぁ、美味いなあ。久々に来てみるものだな。お、大トロが来たな」
と呟き、巡ってきた皿を手に取ると素手で寿司を掴み、口に運ぶ。父のそんな不自然極まりない行動が、佑暉をまた一段と不安の闇に突き落とした。
「本当に……何もないの?」
「どうしたんだ、お前ももっと食べろ」
慎二ははぐらかすように、佑暉に寿司を勧める。佑暉は父のことを訝しがりながらも、手を伸ばして皿を取った。
しかし、胸の辺りに芽生えたもやもやは増幅し、その感覚がやがて苛立ちへと変わる。でも佑暉は、これ以上のことをきけなかった。生まれてこの方、父に隠しごとをされたという経験は思い当たらなかったが、深く追求すればするほど、深く傷ついてしまうような気がした。そして、それを父も理解しているのではないかという気さえした。
店を出てからも、佑暉は俯いたまま口を開かず、慎二の隣を歩いていた。慎二は家路を歩きながら、佑暉に仕事の話を聞かせた。プログラマーとして現在、新しいプロジェクトに携わっていること、以前同じ会社で一緒だった同僚とまた同じ部署になったこと。慎二は他にも様々な話をしたが、佑暉はやはり店でのことが気になり、そのことで悶々と頭を悩ませていた。
慎二も、途中から佑暉が聞いていないと分かったのか黙ってしまった。結局、帰宅する頃には互いに無言だった。




