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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
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願いは叶えど苦悩は消えず

 人が疎らになり、静寂に覆われた公園のベンチで、佑暉はこれまでの自分を顧みた。長い夢から覚醒めたような、頬を思いきりつねられたような、そんな衝撃があった。


 サキの話には説得力があった。ひと度彼女に説諭されれば、どんなに巧妙な手を使う泥棒も己の行為を改めるに違いない。そう思えるほど、佑暉にも効果抜群であった。


 幼い頃から父が人間関係で苦労しているのを見ていて、自分もこうなってしまうのではないかと怖くなっていたのだ。だが、彼女は違った。他人と違っていて何が悪い、という思想を抱いている。むしろ、他人と違う自分を誇りにすら思っている。


 これは無意味な叱咤ではなく、意味のある叱咤なのだ。


「……ごめん」


「どうして謝るの?」 


 サキは、また彼に不思議そうな眼差しを向けている。


「君の言う通りだと思うよ。君はどんなことにも臆さずに、自分のやりたいことを続けてるんだね。それなのに否定するようなこと言って、ごめん。だから僕も……いつか自分の殻を割ってみる。君のおかげで目が覚めたよ、ありがとう」


 そう言って、佑暉は笑ってみせた。そうすると、サキも恥ずかしそうに下を向く。


「私も、ちょっとムキになってきついこと言っちゃって……ごめんね」


 彼女は申し訳なさそうに言うと、顔を上げて座ったまま後ろを振り向いた。佑暉も、それにつられるように彼女の視線を追った。


 背後に佇む枝垂れ桜は夕日の光を浴び、花こそ咲いていないものの精一杯に枝を垂らしている。その優美な立ち姿を、佑暉はサキに重ねた。そして、山鉾巡行を彼女と観たいという意思がさらに強さを増した。


 サキはベンチから立ち上がり、身体を佑暉の方に向けた。


「私、できると思う。君なら、どんなことにも面と向き合える。だから、飛び越えていける。何の根拠があって言ってるのって思われるかもしれないけど、そんな気がするの」


 彼女からそう言われ、佑暉は照れた。


「買い被りすぎだよ」


「そんなことない。だって、君は私を応援してくれたから」


 さらに頬が赤くなるサキを前に、佑暉の頭の中は真っ白になる。


 佑暉は返答に窮し、再び二人を沈黙が包み込む。先程まで遊んでいた学生たちの姿はとっくになく、日中しきりに鳴いていた蝉もどこかへ飛び去っていったように静かになっていた。


「もう帰ろっか」


 サキが空を見上げながら寂しそうに呟くと、


「そうだね」


 と、佑暉も頷いて立ち上がった。


「夏休み、どうするの?」


 無邪気な笑みを浮かべながら、不意にサキが問う。それを聞いた佑暉は彼女と向かい合い、一呼吸おくと話し始めた。


「テストが悪かったから、八月中は補習に行かなきゃならないんだ。あと、それから……」


 そう言いかけた佑暉は、言葉に詰まった。喉元まで出かかっているのに、なかなか次の言葉を言い出せない。やはり、まだ迷いがあるらしかった。


「どうしたの?」


 当然のごとくきかれたが、佑暉は俯いたまま黙り込んでしまった。その時、ふとサキが「君ならどんなことも飛び越えていける」と話していたのを思い出した。しかし、どうしても彼には自分にそんな気質があるとは思えない。それでもあの言葉を良薬として、顔を上げると勇気を振り絞った。


「……その……僕と、祇園祭……、一緒に行ってほしいんだ……」


 なんとか言葉を繋いではみたが、次第にまた俯いてしまった。自分は今、とても恥ずかしいことを言っているのではないかという懸念が、彼の胸の動悸を激しくさせる。さらにその後の彼女の沈黙が、彼には堪えられなかった。


 気まずさに押し潰されそうになり、やはり言わなければ良かったと後悔しかけた時、ようやくサキが口を開いた。


「もしかして、本当はもう誰かに誘われてたりするんじゃない?」


 ドキリと胸を強く打ったような感覚が、佑暉の脳に速やかに伝えられる。彼女は、初めから分かっていたのだろうか……という、先程とは違う不安に襲われた。


「……どうして、分かったの?」


「やっぱり! なんとなく、そんな気がしたから」


 図星を指したことが嬉しいのか、サキは笑った。それを見て佑暉も、やっぱりサキは誤魔化せないな、と苦笑する。


「彩香さんたち?」


「うん」


「それなら、どうして私と一緒に行きたいの?」


「君と行きたくなったんだ。身勝手かもしれないけど。確かに、あの人たちには申し訳ないと思ってるよ。だからちゃんと言って謝っておく。君さえ良ければ、是非僕と一緒に……」


