祇園祭 宵山③
多種多様な山鉾が様々な通りに屹立する中、一層佑暉の心に印象づけるものがあった。それは新町通にどっしりと居座り、ちょうど綾小路通と仏光寺通の中間に位置していた。船を象った鉾は、その見た目の通り船鉾という名称で知られる。船首には、金色の鷁(中国の想像上の鳥、船首によく置かれる)が突き出し、船体を覆う絨毯は太古の昔に織られたとは思えないほど、精緻かつカラフルな意匠。船の下部は、赤と緑の無地の布で上下二段に覆われている。
あまりに見事で荘重にも思える、その造形美に佑暉は心を強く奪われ、いつまでも眺めていたいという感情に囚われたが、すぐ背後から雪崩のように次々と見物客が押し寄せてきているため、止まるわけにはいかない。
船鉾にも、その屋根の下でお揃いの浴衣を着て、優々たる演奏を披露する二十人余りの男が乗っていた。佑暉は数えるのも億劫になるほどの人々の喧騒の中で、船鉾の足元に立ち、携帯の画面を高々と掲げてその様子を撮影した。そうしていると、また愛咲が自分の携帯を渡してきて、今度は船鉾をバックに彼女を撮る。何枚か撮り終えると、場所を交替し、さらに数枚の写真をフォルダの中に収める。二人はこの一連の動作を、別の山鉾の近辺に移動しては飽くことなく繰り返していた。ただし、佑暉からしてみれば、愛咲に付き合わされただけに過ぎなかったのだが。
とうとう佑暉は、ただ愛咲の注文通りに彼女を写すだけになってしまい、次第に疲弊し始めてきた。
殆どの山鉾を見尽くしたため、二人は一旦仏光寺通を抜け、烏丸通まで戻ることになった。最後の鉾を撮り終えた時点で、佑暉のスマートフォンの充電の残量は二十パーセントを切っていた。
「面白かったなあ」
歩きながら、愛咲が満足気な顔をして呟く。何故、彼女はこんなにも依然元気なのだろうかという疑問だけが、隣を歩く佑暉の頭に浮かんだ。
佑暉はかなり体力が消耗し、疲労困憊していた。人混みの中を散々歩かされた挙句、暑さによって体力が底を突きかけていたのだ。肩にぶら下げた水筒は空になり、自販機に縋るように買った水も残り僅かであった。
愛咲はきょろきょろと首を動かしながら歩き、佑暉も彼女に付き従うように後ろを歩いた。
九時半を回り、街灯や提灯の明かりが煌々と夜道を照らし続けている。ただ、日が暮れても気温は一向に下がらない。さらに人々が密集し、暑さを倍増しているように思われる。佑暉も全身汗だくとなり、早く帰ってシャワーを浴びたくなった。
烏丸通が見えた時、佑暉はとうとう我慢できなくなり、口を切った。
「先輩、そろそろ戻りませんか」
「あっ!」
その時、愛咲は何かを見つけたように声を上げ、駆け足になった。佑暉はそれを追いかけた。仏光寺通を抜けて、烏丸通に出ると歩行者天国となっている車道にはいくつもの夜店が並んでいた。たこ焼きに唐揚げ、林檎飴の匂いが渾然一体となって道路を占領している。
愛咲が夜店の一つを指さし、
「うち、唐揚げ食べたい。なあ、買って」
と、佑暉に強請った。
「どうして僕が買うんですか」
「えー、いいやん。一緒に食べよう」
もはや言い返す気力すら残っていなかった佑暉は、泣く泣く承諾し、夜店に足を運んだ。
唐揚げ屋も夜店らしくテントが張られ、店頭にはカウンター用の長机が置かれてある。その中央に、浴衣を着た一人の少女がぽつんと立っていた。歳は九、十くらいだろうと思われた。少女と目が合い、佑暉は店の少し手前で立ち止まる。少女の周囲に目を配ってみるが、買い食いをしている客がちらほらと見えるだけで、店員らしき人物は見当たらない。
佑暉が少女に近づいていくと、
「いらっしゃいませ」
と、カウンター越しに彼女は言った。
「君、ご両親は?」
「いらっしゃいませ」
佑暉は気になって質問してみたが、少女は同じ答えを返してきた。
「えっと……もしかして、お手伝いかな?」
「迷子じゃありません」
「え?」
首を傾げる佑暉を、少女は真っ直ぐな視線で見つめる。
「私は迷子ではありません。お父さんとお母さんは自治会の手伝いに行ってるから、店番してるだけです」
少女は、はきはきと喋った。
「僕、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
「だって、そういう目で見てきたから」
今度はむっとしたような目つきで、少女は佑暉を睨む。佑暉の顔には、無意識に苦笑が刻まれる。やがて少女は穏やかな表情に戻ると、佑暉にきいた。
「買います?」
「はい」
「六ピースと八ピースがありますが」
「じゃあ……六ピースで」
「五百円です」
少女は素早く左へ移動し、四角い容器の中から唐揚げをトングでつまみ出し、キッチン用の紙で軽く拭いた後、丸い紙容器に手際よく移した。その手慣れた技は、祭りの度に夜店の手伝いをしているであろうことをうかがわせた。
六個つめ終わると、少女は代金と引き換えにそれを佑暉に手渡した。
「ありがとうございました」
少女はそう言いながら深々と頭を下げた。
「ど、どうも」
佑暉は何やらぎこちない素振りで答え、夜店から離れて愛咲のいるところまで戻った。
「遅かったやん」
「買ってきましたよ、先輩」
今さらながら、あの少女との会話が滑稽に思えてやや恥ずかしくなり、佑暉はぶすっとした面持ちで愛咲に唐揚げを渡す。
「サンキュ」
愛咲は爪楊枝を深く刺し、唐揚げにかぶりつく。その様子を、佑暉も憮然と眺めていた。
「なあ、そろそろ戻らん? 彩香たち、うちらのこと探してると思うし」
愛咲が思い出したように発案するので、佑暉は躊躇なくそれに同意した。
「そうですね、もう遅いですし」
「じゃあ、河口君……あ、そうや」
「どうしました?」
「これからは河口って呼んでいい?」
「はい?」
唐突すぎる話題転換についていけず、佑暉は怪訝そうに愛咲を見る。
「思ってんけど、君づけで呼ぶと六文字やん? でも、河口って呼んだら四文字で済むねん」
「いや、意味が分からないです」
「あかんの?」
「まあ……僕はそれでもいいですけど」
「うん、ありがと」
よく分からない理屈を通されて多少は疑問が残ったものの、佑暉は仕方なくそれを呑んだ。……全く抵抗がないとは言いきれないが。
知らぬ間に、時刻は十時を過ぎていた。




