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舞妓さんと歩く都街  作者: 橘樹 啓人
第二章 祇園祭
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後悔の念、補習の夏

 テスト返しの後は、三者面談で授業が休みになる。佑暉は赤点を三つも取ってしまった。しかも、いずれも三日目と最終日に行われた教科だった。やはり、土曜日に出かけたことによる弊害であるのは明白であった。


 終礼を待つ間、佑暉はそっと隣の席に目を配った。朱音も席に座り、自分の答案用紙をまじまじと見つめている。ふと佑暉は、朱音は何点だったのだろうという疑問を持った。いけないことだとは自覚していたが、彼はそっと席を立ち、朱音の後ろに回り込んだ。


 クラスの大半の生徒たちは、周り者と自分の解答を見比べ合ったりしている。何より、一番後ろの席という好条件が、佑暉をその行動に移させたのかもしれない。後ろから、彼が朱音の点数を確認しようとすると、


「あたし、全教科の平均八十五点やった」


 と、彼女は呟いた。それは呟いたというより、佑暉に直接話しかけたようでもあった。音を立てないようにして近づいたつもりだったが、気づかれていたのだと知り、佑暉はまた彼女に対して劣等感を覚えた。


「か……賢いんだ、諏訪さんって」


「言ったやん」


 朱音は、紙に目を落としたままさり気なく答える。


「僕は全然だったよ」


「へぇ。まあ、興味ないけど」


 佑暉は素早く席に戻った。


 彼女の点数に興味を持った自分が間違っていたと佑暉は思った。朱音は気づかないふりをしていたが、最初から彼の行動を読んでいたのだ。さらには、彼の点数も大体予想していたのかもしれない。


 どこまで自分を弄れば気が済むのだろう。そんなことを考えながら、佑暉は机に顔を伏せた。

 終礼の時間。佑暉のクラス担任である吉沢徹平が教壇に立ち、全員の顔を見渡しながら連絡した。


「明日から三者面談があります。順番は後ろの黒板に張っておくから、忘れずに来るように。それから、台風が近づいてきてるって話やから、くれぐれも注意するように」


 間もなく夏休みだという高揚感からか、吉沢の話を聞こうとせずに余所見をしたり、隣の席の者に話しかけたりしている生徒が多い。その中で佑暉は後ろの席から、しっかりと耳を傾けていた。そして、さらに吉沢はこう続ける。


「最後に、今回のテストで赤点が三つ以上あった人は、挨拶終了後に前に来るように。以上」


 佑暉は一瞬、吉沢が言わんとすることを理解しなかった。できなかったのである。やがて徐々に実感が湧き、ああ……やってしまった、と座ったままうなだれた。


 号令がかかり、佑暉以外の生徒たちは部活へ行ったり帰宅したり、残って友達と談笑したりし始める。しかし佑暉にとっては憂鬱の時間となった。彼は、教壇の前にいる吉沢のところへ行った。


 吉沢は質問に来た女子生徒と話していた。吉沢は佑暉に気づき、


「おう、河口。ちょっと待ってな」


 と言うと、彼をその場に立たせたままその女子の相手をしていた。やがて女子は去り、吉沢がようやく佑暉の方を振り向いた。


「よし。じゃあ、ちょっと行こか。時間、大丈夫か?」


「はい」


 佑暉はなんとか平静を保ちながら頷く。


 教室に連れ出され、連れてこられたのは職員室であった。吉沢が扉を開け、佑暉を中に入れると彼を奥へ案内した。佑暉はドキドキしながら、吉沢についていく。吉沢は白いテーブルとパイプ椅子を指し、佑暉をそこに座るよう促した。


 躊躇する佑暉に対し、吉沢は「緊張せんでいいで」と優しく言った。佑暉は、居心地の悪さを感じながらも恐る恐る椅子に座ると、吉沢も向かいの席に腰掛けた。


 数秒間、口を噤んだ後、吉沢は「えっとな……」とやや口を重くしたように切り出す。


「うちの高校、中間と期末で赤点が三つ以上あった生徒は補習ってことになってんねん」


「……はい」


 やっぱりそうか、と佑暉は息を呑む。今更のように、もっと勉強しておけば良かったという後悔が高波のように押し寄せるが、もはやどうすることもできない。佑暉は、取り返しのつかないことをしてしまった己を不甲斐なく思った。


