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マンデーパニック! 〜変なTシャツと犬、ちょっとだけ勇気。会社のアイドルと二人で月曜日が楽しくなるまでの物語〜  作者: ゆゆこりん


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第13話:おかゆ

 日曜日の朝。

 目が覚めた瞬間、世界が回転していた。

 これが地動説か。


「……あつ」


 自分のおでこに手を当てる。熱い。明らかに熱い。

 体温計を引っ張り出して脇に挟むと、しばらくしてピピッと鳴った。


 38.2度。


「マジか……」


 最近の残業続きの影響か。

 いや、夜の散歩で汗をかいたあとシャワーも浴びずに寝落ちしたのがまずかったんだろう。


 起き上がろうとするが、体が鉛のように重い。頭の芯がぐらぐらする。


 冷蔵庫の中身を思い浮かべる。

 昨日使い忘れた卵。賞味期限が二日前に切れた豆腐。あとは醤油とマヨネーズだけ。

 カップ麺のストックも切れていた。コンビニに行く気力すらない。


 完全に詰んだ。


 横になったまま、枕元のスマホだけ手に取った。

 とりあえず、連絡だけしておこう。公園に遊びにいく約束をしていたのに。

 おこげに悪いことをした。


 『風邪ひいて発熱しちゃったんで、今日は公園行けないです。すみません』


 天草さんに送信。

 一秒で既読がついた。速すぎる。日曜の朝八時にこの速度とは。


 返信は三通連続、機関銃のように来た。


 『大丈夫ですか!?』

 『ご飯とかちゃんと食べてますか!?』

 『ちょっと待ってて下さい!!』


 ちょっと待ってて、とは。

 何を待つのか、嫌な予感がする。

 だがこの体調では、その予感を分析する前に意識が遠のいて——


 

 ピンポーン。

 機械的な音に意識を呼び戻された。


 目を開くと、景色が横になっていた。

 どうやら寝てしまっていたらしい。


「食材持ってきました!」


 インターホン越しに聞こえる、明るい声。

 這うようにして玄関のドアを開けると、そこには。


 ダサい黒縁メガネ。芋ジャージ。

 そしてTシャツの胸には、筆文字で堂々と——


 『おかゆ』。


「……天草さん」

「はい!」

「その服、狙ってます?」


 一瞬の沈黙。天草さんが自分の胸元を見下ろす。


「え? ああ! 違います、偶然です! 本当に偶然です!!」


 両手をぶんぶん振って弁解している。顔が真っ赤だ。

 本当に偶然なのだろう。この人に、そういう洒落た計算ができるとは思えない。

 だが天草家のTシャツには、もはや予言能力があるとしか思えなかった。


「あがっていいですか?」

「えっ……いや、散らかって——」


 言い終わる前に、彼女はもうスリッパを脱いでいた。行動が速い。

 手には、スーパーの袋。はみ出たネギ、ペットボトル、あとはなんだろう。

 

