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フォックスの翼  作者: ジョニー
第1章
1/46

1.夏休み

1


「もーいーかい?」


今僕が肘を押し当てている体育館のガラス扉には告知用のポスターがいくつも貼ってあり、写真付きのカラフルなものから、黒のボールペンを走らせただけの粗末なものまで、多種多様に存在する。内容は皆バラバラで、剣道部の部員募集や、移動図書の来校予定、PTAのお知らせに、すでに終わっているはずのバザーの貼り紙、あとーー。


「もーいーよ」


乾いた空気に振動したのは、男の子の声だった。声量がありすぎて、かくれんぼには不向きと言っていい。思いつくのはここを曲がった先にある給食室あるいはさらに進んだ先のボイラー室。あるいはーー。


「もーいーよー」


今度は女の子の声がすぐ背後から返ってきた。考える必要はない。おかげで「もーいーかい」を言わずにすんだ。


2つある目を開いて、僕は強い日差しを受けた。

ちょうどお昼ご飯を食べるには全く相応しい時間帯ということもあり、体育館横に駐車された工事用トラックの中では、頭にタオルを巻いた作業着姿の若い男がコンビニ弁当の唐揚げにガブリと噛みついていた。

夏休みも後半に入り、耐震補強工事も熱が入っているのか、午前中は工事の音が蝉の鳴き声をかき消す場面も多々あった。


「ブラック」


フロントガラスにタバコの煙を押し当てながら運転席に座っていた男が無愛想に色を呟く。男は車のハンドルにベタッと持たれかかると、気の抜けた目で体育館横の廃れたケヤキの大木を注視していた。

しがみつく蝉の抜け殻

すでに英語教育を受けたであろう20歳前後の男が勢いよく助手席のドアを開け、学校の道路向かいにある自販機に走り出していた。


「走らんでいい、こけるけん」


忠告とともに全国高校野球選手権大会のラジオ放送が僕の耳に入ってきた。いっそのこと、エアコンの冷気まで届けて欲しかったのだけれど、その願いも虚しくドアは閉められた。 昨日降り続いた雨は見事に回復し、広大な空の絨毯には1日ぶりの太陽が浮かんでいた。掻きむしりたくなるこの暑さをより一層かきたてているのはケヤキの木にガシッとしがみつく油蝉で、その小さな体のどこにそんな器官を持ち合わせているのかと不思議に思うくらいに、その高い声を校舎中に響かせる。


僕は左足の靴紐を結び直し鬼の業務に取り掛かる準備をする。去年から履き続けているランニングシューズはもういつ破れてもおかしくない状況にあって、ひび割れがあちこちにあり右足の靴紐は茶色く変色している。新しいノートの1ページ目のようにもっと慎重に丁寧に大切に使っていればよかった、なんて今さら言っても遅い。花壇の外脇に咲く赤い蛇苺の実をチラッと見て、僕は彼女を探しに行くことにした。


先にネタバレしておくと、彼女は木の後ろにいた。

丸まった彼女はまだこちらに気づいていないようなので、せっかくだから驚かしてみる。


小鳥ことり、みっーー」


「うわっ、びっくりした!」


発見報告もせぬうちに小鳥は僕の姿を見て驚いた。


「早すぎだよ! ちゃんと探したの? 給食室は?」


「……給食室?」


「ま、いっか。ちなみに私、かけるが隠れた場所知ってるよ。教えてあげないけどね」


教えてとは言っていないし、すでに答えを言ってしまったことにも気付かない彼女は、陽の光に照らされ、打ち上げ花火のように咲きキャキャと笑う。ひいらぎ小鳥ことり、きみはいつだって笑っている。


偶発的とはいえ、ヒントをもらってしまった。

もらってしまったものは仕方がないので、ひとまず感謝の意を伝える。


「ありがとう」


「え? ………あ! どういたしまして!」


絶対に分かってない。なのにだ、目の前の小鳥は何を勘違いしたのか、ニコニコと笑っていて、少し怖かった。とりあえずその場で一度お辞儀をして、僕は逃げ去るように給食室に向かった。


再度ネタバレをはさむと、彼は給食室にいた。正確には、鍵のかかった給食室の扉の直ぐ下。細い側溝の中なのだけれど。


かけるみーっけ」


「くっそぉ。ってか、見つけるの早くない?」


「…まぁね」


知らないふりをするのにも神経を使う。「ついさっきタレコミがあった」なんて、言えるはずもない。


翔は右膝についた葉っぱをパッと払い終わると「他の遊びにするか。コン」と僕に同意を求めた。多分、飽きたんだと思う。特に反対する理由もなかったし、かくれんぼにも飽きていた僕は、ひとまず首を縦に振った。


