君の夢、僕の願望
帰宅した佑暉は居間で遅い昼食をとり、自分の部屋に戻って畳に寝転がった。
早いうちに朱音にメールを送った方が良いとも思ったが、思考がまだ状況に追いつけていない。佑暉がぼさっと天井を眺めていると、机の脇に置いてあった鞄の中から振動音が一瞬だけ聞こえて止んだ。佑暉はその音を聞いて上体を起こし、そこへ這っていって鞄を開けた。
中からスマートフォンを取り出してロック画面を解除すると、一件のメールが受信されていた。フォルダを開けると、そこには朱音の名前……ではなく、サキの名前があった。よくよく考えてみれば、朱音に自分のアドレスは教えていないのだ。
少し安堵した佑暉は、彼女からのメールを開く。サキは稽古が早く終わったらしく、今から会わないかという誘いの内容だった。昂奮した佑暉はすぐに返信を送り、制服のままいつもの茶屋に向かった。
着くと、店前でサキが佑暉を待っていた。台風の影響なのか風が強く、彼女の短い髪が無造作に揺れている。
「サキ!」
佑暉は駆けながら、彼女の名を呼んだ。サキも彼に気づき、微笑みを返す。その頬は夕日の影響からか、やや赤く染まっているようにも見えた。
「ごめんね。急に呼び出しちゃって」
「大丈夫だよ。稽古はもう終わったの?」
佑暉は「嬉しかったよ」と続けようとしたが、寸前のところで照れくさくなってやめた。
サキは肩の上でバッサリ切られた髪の端を片手で触れながら、
「今、時間大丈夫かな」
と、佑暉にきいた。
「平気だよ。僕も、今日は暇だから」
「良かった」
ほっとしたように笑うサキを見ると、佑暉はまた気恥ずかしさを覚え、俯いてしまった。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないよ」
佑暉は照れ隠しに微笑み返した。サキは不思議そうに彼を見つめていたが、それ以外に特に気にした様子はなく、彼女は本題に入った。
「これから、久しぶりに円山公園へ行こうと思うんだけど、一緒に来てほしいなって……」
「いいよ」
「じゃあ、行こう」
佑暉が頷くと、サキは四条通に向けて歩き出した。すると、また彼の鼓動は俄に速くなる。できるだけ平静を装いながら、佑暉も彼女の後ろに続いた。
夕方の四条通は賑やかであった。間もなく宵山がある。皆、楽しみで仕方がないのだろうということが、人々の様子からも分かった。そんな時、佑暉の心の中に野望にも似た感情が沸き起こった。
――サキを祇園祭に誘ってみたい。彼女と二人で、山鉾を観に行きたい。
だが、佑暉にはすでに先約が入っている。しかし、話せば彩香たちも承諾してくれるだろうという気もする。されど佑暉は、誰かの優しさに付け込むようなことはなるべくしたくなかった。それに、サキに迷惑がられないだろうかという危惧もあった。四方八方から罪悪感の波が打ち寄せ、佑暉はもやもやした。
彼が逡巡している間にも、景色は流れていく。八坂神社の門をくぐると参道には多くの屋台が立ち並び、浴衣を着た人たちが祭りの風情を満喫していた。しかしサキは屋台などには目もくれず、颯爽と参道を歩いていく。佑暉はその少し後ろを歩きながらも、彼女と歩幅を同じくした。
神社を通り抜けて公園に着くと、やはりあの枝垂れ桜はあった。三ヶ月前よりも青々とした葉が枝いっぱいについていて、それらが風に強く揺られている。
公園内では、夏休み前ということもあってか、高校生たちがゲームをしたり談笑したりして屯していて、その周りには数羽の鳩が餌を求めてうろうろと歩き回っている。日が傾き始め、昼間に比べて涼しい風が吹いているせいだろう、と佑暉は思った。
サキはまた、木の手前にある石製ベンチに腰掛ける。佑暉もそれに倣うようにして、彼女の隣に腰を下ろした。
穏やかな夕風が半袖のシャツの中を通り抜けていくように感じられ、佑暉は心地よさに身を委ねた。するとサキが突然口を開き、彼にこんな質問をする。
「どうだったの? テスト」
「あ……いや……」
まさかサキにテストのことをきかれるとは思っていなかったため、佑暉はつい口をもごもごさせてしまった。するとサキはクスッと笑い、彼に話をした。
「私は全然駄目だったよ。お稽古もしなきゃいけないから、なかなか思うように勉強の時間がとれなくて。高校に進学するかどうかも、そろそろ決めないといけないし」
「……迷ってるの?」
佑暉が尋ねると、彼女は「うん」と頷いた。
「姐さんたちは私の好きにしたらいいって言ってくれるけど、学校に通いながら続けていくのは大変だって知ってるから、不安なの。このまま舞妓を続けていてもいいのかって……」
少し寂寥がかった顔で語るサキ。それを見ていた佑暉も、何故か心苦しくなる。励まそうと思っても、適当な台詞が見つからない。
なんとか模索し、どうにかして言葉を捻り出す。
「大丈夫だよ。少しずつ、決めていけばいいと思う」
続けて、佑暉は彼女に伝えた。
「夢を持ってる君って、本当にすごいと思う。僕なんかに比べて、強いとも思うし。だから、尊敬してるんだよ。君のこと」
「佑暉君は、夢とか持ってないの?」
「君みたいな、はっきりとした夢はないよ。変わったことをするより、普通に過ごせたらいいと思ってるから。中学の時も、わざとあんまり目立たないようにしてたんだ。変に目立っちゃうと、ほら、嫌われるかもって思っちゃって。べつに君を否定してるわけじゃないけど、僕は平凡に暮らせるだけでいいんだ」
「……本当にそれでいいの?」
サキの口調が変わった。先程の穏やかさはなく、軽蔑を含んだような強い声。そればかりか、不満そうに佑暉を凝視している。それを見て、佑暉も慌てて弁明した。
「ご、ごめん。だから、君はすごいなと思って。みんなと違うことやってても、堂々としてるから」
「みんな、そうやって周りと比べるよね」
「…………」
佑暉はサキが何故怒っているのかまだよく理解できず、きょとんとしてしまう。一方、サキは彼を見つめたまま、話し続けた。
「一人だけ違うことしてたら、何だって言うの? 私は、それで夢を捨てたりなんかしない。一流の芸者になるっていう夢を叶えるために、私は舞妓をやっているの。誰にどんなに酷いことを言われても、私は夢を諦めない。それは、自分を殺すことと一緒だから。人と比べる人、私は嫌い」
その言葉に気圧されたように、公園の中が静寂に包まれる。人の話し声や蝉の鳴き声ですら彼には聞こえなかった。




