42.喫茶店のリス
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翔から聞いていた朝食バイキングは、まさに夢の世界だった。全部数えると30種類以上の品数があり、パンだけで6種類もあった。
和食派の僕は、スクランブルエッグにソーセージ、サバの切り身に納豆、海苔、ご飯、味噌汁にサラダ、お茶をトレーいっぱいに盛り付け、席に着く。
こんな贅沢して、本当にいいのだろうか?
そんな疑問も、鼻をすする味噌汁の匂いに負け、僕は朝食に思いっきりかぶりついていた。
ホテルを出て外の空気を吸い込むと、食べ過ぎたせいで、お腹がいつも以上に膨れ上がった。
朝9時の青森の空は、天気予報通りの快晴で、昨日の天気予報通りの雲ひとつない青空が広がる。
僕はフッと背伸びをした後、旅行カバンを背負い直す。サイドポケットに収まった水筒は、昨日洗いそびれてしまったので、今朝ホテルの洗面所で洗い母の言いつけはそれなりに守った。
中には、昨日余ったお茶を流し込んである。
母は「ペットボトルだとすぐに熱くなるから。これも生活の知恵よ」なんて大阪のおばちゃんっぽいことをよく言っていた。
言っている意味は分かる。
その方が絶対にいい。
ポケットから携帯を取り出し、喫茶店をルート案内する。
大正浪漫喫茶室。
この喫茶店のいいところは、宿泊してるホテルから歩いて15分ほどの場所にあり、タクシーやバス移動をしなくて済むことにある。
極力お金を使わずにいきたい。
父から貰ったはずの福沢諭吉5人衆は、飛行機やら宿泊費やらでとっくの昔に財布から姿を消していた。
あとはアルバイト代の切り崩し。
考えてると不安の波にさらわれそうになる。
僕は考えるのをやめ、歩き出した。
お目当の喫茶店は、洋館の作りをしていて、中庭には芝生が広がり、手入れの行き届いた草木達やお洒落なベンチが喫茶店の周りを囲んでいた。
喫茶店の中に入った僕は、一瞬で目が覚めた。
壁に並んだ絵画や、陽が差し込むテラス席、薄明るい照明に、細い木で編まれたの荷物入れなど、どれもがお洒落で、映画の世界に飛び込んでしまった気分だった。
「いらっしゃいませ」
生暖かいテラス席の椅子に腰掛けると、メニュー表を持った若い女性店員が僕の横に来た。
「ご注文は何にいたしますか?」
ここで僕は、ようやく彼女の顔を見た。
リスのように、小さくて丸い顔だった。
僕と同い年か少し上ぐらいで、ポニーテールに結わえらた髪にクリッとした目、顔はとても小さく、鼻がピンの伸びていた。
徳島空港にもリスのような女性スタッフがいたが、こちらのリスは柔らかな表情をしていた。
「あの、えっと」
迷う。絵本通りにいくなら、ここでコーヒーを頼むべきだ。
「アイスコーヒーで」
「かしこまりました」
結局僕は絵本の指示に従って、あまり好きではないアイスコーヒーを注文した。
外の風景を眺めていると、彼女が僕の席に近づいてきた。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「あっ、いえ。結構です」
「かしこまりました」
「あの、すみません。ここで絵を描かせて頂くことはできますか?」
「もちろん、かまいませんよ。絵を描きに来るお客さんも多いんです」
「そうなんですか。お店が混み合ってきたら、すぐに片付けますんで」
「ははっ。大丈夫ですよ。実はこのお店、平日はすごく暇なんです」
彼女はクスクスと笑った。
「では一度、外に出られますか? こちらのドアからも中庭に出れますが」
そう言って、彼女はドアノブの付いた扉まで移動した。
「あ、いえ。中の風景を描きますから、大丈夫です」
「確かに今日は暑いですからね。昨日よりさらに暑くなるみたいですから。もしまた外に出たくなりましたら、いつでもお声掛け下さい」
「ありがとうございます」
彼女は綺麗な笑顔を作り、一礼してカウンターの奥に消えていった。
ようやく絵を描き終わった頃には、14時を回っていて、外の蝉の声が激しさを増したことに全く気づかなかった。
それほど僕が絵に集中できたのは、この店の空調設備と音が全くしなかったおかげで、彼女の言った通り、僕が絵を描いている間、1人の客も来なかった。
アイスコーヒーのグラスに溶け残った氷を舐めていると、「うわ、かわいっ」と後ろから声が聞こえ、振り返る。
先ほどの彼女が僕の頭の上から絵を見下ろしていた。
