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フォックスの翼  作者: ジョニー
第1章
2/46

2.浴衣

2


それからの話、最後のかくれんぼが終わる頃の話。


低学年校舎の壁に取り付けられた時計は6時を指し、めっきり見かけなくなった作業着姿の男性と工事用トラックはどこかに消え、あぶら蝉はボリュームを落とし始め、太陽は北半球に別れを告げハンカチを振っていた。


2人と別れた僕は一度家に帰宅し、シャワーを浴び、服を着替え、軽いディナーをとった。


夕食は1人でとる。父さんも母さんも仕事で帰りが遅く、仮に早く帰ってきたとしてもたいがい20時は過ぎている。


冷蔵庫をガバッと開け、今朝、母さんが晩御飯用に作り置きしていた品々を並べる。知らない魚の焼き物、足が8本ある海洋生物と海藻の酢の物、ほうれん草のお浸し、豆腐のお味噌汁。昨日は僕向けのメニューだったから、今日は父さん向のメニューといったところだろう。これが小学生向けの晩御飯ではないことは明らかだ。


ほうれん草のお浸しを咀嚼し、夕方の情報番組で明日の天気を確認しながら、机の上のデジタル式時計を確かめる。分かりやすく慌てて、酢の物全部と「いってきます」の書き置きをテーブルに残し、リビングを出て、家に鍵をかけ、自転車を走らせた。


到着した頃には、学校は全体を黒で覆われ、ホラー映画の幽霊の登場シーンに似た不気味なオーラを纏っていた。


「おーい、こっちこっち」


片方だけ古びた校門ゲートの前で手を振っているのは翔のお母さんだ。星空観察会には両親のどちらか一方が付き添いというのが絶対条件ではあったが、僕は両親の帰りが遅いという理由で、翔のお母さんに代理保護者を務めてもらうことになっていた。


「こんばんは。今日はありがとうございます」


「何言ってるのよ。いつも翔と遊んでもらってるんだから、これぐらい」


遊んでもらっているのは僕も同じなのだけれど。


トタン屋根付きの駐輪場に自転車を止め鍵をかけ、赤色のマウンテンバイクがないことから小鳥がまだ来ていないことを確認する。


翔のお母さんがまた「こっち」と僕を手招きした。そういえば、翔をまだ見ていない。


星空観察会の盛況ぶりを窺わせるかのように、体育館裏の駐車場はファミリーワゴンタイプの車が並び、空きは残すところ、あと1台しかない。今ちょうどワンボックスカーが入ってきたので、空きはない。


開催場所の運動場には、野球部の練習用のライトが炊かれ、中央に点々と並んだカラーコーンと、その奥で作業する人達を不気味に黄色く照らしてした。


「今日はよく晴れてたから、綺麗に星が見えるわ」


確かに今日は月がよく見える。そうか、うさぎは餅をつく時、両手で持つのか。


手を腰に当て夜空を仰ぐ翔のお母さんにずっと気になっていたことを訊いた。


「あの……翔は?」


「ん? あー、あの子ね。さっき、私のデジカメ持って走って行ったの。『でかいカエルがいるー!』って。バカでしょ、ほんと」


「ははっ。翔らしいですね」


その時だった。


「コンー!」


それは僕の名前だった。いや違う、あだ名だった。


そういう服装をされるのは滅多にないことなので、どうしていいか分からず、僕は全く動けなくなってしまった。


「ねぇ? 聞いてる?」


団子状に結った髪、ピンク色の着物、腰に巻いた帯に手に持った赤い巾着が僕に話しかけてくる。


「どう? 可愛いでしょ?」


「え……あ……うん」


迂闊だった。こんなはずじゃなかった。


ウソがつけなかった、嘘をつかなかった。


経験したことがなくて、見たことがなくて。けどそんなのは理由にならなくて。一枚羽織ったぐらいのコートじゃ軽く吹き飛ばしてしまうような、そんな北風でも太陽でもない、輝きにこんなにまで眼球が開いたことは今まで一度もなかった。1秒でも長く、目に焼き付けたいと思った。それが何かはすぐに分かっていたのに。この感情に向き合って、高鳴りを鼓動を心臓を一瞬を、どう言葉にすればいい。


少女の幽霊に取り憑かれてしまった僕は、ただ固まるばかりで。ただひっそりと心の中で呟く。


可愛い。


「やーやーやー! コンくんじゃないか!」


小鳥の背後からお揃いの浴衣姿で現れたのは、小鳥の母親、ひいらぎつばさだった。


茶色のショートヘアーに白い肌、笑った顔が小鳥と全く同じの彼女は、一見すると綺麗な女性だった。口さえ動かさなければ。


「小鳥、金魚すくいとか綿菓子とかないの?」


「だから今日は星空観察会だって言ったでしょ。 屋台なんて出ないよ」


「そうなの? あっははは」


「もう……」


ほとほと呆れ顔の小鳥に、能天気な彼女はさらに続ける。


「それよりコンくん見てくれよ。可愛いだろー?」


彼女は小鳥の後ろに回りポンっと肩に手を置いた。


「どうだい?」


暴発的に発音してしまった「はい」の横で小鳥が笑っているのが分かる。それもニヤニヤと。


「そうだろ、可愛いだろ。メイクもほら、どうだい。見て見て」


もっと近くでみろ、と言わんばかりに彼女が僕の顔に寄った。


「え? ちょっと。それはお母さんでしょ」


「そうだよ。ありゃ? 違った? あっ! 小鳥のことかぁ。そっかそっか、あっははは」


天下統一を果たしたいつぞやの将軍のように、彼女は天を見上げカッカッカッと大口を開けて笑った。それを見て、小鳥は丸く頬を膨らまし、不機嫌そうに彼女を見つめ返す。


「あ、どうも翔君のお母さんー」


彼女がテクテクと翔のお母さんに近づくのを見て、隙を見て小鳥に質問した。


「小鳥、お父さんは?」


「え?」


「今日、お父さんと来るって言ってなかった?」


「あぁ、そのはずだったんだけど、しゅんくんが風邪引いちゃって、家で寝てるの。それでお父さんが、代わりに、お母さんと行って来なさいって。それよりさっき、可愛いって言った?」


「言ってない」


「言ったでしょ」


「はいって言っただけで、可愛いとは一言も言ってない」


「あっはは。同じことでしょ」


そう言って、また小鳥はクスクスと笑った。

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