14.小鳥の古い記憶
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僕が帰りのバスを待っていたちょうどその頃、病院では、柊翼が個室のドアを開けていた。
「こっとり。いるかい?」
「いるよ…お母さん…」
「そりゃいて当然だよねぇ。失敬失敬。あっはは。絵本の方はどう? 話の続き、思いついた?」
「うん。いいのが出来たと思う」
小鳥はテーブルをトントンと叩き、柊翼を呼んだ。
「おっ、どれどれぇ?」
「読んでみて…」
「いや、今読んでんじゃん」
「声に出して…」
「えー、またぁ?」
「お願い…」
「分かりましたよ。んじゃ、読むよ」
「うん…」
小さく溜息をついた柊翼は、優しく柔らかな表情で、絵本の続きを朗読し始めた。
それはいつもの光景だった。
出来上がった文章を、まるで子どもの読み聞かせのように読み上げる。
目を閉じ、彼女の声を聞く小鳥は、まぶたの裏で遠い日の記憶を思い出していた。
それは13年前の記憶、小鳥がまだ小学一年生の頃、弟の俊にいたっては、まだ幼稚園児だった。
ある日の夜、時計の針が10時を回った頃に、大小3つ並んだ布団の上には、柊翼、小鳥、俊が寝そべっていた。
「ねー、おかーさーん…お父さんは?」
掛け布団を足でパタパタ蹴りながら、小鳥が聞いた。
「今日も帰り遅くなるんだってー。先寝てよっかー」
柊翼は俊の掛け違えたパジャマのボタンを直している。
「ダメだよ。今日まだ本読んでないじゃん。はい、読んで」
小鳥が渡したのは、童話の本だった。
「いやーバレてたか…んじゃあ1つだけだよ」
「分かった」
「じゃぁ、俊、小鳥、こっちおいで」
柊翼は俊と小鳥を自分の両脇にたぐり寄せた。
「むかし昔、ある町に…」
柊翼は声を変えたり、抑揚をつけたりと多種多様に変化させながら本を読み聞かせた。
「幸せに暮らしましたとさ、おしまいーーー。どうだった?」
「すっごくおもしろかったー」
「俊は?」
「…おもしろかった」
「ねぇ、おかぁさん。もう一回読んで」
「はいでましたー! 小鳥のもう一回」
「えーいいじゃん。あと一回だけ、ね」
「はぁ…分かったよ。じゃあこれが最後ね」
「うん。ちょっと、俊。寝ちゃだめだよ」
柊翼はもう一話分の童話を読んだ。
「おしまい。どうだった?」
「女の子が可愛いかったー」
「だよねぇ。アリスちゃん可愛かったねぇ」
「おもしろーい。お母さんは本読むの上手だねれ
「えっへへー。ありがとうございます。俊は? って寝ちゃってんじゃん」
「ねぇ、おかぁさーん…もうー回…」
「ダァメ! さっき最後って言ったでしょ? 俊も寝ちゃったし。明日読んであげるから」
「…はぁい」
「んじゃあ、小鳥、取ってきな」
布団から出た小鳥は、テクテクと自分の部屋に行き、買ってもらったばかりの勉強机の引き出しから、ある物を取り出した。
「はい」
小鳥は赤い羽根を柊翼に渡した。
「じゃあ今日は、小鳥に挟んでもらおっかな。ん」
柊翼は開いたままの本を小鳥の手に近づけた。
「違う違う。反対....そうそうそう。はい、よくできましたー。ね、こうすると、この続きから読むのが分かるでしょー」
「うん」
「じゃあ、明日からは小鳥がこの羽根を挟んでね」
「分かった」
本の栞代わりになった赤い羽根は、本の間からちょこんと顔を出していた。
小鳥は本を閉じ、自分の枕元に置いた。
「んじゃあ消すよー」
「うん…。豆球にしてね....」
「はいはい」
「おやすみ、おかぁさん」
「おやすみ、小鳥、俊」
柊翼がカチカチっと電気を消した。
「ねぇ、おかーさーん」
「あれ? 今おやすみって言わなかった?」
「私もお母さんみたいに、上手に本を読めるようになるかな?」
「なるよ、きっと。小鳥は母さん似だから。それに小鳥はお話作るのが上手だから、将来、小説家さんとか向いてるかもね」
小説って難しいし、絵がないから、絵本がいい」
「んじゃ絵本作家だ」
「そっか、絵本作家。それだよ、お母さん。それになるー! 今ね、他のクラスにすっごく絵が上手な子がいるの」
「へー。そんな子がいるんだ。是非会ってみたいね」
「じゃあ今度、会わせてあげる。その子に絵を描いてもらって、小鳥がお話を作ったら絵本ができるから、そしたらお母さんに1番最初に読ませてあげるね」
「小鳥は優しいね」
「えっへへ」
「ねぇ小鳥。今お母さんが小鳥と俊に読んであげているでしょ? あれは朗読って言ってね、相手にその物語が想像できるように、いろいろ工夫して読んでるの。声を変えたり、わざとゆっくり読んだり、お父さんがトマトを食べて泣いてる顔をマネしたりとかね。いろいろ考えながら読んでるの。知ってた? 今日、小鳥がお母さんに国語の教科書を読んでくれたでしょ? あれは、音読っていってね、朗読とはまたちょっと違うんだけど。ごめん、難しかったかな?」
「…わかんなーい…」
「そりゃそうだよね。でもいつか、小鳥もできるようになるよ。そしたら今度は小鳥がお友達に絵本を朗読してあげてね。そして、そのお友達が他のお友達に朗読してあげるの。素敵でしょー? あとこれはまだ全然先の話しだけど、小鳥が大きくなって、赤ちゃんができたら、今度はその子に小鳥が絵本を読み聞かせてあげてね。お母さんとの約束。分かった?ってありゃ?寝ちゃったか。まぁ、いっか。おやすみ小鳥…」
柊翼は小鳥にキスをして目を閉じた。
小鳥は目を閉じたまま、最後まで話を聞いていた。