日記
僕らが飛び込んだハイム城内は外観の見た目よりも広く感じられた。
城内の出入り口前広場には桜花団やアルカノギルドの面子が数百人ほどいるが、窮屈さを感じることはない。
アルカノとの一件で力が抜けたのかハカセは、気怠げに腰を下ろした。
それでも傍らに立つ団長よりも頭一つでかいのが何とも奇妙に見える。
「ハカセよ。先ほどの話の続きにもなるが、私にもわからぬ点や疑問がいくつかある。それに答えてもらうことは可能か?」
「私に答えられることなら、すべて話します」
「うむ。すまんのぉ。まず疑問はその後のスタンド社のことじゃ。チルドレンが亡くなったあとも会社は存続していた。そうじゃろ? その後、兄君はどうされたのじゃ」
「……兄は……亡くなりました」
「なんじゃと!?」
ハカセから出てきた言葉に僕らは驚愕する。
だって……、僕はてっきりラフィン・スカルはハカセのお兄さんではと疑っていたからだ。初っぱなの予想を裏切られてる間に二人は会話を進めた。
「そ、それは申し訳ないことを聞いてしもうた」
「いえ、いいのです。スティーブがあんなことを言わなければ最後までお話するつもりでした」
「しかし、そうなるとアルカノの態度はどうにも腑に落ちん。奴のあの驚きようはまるでチルドレンや兄君が生きて目の前に現れたような反応だったではないか」
「私がこの世界にいる理由もそこにあるんです」
「というと?」
「S+Mが……、スタンド社がゼウスコーポレーションに売却されたことは皆さんもご存じですよね? 巷で流布されている会員数が二万人しかいなかった、運営が失敗していたなどの流言はデマで、本当のところはスティーブが会社の金を使い込んでいたのが原因です。また、兄たちには内緒で彼が自社株を分割し、ゼウス社の上層部にばらまいていたことも後にわかりました。すべては経営を任せっきりにしてた兄たちの責任でもあります。その点について、兄さんは一言も文句を言いませんでしたよ……。その後、ゼウスに合併されたスタンド社は分割され、ほとんどの社員は去りました。兄たちも自分達の子どもを失った悲しみとスティーブに失望したこともあって会社を離れました。問題はS+Mを構成している根幹システムが兄たちにしか理解ができない点が多々あったことです。ゼウス社は数千人の技術者を雇って解析を進めましたが、システムの数%も理解できなかったそうです」
「あの混乱期はそれが原因じゃったか」
話を聞いていたパトがいつの間にかハカセの側に寄り、疑問を投げかける。
「はい。実際問題、今もそうらしいです。兄たちが作ったシステムはブラックボックスと化し、開発側は仕様書を元にプラグインという形で補っていると残った社員から聞きました。それもあってか、ゼウス社からは再三に渡り、兄たちに会社へ復帰して欲しいと懇願されていたようです」
「なるほどのぉ。で、それと兄君の死因とは何か関係があるのかの?」
「……。それは今もわかりません。兄は会社を去った後も、何かをずっと研究していたのですが、私には何をしているのかは教えてくれませんでした。数週間後、兄は世を去ります。朝方机に突っ伏したままの兄を私が発見したんです。死因は過労死。この時は悲しみのあまり深くは追求しませんでした。そして、数ヶ月後に兄の友人でもあり、兄と一緒に会社を立ち上げたフレディが飲酒運転で事故死したとの知らせが入ります。私はここで初めて違和感を感じました」
「違和感? いったい何にじゃ?」
「フレディはお酒が飲めない体質だったんです。警察は会社を『解雇』されたフレディが自暴自棄になって飲めないお酒を大量に飲んだのだろうと。私はそれがデタラメだとすぐにわかりました。フレディはスタンド社の設立メンバーではリーダー的存在であり、会社が無くなった後も積極的に活動をしていたのです。そんなフレディが自暴自棄になるはずがない。そう疑問に思いつつも私にはそれ以上のことが出来ませんでした。ただ、私はフレディの死に対して不信感をいだいていたので、それを他のスタンド社設立メンバーと話し合うために連絡を取ろうとしたのですが……。メンバーは全員亡くなっていたのです」
「全員!?」
思わず口を挟んでしまった。
