19.心配事
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「いっただっきまぁす!」
小鳥からの認可が下りた翌日、僕と柊翼は病院前にある喫茶店にいた。
普段は客が少ない喫茶店なのに、モーニングでもランチでもない朝の10時という中途半端な時間でも、カウンター席が全て埋まるほどの盛況ぶりを見せていた。
「コンくんも食べた方がいいよ絶対! ここのチョコレートパフェは最っ強なんだからマジ。んー最高っ。やっぱり夏は冷たいモノに限りますなぁ」
この人は相変わらずこんな調子で、隣のカップルが食べているミニパフェを見ては「絶対こっちのチョコレートパフェの方がお得なのに。知らないんだねぇ。可愛そう」と、優越感に浸りながらスプーンを天に突き上げ勝ち誇っていた。
「あの、今日は何で待合室じゃないんですか?」
正直、待合室の方が良かった。
病院のウォーターサーバー愛が強い僕は、喫茶店で出される水道水を飲んでるより、待合室で紙コップ片手に彼女を待っている方が有意義な時間の使い方だと思っていた。
「なんでって、ほら…」
彼女は店の貼り紙を指さした。
原色で塗り固められたポップな貼り紙には『毎月7日はデザート半額!!』と書かれていて、彼女が意図的にチョコレートパフェを注文したことを今知った。
「なるほど…そういうことですか」
「だから、コンくんも食べなって。美味しいから」
一口食べては「うましっ」と連呼する彼女を見ていると、さすがに美味しいそうに見えてきたので、僕もパフェを注文することにした。
「あー、美味しいかった」
髪を後ろで束ねたウエイトレスが僕のストロベリーパフェを運んでくると、パフェを食べ終わった彼女は、窓際に置かれたメニュー表を再度引っ張っりだした。
「まだ食べるんですか?」
「予習だよ、予習。今度来た時に何を食べるか今の内に決めておかないとね」
そう言って彼女は、メニュー表の端から端までを食い入るように見つめた。本当に子どもみたいだ。
僕がパフェを食べ始める頃には、彼女の興味はメニュー表から別のカップルのパンケーキに移っていが、僕がスプーンを置くタイミングを見計らって、彼女は話しを切り出した。
「コンくん。昨日の絵の話をしたいんだけど」
「何か問題ありました?」
紙ナプキンで口を拭いていた僕は、少し動揺した。
小鳥が「やっぱり気に入らない」なんて言い出したのか?
「いや絵は素晴らしいよ。ほんと、すごく好き。パパに見せたら「すごく上手だね」って褒めてたよ。だけどね…。前回の絵がダメってなって、新しい絵を描き直すまでに、4日かかったんだよね。小鳥がどんどん文章を書き進めても、絵の方が間に合わなくなるんじゃないかって…」
彼女はカップのスプーンをぐるぐる掻き回していた。
らしくないな、全く。
僕を過小評価してもらっては困る。
「この前言ってましたよね。小鳥には、時間がないって。その言葉、忘れてませんから…」
僕はカバンから4、6、8ページ目の絵を取り出し、彼女に見せた。
「実は、もうすでに絵を描いていたんです。昨日はとりあえず2ページ目の絵を小鳥に見せて欲しいとのことだったので、あえてこの絵のことは話しませんでした。まだ描くと決まったわけじゃないのに、早とちりしてるように思われたくなかったので。すいません。ですから1日1枚なら対応できますし、なんなら2枚でも…」
そう言い終わる前に、彼女がテーブル越しに僕の手を握ってきた。
「コンくん、ほんっとーにありがとう。実はちょっと心配してたんだ。絵が間に合わなくなるんじゃないかって。心配して損した。小鳥にはドンドン書き進めるように言っておくよ。コンくんの手を止めないようにね」
そう言って、パフェのグラスで冷えた僕の手を上手にブンブン振り回した。
「小鳥の文章もよく書けてますから、僕も負けてられません。それで…小鳥はもう9ページ目を書き終わりましたか? って…ちょっと!」
彼女が僕のパフェをスプーンですくって食べ始めた。
「うましっ」
「は?」
「いやー、人が食べてるの見るとついつい欲しくなっちゃうんだよねー。コンくんごめん。っで、何の話だったっけ?」
「だがら9ページ目の絵…って、ちょっと!」
「うましっ。9ページ目ね。分ーかってるって。そう怒るなよ。コンくん、こわいー」
「……」
「すいません。もう出来てます。お待ち下さい」
彼女はカバンの中を漁りだした。
カバンの中で鏡やらポケットティッシュやら携帯やらが擦れて奏でる不協和音は、彼女のガサツな性格を明確に表しているかのようだった。
「忘れてきちゃった、あっはは。でも、どうしよう。今から用事あるしなぁ。コンくん、明日でもいい? 明日必ず持ってくるからさ」
怒ってもしょうがない。
「仕方ないですね。いいですよ明日で。どの道、今日もらえるとは思っていませんでしたから」
「ほんっとにごめん。それからもう一つ…謝らないと…いけないことが…」
「え?」
「940円になります…」
なぜ僕が彼女の分まで払わなきゃいけないんだ。
僕のパフェは食べるし、飲み物も追加注文するし、完全にわざとじゃないのか?
財布を忘れてきたとか、最初からそのつもりだったのか?
「いやー。美味しかった。余は満足じゃ」
「お金、ちゃんと返して下さいよ」
「分かってるよ。明日必ず返すから」
「絶対ですよ」
そう言って僕は二つ折りの財布をパタンと閉じた。
「そういえばさっき…」
彼女はカバンの中をゴソゴソと探り始めた。
「あったあった」
地獄の4次元ポケットから引っ張り出してきたのは、1枚の写真だった。
そこには小学生の僕と小鳥の後ろ姿が写っていて、小鳥は浴衣を着ていた。
「コンくん覚えてる? 星空観察会! 小鳥と私だけが浴衣着てたやつ」
「覚えてますよ。懐かしー」
「懐かしいよねー。これ、その時に翔君が撮った写真なの」
「え?」
「この写真、小鳥が翔君から貰ったみたいなの。よく撮れてるよね」
「えぇ…」
「翔君て、今何してるの?」
僕の顔を覗き込みながら彼女が質問した。まあ、いずれその話題が来るだろうとは思っていた。
僕が何も言わないまま地面の点字ブロックの数を数えていると、珍しく空気を読んだのか、彼女はそれ以上は聞かなかった。病院前の信号が青に変わった。
「あ、信号変わっちゃった。んじゃあ、コンくん。またね明日ね。楽しみにしてるよ」
「あ、明日何時に待ち合わせですか?」
彼女には聞こえていなかった。
まぁ、夜にでもまた連絡が来るだろう。病院を背に実家へ帰ろうとすると、ポケットの中で携帯が鳴った。
それは、見知らぬ電話番号からだった。