「身勝手なんて思わない、嬉しい」


 彼女の声が佑暉のそれを遮った。佑暉も改めて前を見つめると、そこにはサキの笑顔があった。佑暉は少し冷静さを取り戻し、自らの手に汗が滲んでいることに初めて気づく。


 しかし、サキは元気を喪失したように弱々しい声で言った。


「でも、ごめん。宵山の日は、お座敷に出なきゃいけないの」


 それを聞いた瞬間、佑暉は手汗が一気に引いていくような寒気を覚えた。彩香たちとの約束を破ろうとしている自分に天罰が下ったのだ、と反省する。


「そうだよね、いいんだ」


「違うの。次の日なら、夕方まで予定が入ってないから、山鉾巡行には行けると思う」


 萎みかけた心が再び膨らみを帯び、佑暉は唖然とする。


「……いいの?」


「うん。じゃあ、詳しいことは改めてメールするね」


 サキが言うと佑暉は安堵した。伝えられて良かった、心からそう思えたのだ。これですべての問題が解決したわけではないが、彼女の顔を直視できるくらいには清々しかった。


 それから、佑暉はサキとともに公園を出た。神社の前で彼女と別れた後、佑暉も帰路に着いた。外は徐々に薄暗くなり、東大路通の街灯は灯り始めている。まだ時間はそんなに遅くないが、佑暉は足早に「ふたまつ」へと帰った。


 ゆっくり格子戸を開けると、玄関前のロビーでは二人の客がいた。一人は六十代前半くらいの男で、もう一人は四十代くらいの男であった。前者は風呂上がりらしく、浴衣を着てタオルを首からぶら下げている。後者は先程チェックインしたばかりなのか、鞄を手に提げ、背広を羽織ったサラリーマン風の男だった。


 浴衣を着た男はロビーのベンチに腰掛け、団扇をパタパタさせて涼んでいる。もう一人の男は、その横に立って浴衣の男と話していた。


 まず、浴衣の方が佑暉に気づいて話しかけた。


「おや。今、帰ったんかいな」


 佑暉は軽く会釈をした。その男は「ふたまつ」の常連客であり、佑暉とも顔見知りである。もう一人が、「お知り合いですか?」ときくと、男は答えた。


「親御さんの会社が倒産したとかで、知り合いやったここの女将さんが預かってはるんや」


 その説明を聞き、サラリーマンの男は感心したように頷いていた。


 佑暉は二人にもう一度お辞儀して、靴を脱ぐと自分の部屋へ向かった。


 彩香の部屋の前を通った時、佑暉はふと足を止める。後回しにするほど、話しにくくなってしまうのではないかと危惧された。きっと許してくれるはずだと佑暉は深呼吸し、襖をノックする。しかし、返事はない。まだ帰宅していないのかと佑暉が思った時、誰かが彼の肩を叩く。


 不意をつかれ、佑暉が驚いて振り返ると、そこに彩香が立っていた。過剰な反応を見せた彼に対し、彩香も少し顔を引きつらせた。


「どうしたん? 何か用事?」


「は、はい。実は……」


 佑暉がそう言いかけた時、正美の呼ぶ声が聞こえた。居間に客用の夕食を運んでほしい、とのことだった。彩香は後ろを振り向いて「はーい」と返すと、また佑暉の方を向き、


「ごめんな、後にして」


 と、告げた。そのまま、彼女は向こうへ走っていってしまった。それを佑暉はどうすることもできず、ただその場に立ち尽くしていた。


 どうしようという焦燥感に駆られたが、山鉾巡行の日までは一週間の猶予がある。佑暉は気持ちを落ち着かせ、夕飯の時にでも話せばいいと自分を納得させた。そして彩香の後を追って旅館の手伝いに赴く。しかしそれが終わり、夕餉の席についてもなかなか言い出せなかった。彩香も忘れているのか、関係のない話ばかりしていた。


 結局、次の日になっても佑暉のもやもやは消えるばかりか、増えていたのだ。

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