今更だが、僕は2人から「コン」と呼ばれている。僕の苗字が狐野こので、きつねの鳴き声から転じてコン。苗字から取るあだ名はよくあるが、鳴き声から取るあだ名ってのは、かなりのレアケースだと思う。しかも実際の狐の鳴き声は「クッ」とか「ギュー」らしく、コンとは鳴かないらしい。何もかもが曖昧で適当なそのあだ名は、何もかもが中途半端で無気力な自分に似ている気がして、なぜか嫌いになれなかった。


「ねぇ、コンと翔も今日の星空観察会には参加するよね?」


翔と体育館裏に戻ると、小鳥が石段からヒョンっと立ち上がり、本日限りの質問をしてきた。小鳥の言う星空観察会とは、夏休み中盤に開かれる夏の夜空の天体観測イベントのことで、今日がその開催日だった。


「もちろん行くよ。な、コン」


僕は首を縦に降る。さっきから僕の首は上下運動しかしていない気がする。


「良かった。私、お父さんと行く約束なの。あとね、蓮と健太も来るって」


別に聞いていないのに、小鳥はぺらぺらと喋った。こういうとこ、うちの母さんにすごく似てる。


小鳥が例に挙げた2人と僕は何の接点もない。強いて言うなら同じ学校に通う小学四年生というぐらいで、クラスも違えば2人はサッカー部、僕は帰宅部。だから僕がそれを右から左に聞き流したのはごく自然なことで逆に交友関係の広い翔は左から右に聞き入れたのかもしれない。


「ふぅん、そっか」


「それだけ?」


翔の反応がいまいちだったのか、小鳥は翔の顔をじっと見たあと少し溜めてからそれまでとは違う様子で呟いた。


「あとね、真紀ちゃんも来るらしいよ、翔」


「…………」


事態に気付いた時、すでに小鳥は斜め上使いに翔の目を見つめていた。こんな風に、ニヤニヤと…。


「ねぇ、真紀ちゃんだよ。西岡真紀ちゃん!」


それいけー、という小鳥の突撃隊を前にして、翔は防戦一方だった。というか、動けなかった。


ここまでずっと出番がなく、西岡さんって誰?状態にある僕は考える。小鳥と一緒に問い詰めて、翔を追い詰めるのもいいが、ここで翔に借りを作っておくのも悪くない。それに小鳥の味方をするのは釈然としない。ここはひとまず、窮地の友を救うことにする。


最初に思いついた作戦は、うまく話をすり替えるというものだったが、これは良くなかった。「次、何して遊ぶ?」と聞いたら「翔、聞いてる?」とフル無視された。僕のダメージも大きかった。


口は失敗したので、目を使う。次の作戦は、軽蔑の眼差しで小鳥を睨みつける、いうものだったが、これがかなりマズかった。 小鳥はさらに口角をグイッと持ち上げ喜んだ。終いには「イッヒッヒ」と憎たらしい笑い声を漏らす始末。手に負えない。火に油を注ぐとはこのことかもしれない。


援護射撃も失敗に終わり、助け船も沈没。打つ手がなくなった僕はその場を見守ることにした。


結論、助け船は必要なかった。翔は「そっか」と呆気なく返し、グッと背伸びをして、クビをポキポキ鳴らした。平然を装うという感じは全く見てとれない。だから小鳥の「つまんなーい」には、僕も同意見だったので、僕は心の中で頷いた。


「何が?」


「翔は真紀ちゃんが好きだと思ってた」


「なんでだよ」


「だってほら、この前一緒に帰ってたでしょ?」


「たまたま一緒になっただけだよ」


「好きだからでしょ」


「は? あのなぁ……」


「違うの?」


「なら言わせてもらうけど、お前もコンと毎日一緒に帰ってるだろ?」


翔が反撃に出る。僕の名前を出して。


「方向が一緒なだけよ」


おっと即答。


「だけどこの前は、蓮と一緒に帰ってただろ?」


「あれは、別に……」


追い込まれた小鳥は、「コンだって」と言って客席で見ていた僕を無理やり壇上に引っ張り上げた。痛い痛い!


「小鳥、もういいか。一緒に帰ったぐらいで好きとか勘違いされて困るのは、お互い様だろ」


「そうね。じゃないと、毎日小鳥と一緒に帰ってるコンは、小鳥のことが好きで好きでたまらないってことになっちゃうもんね。ねっ、コン」


「え?」


油断していた僕は、返す言葉を急いで探す。が、とりあえず、


「その顔やめろよ」


「あっははは。コン、ほんとに小鳥が好きなの?」


考えるだけ損した。呆れてものも言えない。


僕はフッと息を吐いて空を見上げる。


さらに少し上に目を向けると、新聞の予報はまだ外れたままで、空には雲1つなかった。


星空観察会には上々の天候、とも言える。


そして、誰かがあのフレーズを口にした。


「ねぇ、もう一回やろ」

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