うっとりとした表情の彼女は、真っ直ぐに絵だけを見ていて、僕の方は全く見なかった。
「このリスさん、可愛いですね」
「ありがとうございます」
「すっごく楽しそう」
「このリスは、あなたがモデルなんですよ」
「えぇ!」
彼女はを真っ赤にした。
「ほんとですか?」
「ほんとです」
「うわぁ、凄く嬉しいです。ありがとうございます。感激です。このキツネさんは?」
「一応、僕? なんですかね?」
「あっはは、なんですかそれ。でもキツネさんもすっごく可愛い」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「写メ撮ってもいいですか?」
「恥ずかしいですね。まぁ、いいですよ」
嬉しいそうた表情を浮かべ、彼女はまたスタスタとカウンターの奥に消えていった。
木製の丸いテーブルには太陽が描いた斜めの線がスッと伸びていて、その切れ間に、ニコンが恥ずかしそうに座っていた。
写真、撮ってみるか…。
「お待たせしました」
別に待ってはいないのだけれど、彼女が帰ってきた。
「すいません。少しお借りしていいですか?」
僕が頷くと、彼女は隣の空きテーブルの上に僕の絵を置き携帯で写真を撮り始めた。
彼女の満足そうな顔は、昔、小鳥が僕の絵を自慢していた姿にそっくりで、僕はつい、ボーっとしてしまった。
「お返しします。ありがとうございました」
「あの、僕も写真撮らせてもらっていいですか?」
「いいですよ。では、ドアを開けますね」
「あ、いや、外の写真じゃなくて…。あなたの」
「えぇ、私ですか?」
「はい。記念に…。ダメですか?」
「あ、いえ。大丈夫です。ちょっと待って下さい」
彼女は細い指を器用に使って前髪を右に掻き分けた。
シャッターを切り、恥ずかしそうに照れるリスの写真を1枚、パシャりと撮った。
「ありがとうございました。いい写真が撮れました」
「凄く恥ずかしかったです。モデル料を頂く代わりに、遅めのランチなんていかがでしょう?」
「はは、高くつきますね。じゃあ、そうします。あと、アップルジュースもお願いします」
「かしこまりました」
彼女はまた、ニコニコとレジ奥に消えていく。
「1280円になります」
彼女にお金を支払い、僕は店を出た。
外の空気を吸い込み、先ほど描いた絵を見直す。
絵には満足したが、何かを成し遂げたような達成感はなかった。
本当にこれで良かったのか?
心に引っかかりがあった僕は、喫茶店の外のベンチに座り、旅行カバンを漁った。
小鳥に貰った赤い羽根を取り出し、それをただじっと見つめる。
答えを出してくれそうな気がした。
水筒のお茶を飲んで一息ついていると、ポケットの携帯が鳴った。
「コン、どうだ、調子は?」
「うん。いい絵が描けた」
「そりゃ良かった。写真は? 何枚か撮った?」
「さっき1枚撮ったよ」
「そうか…」
「翔? どうした? 元気ないな」
「なぁ、コン。俺も小鳥のために何か手伝えることないかな?」
「え?」
「色々考えてたんだけど、俺はコンみたいに絵も描けないし、一緒に旅することもできないしさ。なんかもどかしくて。少しでもいいから、小鳥の力になりたいんだ」
「そうか…。翔、ちょっと聞いてもいい?」
「なに?」
僕はもう一度店に戻った。
「お忘れものですか?」
「あ、いえ、ちょっと。もう一度、写真撮らせてもらっていいですか?」
「私の、ですか?」
「あ、いえ、今度はお店の中と外の」
「いいですよ」
彼女は快く中庭のドアを開けてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「それ、綺麗ですね」
彼女は僕が持っていた赤い羽根を指差した。
「大切なお守りなんです」
僕はそう言って、赤い羽根をカメラの前に差し出し、シャッターを切った。
「うわぁ、面白い撮り方ですね」
「えぇ、これをくれた友人に見せたくて」
「きっと、喜ぶと思います」
「そうなってくれたら嬉しいです」
その後も、僕は左手に羽根を持ち、指が写り込まないに気を使いながら、中庭の大木や芝生、テラス席の椅子やテーブルなんかをバックに、ただひたすらに写真を撮り続けた。
「ありがとうございました」
彼女に本当に最後のお礼を言って店を出た。
もう一度、外の空気を吸い込む。
気がつけば、時刻は夕方の16時を回っていた。
僕はまた旅行カバンをヨイショと背負い直し、足取り軽くホテルへと歩き始めた。