だって……、この世界とは切り離された、まるで別世界の出来事のようだったから。テレビドラマをみていて思わず突っ込みをいれる感覚。
アレに近いものがある。
「全員です。会社の解散後、設立メンバーは各地へと散り散りになりました。フレディはその後も度々我が家を訪れていたので交流があったのですが、他の人たちと私は連絡を取り合っていなかったのです。ですから、それを知ったとき、これはただの事故死ではないと確信しました」
「他の方達の死因もすべて事故で?」
「死因は様々でしたが、個別には何気ない事故を装っているかのようでした。不可解な出来事は、私の周辺にも現れはじめました。自宅に盗人が入ったり、私の周りで物盗りが頻発したり。怪しい人影にも付けられたりもしたのですが、ある日を境にそれもなくなりました」
「おいおい。それって神経過敏なだけなんじゃねーの? 実際そんなことあるんかよ」
「だまらんか! この愚弟が!」
悪態をついたパイロンにサクラさんが一括する。
「しかし、設立メンバーは全員お亡くなりになったのか。ハカセにはすまんが私はてっきり今回の一件は設立メンバーの意趣返しだと思うておったわ」
「ぼくも!」「私も」「俺も」と同調した僕のあとに、と他のメンバーが続く。
みんな思ってたのね。
「だけどよぉ」
サクラさんに叱られ肩をすくめていたパイロンがまたもや口を挟んできた。
「だけど、それとハカセがS+Mをやってるのは何が関係してるのよ」
「兄を見た。ある日、元スタンド社の社員からそんなメールが入ったのです」
「おいおい。ここでまさかのオカルト系ってか? よしてくれよ俺はお化けが嫌いなんだよ」
「は! 男のくせに情けない」
「それは性差別だぜ! 姉貴!」
「オカルトであってオカルトではないかも知れませんよ、パイロン。その社員が兄をみた場所、それはS+Mの中だったんですから」
「なんだそら。仮想世界なら似たようなタイプのキャラクターが動いているだろうよ。まさかそんな話につられて元いた会社のゲームをやってたんか」
「ええ。まさにその通り。私もそう思いました。正直ここに足を運ぶのは気が重かった。しかし、それでも一度確認しておきたかった事もあったのでちょっとした抜け道をつかってS+Mにキャラクターを作ったんです」
「抜け道って、普通には作れんかったのか」
「私の個人識別IDがはじかれていたので。ゼウス社としては元開発の人間が悪さをしないかと徹底的に排除をしていたようです。S+Mがクラッキングされても直せませんからね」
「なんとも情けない」
「ですね。……話を戻しますが、私が確認したかったこと、それは隠し部屋の存在です。兄たちは生真面目の土台に真面目さの家屋を建てるような人たちでしたが、遊び心もありました。兄たちにしか見えない洞窟や隠し部屋をこの世界に作ったんです。兄と私とキースは現実世界の家を再現し、開発に行き詰まったり疲れたときはそこで過ごしたりしたものです。久しぶりに訪れるS+Mの我が家は以前と変わっておらず、もしかしたらここに兄がいるのでは? そう思った私の考えは空振りに終わりました。部屋を探索し、やはり来るべきではなかったと後悔しかけたとき、交換日記の存在を思い出しました」
「交換日記とな?」
「ええ、私たちにしか入れない家で必要もなかったのですが、キースはそういったことが好きで絵本にカモフラージュされた交換日記が本棚にありました。それがこれです」
ハカセは自分のマジックバックからウサギやクマなどのイラストが描かれたハードカバー本を取り出し、サクラさんに手渡す。
その表紙のクマはどことなくハカセに似ていたのが印象的だ。
受け取ったサクラさんはその絵本を適当に捲っていく。
「む〜。ただの絵本じゃな」
「はい。私たち以外がこの本を捲ってもキースが好きだった絵本が表示されるだけなのです。しかし、私が捲ると……」
ハカセがクマの爪で器用にハードカバーを捲ると先ほどサクラさんが見ていたものとは違う言葉が表示されていた。
読んでみようとその日記をのぞき込んだが僕にさっぱり理解できない。
だって、英語らしき言語で書かれているんだもの。英語らしきってなんだって突っ込みが入りそうだけど、筆記体で書かれた英語とそれ以外の言語なんて僕に見分けが付くはずがない!
