第二話
かれこれ数時間になると思うが、この不可思議な空間に変化は訪れない。
「何も起こらないな」
私はそう呟いた。
「まあ、こうなるだろうとは思っていたけどね」
やはりそうか。予想通りだったのでいい加減さを怒る気は無かった。最も、どうせ何を言おうと意味が無いのだろうが。
「だけれども、何も起こらなかったからと言って、何も得られなかったわけではないんじゃないかな?」
また面倒な話を持ち込んできた。しかしこのカカシが何を言いたいのか、私にはわかりかねた。
「一体どういう意味だ?」
「その通りの意味さ」
カカシに答える気が無いようならば仕方ない。自分で考えるしかない。何も起こらないとはどういうことか。
「皆目見当もつかないな」
これは私の本音だった。正直に言って、カカシの言うことを逐一考えていてはやっていられない。
「諦めるのが早すぎないかい?」
カカシは苦笑した。なるほど、コイツはこんな表情も出来るのか。
「改めてお前の意味不明さを認識するくらいだな」
「そうかい。ならば君はもっと視野を広げたほうがいい。僕を見るのも結構だが、何か大事なことを見逃しているかもしれないよ」
別に私も好き好んでこのカカシを見ていたいわけではないので、言うことに従うとしようか。しかしここには私とカカシを除けば何もない。あるのは頭上に広がる青空と無味乾燥な草原だけだ。そして私は気づいた。
「そうか、何も起こっていないのか」
青空は一向に暗くなる気配を見せない。雲も動いていないのではないだろうか。
「そういうことさ。しかしあと一歩といったところかな?わかることはそれだけかい?」
カカシはそう言って趣味の悪い笑みを浮かべた。まだあるというのか。だが私には分からない。こういう時は素直に諦めるに限る。
「降参だ」
「全く根性が無いねえ。気概が感じられないよ。」
「カカシに根性論を語られる日が来るとは思ってもみなかったな」
はっきり言ってこんな棒っきれにそんなことを語られても心に響かない。
「まあしょうがない。では空をよく見てみると良い。青空だというのに何かあるべきものが無いだろう?」
あるべきもの、とは何だろう。空にはいくつかの雲が浮かんでいて、太陽が、
「太陽が、ない」
「ご名答。」
そう言ってカカシはケタケタと笑った。
「太陽が無いのはなぜだろうね?」
「さあな。ここが現実世界ではないから、としか言えないな」
「ではここはどこだろう?」
またこの質問だ。
「いくら考えても分からない問題だ。考える意味が無い。」
「では趣向を変えてみよう」
カカシはそう言った。
「論理的に答えを出すことが出来ないのは条件が不足しているからだ。であるならば初めから論理的に考えようとするのが間違っている。そうだね、もう少しロマンチックに考えてみようじゃないか」
何を言い出すのだろうかと思ってみれば、突拍子もないことだった。しかしなんにせよ暇なのである。何か発見があるのかもしれない。付き合ってみるのも面白いだろう。
「そうだな。ではこう考えてみてはどうだ」
カカシは楽しそうに聞いている。
「この世界は私の夢ではなく、別の誰かが見ている夢なのではないか」
「ほう、なかなか面白い。続けておくれよ」
「ここが現実ではないことは明らかだ。であるならば私の夢か、死後の世界だろうと考えた」
カカシは笑みはそのままに聞き入っている。
「しかし、だ。私が死んだとは考えにくい。考えたくもない。だってそうじゃないか。私は現にここにいる。死人に口なしと言うだろう。五体満足ならば生きているに決まっている」
「なるほど。確かにそうだ。でも死んだら天国なり地獄なりに五体満足で行く可能性もあるんじゃないかい?」
カカシが口を挟んだ。しかし苛立ちなどは無かった。いつになく饒舌で気分が良かったのだ。
「そうだ。私は死んだことが無い。死んだことが無いならば死んだらどうなるのかなど知りえない。だから、私が知らないのだから、逆説的に私に死後の世界は無いのさ」
「ほう、そう来たか。でもどうだろう。それだと死んだら何もないということになる。それはあまりに可哀想じゃないかい?」
カカシは反論する。
「ではこう考えよう。天国なり地獄なり、或いはそれらとも異なる場所に行くのだとしよう。その時そこに行くのは一体何だ」
私は敢えてカカシに尋ねた。これにはカカシも予想外だったようで、少し驚きながらも返答してきた。
「魂だろうね。果たしてそんなものがあるのか僕には分からないが」
「そうだ、魂だ。そして魂が意思をもって動くのならば、それは生きているのだ」
間髪入れずに、私は言った。こんなに口が回ることはそうないだろう。
「なるほど。君の言いたいことが分かったよ。それならば死後の世界など存在しない。君が死んでここに来た、ということは有り得ない」
「その通りだ。では次に私の夢という可能性だ。これは至極簡単だ」
「ほう、聞かせてくれ」
カカシは私の言うことを一言半句聞き漏らさないつもりのようだ。
「だってそうだろう。私はこんな夢は見たくない。それにこれは悪夢というには何もなさ過ぎる」
そう私が言うとカカシはケタケタと笑い出した。とても愉快そうだ。
「ああ、そういうことかい。よく分かったよ。さっきの夢かどうかの話よりもよっぽど納得できる」
「しかし、だ。この状況を説明するのに夢という可能性は非常に納得がいく。何より私が考えても思いつかないのだから他の選択肢は有り得ない。であるならば、これが他の人間の見る夢だと考えば良い」
「では、これが他人の夢だと言う根拠は?」
私は自信をもって答えた。
「考えてもみろ。人の夢に出てくる者の立場になってみるなど、そうできることではない。とても面白そうではないか」
「確かに面白い。ああ、良いじゃないか。全体の論理も、個々の論理も破綻しているのに、これほど説得力を持つ答えは他に無い!」
カカシは興奮している。
「では最後に聞かせておくれ。君が他人の夢を構成するものの一つなのだとしたら、君は一体何者だ?」
「そんなの簡単じゃないか」
私は答える。
「私は私だ。それ以外の何者でもない」
それを聞いて、カカシは満足げにケタケタと笑った。