第三話
先ほど体を包んでいた不思議な高揚感は既に失せていたが、何かすることがあるわけでも無く、ただ座っていた。気晴らしにはなったが、もう退屈の気が表れ始めている。
「暇だ。何か面白い話は無いか」
私はカカシにそう尋ねた。
「おや、ものの数時間で目覚ましい進歩だねえ。君から僕に話かけてくるとは」
カカシは驚いていた。それにしても感情表現の豊かなカカシだ。顔は変わらないのに喜怒哀楽がすぐにわかる。しかしカカシが驚くのも頷ける。数時間前の私が今の私を見たら腰でも抜かすのではないだろうか。
「面白い話か。そうだねえ」
カカシはそう切り出した。何せこの空間には娯楽と呼べるものが無い。喋るカカシは暇つぶしには持ってこいである。しかしそれはカカシ本来の役割に適っているのかどうか。
「どうやら下らないことを考えているようだね。まあいい。こんな話はどうだろう」
「とにかく早く話せ。話はそれからだろう」
カカシはやけに勿体を付けて話す。ここまで引き延ばして面白くない話だったらどうしてやろうか。
「時に君。君は僕を何者だと思う?」
なにやら面妖なことを聞いてきた。
「何を言うかと思えば。お前はカカシに決まっているだろう」
考えるまでもない答えだ。するとカカシはそれを待っていたかのように滔々と語り始めた。
「その通りだ。僕は確かにカカシだ。しかし僕をカカシたらしめている要因は何だろう?カカシとは元は田畑を害獣から守るためにある物だ。しかしここには見渡す限りの草原。何もないと言って差し支えないだろう。」
中々に小難しいことを思いつくものだ。私は関心の念すら覚えた。しかし結局は下らないことである。
「そんなものは簡単だ。お前の見た目はどこをどう見ようとカカシそのものだ。カカシに決まっているじゃないか」
そう言うとカカシは例のケタケタと鳴る笑い声をあげた。
「しかしねえ、その考えには重大な問題点があるんだよ」
「ほう。それは何だと言うのだ」
やたらと勿体ぶる口調は変わらない。最も他にやることもないのでさして気にはならないが。
「考えてもみておくれ。ここは君がもと居た、と思い込んでいる世界とは全くの別物だ。カカシが存在するのはその世界であって、この世界にも存在すると言う確証はどこにもない。君も僕も僕のことをカカシだと思い込んでいた。しかしどうだろう。君が本当にその世界にいたのか君にも僕にも確かめる術はないんじゃないかな?」
これには流石に返答に窮した。
「だがお前は私に会う前から自分のことをカカシだと分かっていたのではないのか」
「ああ。確かにそうだ。しかし君が見ている僕は、あくまで君が認識している僕に他ならない。だから君が自分はあくまで自分であると主張するのなら、まず君の存在を確たるものにしなければならなければ、僕の言動を根拠にすることは出来ない。違うかい?」
立て板に水、よくも詰まらずにここまで言えるものだ。しかしコイツの言いたいことは、つまり、
「つまり、お前が何者かという疑問は俺が何者かという疑問と同義だと言いたいわけだな」
「ご名答」
カカシは嬉しそうにケタケタと笑った。
「成程。しかし不思議なものだ」
暇つぶしには丁度良い。
「じゃあここでさらに状況をややこしくさせてみようか」
「良いだろう。それは何だ」
これ以上ややこしくなろうと大差ない。
「僕がカカシなのかどうかわからないとすると、当然こんなおかしな疑問も考えられる。実は僕は人間なんじゃないか、ってね」
ここまで捲し立ててきたのはこの話に繋げるためだったのであろうか。もはや観念的な領域に入っている。
「君は自分は人間で、僕がカカシであると主張している。しかしその根拠はあやふやなものだ。ここで僕が、僕は人間であると主張したらどうなるだろうね?」
カカシは楽しそうだ。
「しかし主張には根拠が必要だ。お前が人間であるという根拠は私には見当たらない」
「そうだねえ、体と心を持っている、なんていい理由にならないかな?」
何ということを抜かすか。そんなものは人間に限らずいくらでもあるだろうに。
「しかしねえ。それでは何の面白みもない。こうしてはどうだろう。君は君が君以外の何者でもないと主張した。では僕はこうしよう。君が今までいた世界と言うものは存在しない。だから君の人間に対する認識は間違っている。僕は自分を人間だと思っているがこれが正しいのだ、と」
成程面白い。しかしその考えには致命的な欠陥がある。
「だがそれは、だ。確かに私が反論することは出来ない。しかし君にも証明することは出来ない。だからそれは主張としてはあまりに不十分だ。」
私がそう言うとカカシはケタケタと笑った。
「それは君自身の主張も否定することになるが良いのかい?」
カカシは揺さぶるように問いかけてくる。しかしその問いは無意味だ。
「お前は何か勘違いをしている。私の考えは確かにお前に主張するには不十分だ。しかし自分自身でそれを正しいと思い込むことに何ら問題は無いだろう」
カカシは少しだけ驚いたように、しかし直ぐに笑って答えた。
「確かにその通りだ。するとつまり、君の君が人間だという考えと僕の僕が人間だという考えが存在することはおかしくないと言うことだね」
「勿論、その通りだ。そもそもこの世界で何が通用するのかわからないのだから、自分が何者か、など好きに考えれば良い」
「成程」
カカシは短くそう答えた。先刻までの饒舌ぶりはどこへ行ったのだろう。
「ただ、」
私は付け加える。
「私にはお前が人間だとは到底思えないがな」
それを聞いて、カカシはケタケタと大笑いした。良い暇つぶしにはなったとだろう。