「あ〜、すまんがハカセ、なんて書いてあるんじゃ?」
「ああ! すいません。この世界で書かれたものは絵画扱いになって翻訳されないんでした。すっかり失念してました。これはですね……」
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day;4月9日
title:おじいちゃん
今日はおじいちゃんと知り合ったよ。
どこかの偉い人だったみたいだけど、今は寝たきりなんだって。
クロノスの助成システムは難病を抱えた子ども達から介護が必要な老人までVRシステムの導入を促したんだ。
今ではこのネットワークに知り合いがいっぱいできて、たくさんお話を聞くことが出来るようになったよ!
キース
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day;5月5日
title:イタズラ
今日、社員のPCが起動すると笑い袋が作動するアプリが仕込まれている事件があった。
このイタズラは君たちがやったのかな?
クリス
re:イタズラ
day;5月6日
ごめんなさい。ちょっとふざけただけなんだ。もうしないから許して。
キース
re:イタズラ
day;5月6日
ごめん。俺がキースに教えたんだ。まさか全社員のPCに仕込むとは思わなかった。
p.s.
でも楽しかったろ?
キーファ
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身構えて聞いていただけに、正直内容は肩すかしを食らった気がした。
同じように思ったのかサクラさんもハカセに苦笑しながら訴える。
「なんじゃ。てっきりこの日記に核心をつく秘密でも書いてあるのかと思うたわ」
「たぶん書いてあると思います」
「なぜ、そんなことがわかるんじゃ」
「この日記が更新し続けられていたからです」
「は!?」
「この交換日記は、兄、私、キースが書き込めるのですが、私が開けるのは兄やキースが私あてにメッセージを書いたり、私が書き込んだものだけで、彼らのプライベートな部分は許可がないと閲覧できないのです」
そう言い終えると、ハカセは日記を捲る。
「この部分は兄が私にむけて公開したページです」
日記を広げたままハカセは音読をしてくれた。
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day;3月9日
title:私は誰かに狙われている。
キーファ、お前がこの日記の存在に気がつくことを祈って書き記す。
私はキースがいなくなったあと、彼が残した研究を調べていた。それはとても口で言い表し難い研究内容だった。
もし仮に彼らがその研究を完成させていたとしたら、私はスティーブから……ゼウス社からS+Mを取り戻さねばならない。
だが、どこから嗅ぎつけたのかこの研究内容を盗もうとする輩がいる。
私は奴らからこれを守り切れないかも知れない。そのときはお前にカギがいくようにしよう。
頼むぞキーファ。
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「これは?」
「おそらく兄が亡くなる寸前に書いた日記のようです。兄も抜け道をつかってS+Mにキャラクターを作っていたのでしょう。私がこれを見つけたのは数ヶ月後でした。この時、兄はすでに他界していました。私がもっと早くこの日記を見つけていたら……。そう後悔しながら日記に書き込んだのがこれです」
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day;7月1日
title:兄さんへ
兄さんは一体何を研究していたんだい。悩んでいることがあれば相談して欲しかった。
兄さんやキースには及ばないかもしれないけど、俺にも手助けできることがあったはずなのに。
今では悔やんでも悔やみきれないことばかりだ。
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「ふむふむ。言うてはなんじゃが、普通じゃの」
「はい。そしてその五日後にこれが書き込まれていました」
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Re:兄さんへ
