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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
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祇園祭 宵山①

 七月十六日、月曜日。


 台風は週末の間に東に抜け、夏空が広がっていた。しかも祝日とあって、宵山は平年以上の混雑が見込まれた。どのくらい混むのだろうと佑暉も気になったが、それ以上に不安なことがあった。山鉾巡行へはサキと一緒に行くことにしたということを、まだ彩香含め誰にも話していなかったのだ。


 あれから、サキとはメールで数回やり取りし、朝七時に八坂神社の境内で待ち合わせることになっていた。


 が、彩香や夏葉はそれを知らない。てっきり、その日も佑暉は自分たちと行動するものだと思っていることは明白であった。


 その日の朝、目覚めた佑暉は起き抜けにスマートフォンの画面を開いた。そこにはまた一件のメールが受信されており、サキからだった。


『明日のために今日のお稽古、頑張るね!』


 温かい文面の最後に、彼女らしい可愛らしい絵文字が添えられている。彼女は相当に明日を楽しみにしているようだ。


 なんとかして現在の問題を解消したいとは思っても、万が一、難色を示されたらどうしようかなどと考えてしまう。それが杞憂と分かっていても、前進できる気配すらなかった。話す機会はいくらでもあったはずだ。彩香たちとは朝の食卓で会い、学校でも会い、夜にも何度も顔を合わせる。それなのに、躊躇したままとうとう宵山の日を迎えてしまったのだ。


 旅館の娘たちも行く前に何度か浴衣を試着し、夏葉に至っては一週間ほど前から毎日のように試着していた。サキと同い年といっても、少々子供っぽいところがあるのか、何度も佑暉に感想を求めては正美に注意されていた。それらの状況が、佑暉にさらに追い打ちをかけていたのは言うまでもない。因みに、中学生になってからは部活などで忙しくなり、祇園祭へ行くのは三年ぶりだという。


 夕方五時半を過ぎた頃、佑暉は浴衣の帯を正美に結んでもらい、外に出た。まだ陽は高く、蝉の合唱が続いている。さらにアスファルトから熱が湧き上がってくるような、ムンムンとした不快感。生温い風が、彼の首筋を舐めるように通り過ぎる。


 彩香と夏葉は浴衣の着付けが終わり、二人はサンダルを履いて表に出てきた。夏葉は、佑暉が着ている灰色の浴衣に興味を持ったらしく、彼の袖をしきりに触っている。


「この浴衣って、お父さんの?」


「夏葉、覚えてないの?」


 彩香が尋ねると、夏葉は首を振りながら、


「ちょっと覚えてるけど、あんまり見たことなかったから」


「まあ、お父さんも一緒に行ったんって何年も前やしな」


 彩香もそう言うと、佑暉の方を見る。その視線を受けて、佑暉は思わず、


「に……似合ってますか?」


 と、彩香にきいた。


「うん、似合ってる」


「え、似合ってないやん」


「こら」


 夏葉は彩香に睨まれ、肩をすくめた。


 正美が見送りに出てくると、


「ほら、早く行かんと電車間に合わへんよ」


 と、三人に言った。彩香と夏葉は「はーい」と声を揃える。


「じゃあ、なるべく早う帰って来いや」


 正美がそう言って手を振った。


「わかった。行ってきます」


「行ってきまーす!」


 彩香と夏葉も母に手を振り返すと、歩き始めた。佑暉は礼儀よく正美に会釈し、二人を追いかけていった。


 地下鉄東山駅の前では、愛咲あさ結都ゆみが待っていた。二人とも浴衣姿だった。水色の夏らしい浴衣を着た愛咲は、三人に気がつくと手を振った。


 佑暉は前もって彩香から宵山の予定を聞かされていた。祇園四条駅まで電車で向かい、そこから四条大橋を渡って烏丸通へ出て、山鉾を巡るのだという。「ふたまつ」から祇園四条までは歩けない距離ではない。だが、運動靴の佑暉とは違って女子陣は皆サンダルを履いているのだ。目的地に着く前に足が痛くなっては、元も子もない。


 電車は旅行客で混雑していて、満員に近かった。彼らと同様に夕方を着た男女、座席に座りながらパンフレットと睨めっこしている外国人。この人たちも皆、宵山を目指しているのだろうかと想像しながら佑暉はつり革を握っていると、左隣から声がした。


「なあなあ。これ、どこで買ったん?」


 佑暉が横を向くと、愛咲が興味津々に彼の浴衣を見ていた。


「いや、買ったわけじゃなくて、もともと旅館のご主人の私物だったらしいんです。でも、女将さんに仕立て直してもらって、今日だけ特別に貸してもらいました」


「そうなんや」


「はい」


「あとさ、河口君はお祭とかよく行く感じなん?」


「そんな頻繁には行かないですけど、お父さんが昔たまに連れてってくれました。あぁでも、浴衣で来るのは今日が初めてです」


「なんか嬉しそうやな、自分」


「……そうですか?」


 佑暉が意外そうな顔をすると、愛咲は笑った。


「めっちゃ笑ってたで」


 愛咲に指摘されると、佑暉は恥ずかしくなって下を向いた。それでも、乗客たちの和気藹々とした声が彼の心をさらに高揚させる。その感情に支配されながら目的の駅に着くまでの間、ガタゴトと音を立てて揺れる電車の中で、佑暉は暗闇に映る自分の顔を見ていた。


 三条という駅で別の路線に乗り換えると、そこから一駅で祇園四条に着いた。


 他にも浴衣を着た人々や外国人が、橋の西詰に向かって歩いていく。佑暉も、この辺りには正美の付き添いで何度か来たことがあった。この先にある寺町通と呼ばれるところに商店街があり、そこでよく食材などを調達するという。佑暉も手伝いでよくついていくのだが、普段と比べて異常なまでに人が多い。


 これが祇園祭というものか、と佑暉は、今までにないほどの感動を覚えた。


 しかも浴衣を着ているのは日本人だけではない。例えば、金髪の白人女性が浴衣を着て彼らの前を悠々と歩いている。日本を訪れる外国人観光客は年々増加傾向にあるため、祇園や河原町には浴衣をレンタルできる店まであるという。佑暉はそんな話を、電車の中で愛咲から聞いたのだ。

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