「まあ、特別入試で入ったからしゃあないとは思うねんけどな」


 吉沢は腕を組み、仰け反りながら笑った。椅子の背凭れが悲鳴のような音を立てる。


「補習、どうする?」


 今度は真剣な顔で尋ねられ、佑暉は俯いた。確かに赤点は、自分の勉強不足に起因するものだと彼も自覚している。答えを言い迷っている彼を見つめたまま、吉沢は話した。


「もし、補習受けんのがしんどいんやったら、クラスの誰かにお願いしてみてもいいと思う。教師より同い年のやつに勉強みてもらう方が、落ち着くこともあるやろうし。うちのクラスやと……そうやなあ。玄長か……諏訪とかが適任やろな」


 吉沢の口から朱音の名が出た瞬間、佑暉は顔を引きつらせた。


「どうした、嫌か?」


 吉沢がきくと、佑暉は咄嗟に首を横に振った。吉沢はまだ腑に落ちないといった表情をしていたが、先程の話を再開させ、言った。


「玄長はクラスで一番成績いいし、諏訪もそこそこやし、何より席が近いからな。嫌やったらべつにいいけど」


「い、いえ。大丈夫です」


 突然朱音の名前を聞いて驚いたのは事実だが、嫌ではなかった。寧ろ、朱音に教われば成績が上がるかもしれないとすら思える。


「じゃあ、ちょっと考えといてくれるか?」


「はい」


 吉沢が立ち上がると佑暉も席を立ち、鞄を肩にかけて廊下へ出た。


 他学年の教室の前を通った時、扉が開いていることに気づいた。部活動に行っている生徒がいるため、まだ施錠はされていないらしい。中の時計を確認すると、すでに正午を過ぎている。無論、教室内には誰もいない。


 佑暉は、急いで帰ろうと足を早め、昇降口に向かった。


 昼過ぎの閑散とした昇降口には、誰かを待っているのか、下駄箱に寄りかかっている一人の生徒がいた。スカートを穿いていることから、女子生徒であることは明らからだった。それに気がついた佑暉は、気になって彼女に近づいた。


 二、三メートル手前に来ると、それが誰なのかはっきりと分かり、佑暉は足を止める。彼の視線の先にいたのは、朱音であった。


「諏訪さん……?」


 佑暉がそう呼ぶと、退屈そうにスマートフォンを弄っていた朱音は手を止め、顔を上げた。


「ここで何してたの? 誰か待ってるの?」


 佑暉の問いかけに、朱音は応じようとしない。ただ、視線は彼の顔に向けられている。彼女の眼差しを受け、ある予感を抱いた佑暉は念のため尋ねてみることにした。


「もしかして……僕を待ってたの?」


 案の定、朱音は頷き、彼にきき返した。


「自分、点数悪かったん?」


「……うん。先生が言うには、補習があるみたいなんだ。でも、同じクラスの人に教えてもらった方がいいんじゃないかって言われてさ。だから……その……」


 佑暉は、朱音に「勉強を教えてほしい」と伝えようとしたが、緊張からか言葉がうまく出てこない。次第に、彼女と目を合わせることも辛くなって目をそらした。


「べつにいいけど、教えてあげても」


 彼女のその言葉を聞き、佑暉は再び顔を上げる。まさか、頼む前から了承してくれるとは思っていなかった。予想外のことに、逆に彼は戸惑ってしまった。


「い、いいの?」


 朱音は進み出てきて、スカートのポケットからノートの切れ端を取り出すと、それを佑暉に渡した。佑暉が受け取ると、そこには彼女のメールアドレスが記されている。


「あとで、ここに連絡して」


 朱音はそう言うと靴を履き替え、佑暉が礼を言う暇もなく、昇降口から颯爽と駆け出していってしまった。少し歯痒さが残るように思われたが、佑暉も土足に履き替えた。


 校舎の外に出ると、乾いた暑さに汗が流れ、佑暉は正門まで来た時に思わず立ち止まった。梅雨の季節が終わりに近づき、校庭では蝉が鳴き始めている。その声が何故か、彼のある不安に拍車をかけた。


 朱音は、本当に勉強をみてくれるだろうか。彼女のことだから、明日になれば「何のこと?」などと言い出さないだろうか。そのことが、佑暉の悩みの種であった。

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