day;7月6日
キーファ、お前に頼らなかったのは私に迫りつつある危機に、家族を巻き込みたくなかったからだ。
決してお前の能力を疑ったわけではない。私は戦わなければならない。
亡霊となってでも奴らに……。
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「こわいわ!!」
サクラさんはパイロンに言っていたことと真逆な行動をとると、近くにいた僕へとしがみつく。
腕に感じる重量感のつまった、サクラさんの胸の感触に全力をあげて神経を注ごうとしたとき、他団員の視線から朱雀の炎に匹敵する熱量を叩きつけられた。
彼らの熱視線を避けながら、ハカセに疑問を投げかける。
「この日記の返事ってお兄さんしか書き込めないの?」
「ええ、この辺のセキュリティ面が変更されていない限り、本人にしか書き込めないはずです」
「不思議に思ってたんだけど、ハカセは識別IDを変えているのに、この日記が開けるのは怪しくない?」
「いいところをつきますね。まず識別IDの抜け道に関してはゼウス社のシステムをだましただけで、本来のS+Mに備わったセキュリティを迂回できたわけじゃないんです。なのでS+Mの中ではいくらキャラクターを変えても私自身の個人認証自体は変わりません。それと兄を語る第三者の存在、それは当然私も疑いました。ですが、それに関しては、この日記に書き込むときは私たちしか知らない“パスワード”を使ってます」
「「「パスワードって!」」」
周りにいた人々から総突っ込みが入る。
今の認証システムは国民識別ID、もしくはソウフトウェアキーが発達していて、パスワード自体が存在していない。
僕も言われて思い出したくらいだ。古い映画とかでしか見たことないけど。ハカセって一体何歳なんだ。
「みなさんが驚かれるのも無理はないです。私も兄もキースから提案されるまでは思いつきもしませんでしたから。しかもそのパスワードシステムは今はもう存在すら知る者がいないはずの古いプログラム言語で書かれているのです。キースがどこからそのような知識を得たのか……」
「それってつまり……」
「この日記に何かを書き込むことができるのは兄だけのはずなんです」
「待て待て待て!」
サクラさんが慌てたようにハカセの言葉を遮る。
「本当に亡霊とか言い出すのではあるまいな! この科学時代に、いまさらオカルトなど! いない! いるわけが無い! お化けなど」
「い、いやサクラさん、僕の背中に隠れながら言っても説得力ないです」
「怖くなどないぞ!」
普段強気な人がこういったことに怖がるのが無性にかわいく見える。
サクラさんの頭を撫でながら、僕はハカセに向き直ると、
「ハカセは、つまり、え〜と、結論は?!」
「兄はこの世界で生きている。そう思っています」
『えええええええええ!』
桜花団が久々に息のあった合唱を奏でる。
「いや、そりゃ、ないだろ」
「ないな。うん。ない」
「あれだって、実はお兄さん死んでなかったとかさ」
「冒険活劇どこいった!」
周りにいた人たちは好き勝手にハカセの言葉に茶々をいれる。
僕も色々と言いたいことはあったけど、またサクラさんに殴られそうだったので黙っていることにした。
ざわめきは納まるどころか、後方メンバーに伝言ゲームのごとく広まると、よりいっそう外野の声は大きくなっていく。
静まるのを待つ前にサクラさんが口を機先を制した。
「ハカセよ。突拍子もないことを言い出したのぉ……と、言えん状況か。今のような事が起こっておらず、そのような話を聞いていたら真っ先に病院を紹介したじゃろう」
「私もそう思います」
「ハカセには思うところがあるようじゃの。よかろう。もうこれ以上は聞かぬ。聞いても我らには何も出来ぬからの。次に今一番聞きたい事を問うぞ」
「はい。何でもどうぞ」
「神獣とは……、朱雀とはなんだ」
示し合わせたように、外野のざわめきがピタリと止まる。
今、誰もが知りたいこと。
外にいる怪鳥、数千人のプレイヤーの命を一瞬にして断ち切った化け物、神獣朱雀。
僕らはあいつを倒すことが出来るのか。
ハカセは朱雀にまつわる話を語り出した。
ちょこっと誤字脱字修正と、3カ月後なのに半年後と書いていた箇所を修正しました。