 彼女が部屋に入った瞬間、ぴたりと足が止まった。


「……大塚さんの部屋、思ったより殺風景ですね」


 痛いところを突かれた。

 六畳ワンルーム。折りたたみテーブル。万年床の布団。カップ麺の空き容器が三つ。ゴミ箱代わりのビニール袋。

 男の一人暮らしにしても、生活感というよりも生存感しかない。


「……カーテンとか、テーブルクロスとか、何かあった方がいいですよ」

「カーテンはありますよ。あの灰色の」

「あれカーテンだったんですか……。洗濯ネットかと思いました。玄関まで来させといてなんですけど、大塚さんは寝ててください」


 容赦ない。

 だが反論する元気もなく、おとなしく布団に戻った。


 ◇


 天草さんは、狭い台所に立つと、てきぱきと準備を始めた。


「兄がしょっちゅう風邪ひくので、看病は得意なんです」


 そう言いながら、卵を割り、生姜を刻み、鍋に水を張る。

 慣れた手つきだった。トトトトトッと包丁がリズムとネギを刻んでいる。

 鼻歌まで歌っている。何の曲かはわからないが、軽快なポップスだった。


 俺は布団に包まったまま、ぼんやりとその背中を眺めていた。

 会社では完璧に着飾っている天草さんが、芋ジャージ姿で俺のボロアパートの台所に立っている。

 絵面のシュールさに、熱の高さも相まって現実感がなかった。


「あ、お鍋お借りしますね。……って、お鍋これしかないんですか?」

「……一人暮らしですから」

「その一つのお鍋も、新品同様にピカピカなのが逆に心配です……」


 使ってないのがバレた。


 やがて、生姜の良い香りが狭い部屋に広がり始めた。

 詰まった鼻にも、ちゃんと届くくらいの、温かい香り。


「はい、できました」


 差し出されたのは、湯気の立つ卵おかゆ。

 黄色い卵がふわりと溶けて、刻みネギが彩りを添えている。


 一口すくって、口に運ぶ。


「……うま」


 体の芯から、じんわりと温まる。

 優しい、という表現がぴったりの味だった。

 カップ麺しか知らなかった俺の胃袋が、号泣している気がする。塩加減が、ちょうどいい。


「よかった」


 天草さんが、心底嬉しそうに笑った。

 会社で見せる営業スマイルでもなく、豆腐モードの気楽な笑顔でもない。

 もっと温かい、何かを慈しむような表情。


 胸がじんわりする。

 ——熱はまだ下がっていないようだ。


 ◇


 おかゆを食べ終えてしばらくした頃、スマホが震えた。

 同僚の藤田からの着信だ。


「もしもし」

「よう大塚、悪いな休みに。明日の会議の資料ってどこだっけ? 朝イチ使うんだけどさ?」

「ああ、あれは、うーんどこだっけな」

「ん? 鼻声だな。大塚風邪か?」

「あー、ちょっとな。んで、たぶん、資料は営業共有ドライブの――」



 そのとき。


 台所の方から、明るい声が飛んできた。


「大塚さーん、おかわり要りますかー?」


 時が止まった。


 電話の向こうが、しん、と静まる。


「……今、女の人の声しなかった?」


 げほっ!

 口の中におかゆが残っていたら吹き出しているところだった。


「き、気のせいだろ!!」


 台所を振り返る。

 天草さんは、自分が何をしたのかようやく気づいたらしい。口を手で塞ぎ、目を見開いている。顔が真っ赤だ。

 おたまを持ったまま石像のように固まっている。


「いや絶対聞こえたって。お前いま誰かと——」

「資料は『今月度会議』フォルダに入ってるから! じゃあよろしく!!」


 ブチッ。通話を切った。


 部屋に、重い沈黙が落ちる。

 俺と天草さんは、約三秒間、互いに固まったまま顔を見合わせていた。


「……やっちゃいました」


 天草さんが、消え入りそうな声で言った。おろおろと両手を顔の前で泳がせている。

 おたまから落ちた雫が、古びた台所のクッションフロアを濡らした。


「……明日が怖い」


 俺は布団に突っ伏した。


「す、すみません……! 私、つい台所にいるの忘れて……大塚さんが電話してるのも見えてたのに……」

「いや、天草さんが悪いわけじゃ……」


 悪いのは、この状況だ。

 日曜日の昼間に、同僚の家で女性がおかゆのおかわりを提案するという、釈明不能の構図。

 料理番組のテレビの音で押し通せるだろうか。いや、「大塚さーん」と名前を呼んでいた時点で無理だ。


 だが。


 天草さんの作ったおかゆの温もりが、まだ胃の中に残っている。

 わざわざ食材を買って駆けつけてくれた、その気持ちが嬉しい。

 月曜日の恐怖より、そっちの方がずっと大きかった。


「……ありがとうございます。おかゆ、本当に美味しかったです」


 俺がそう言うと、天草さんは一瞬驚いた顔をして、それからまた、あの柔らかい笑顔を見せた。


「……お大事に、してくださいね」


 彼女が帰ったあと、がらんとした部屋に残ったのは、洗い物まで済ませてくれた鍋と、テーブルの上のスポドリと、かすかな生姜の香りだけだった。


 布団に潜りながら、天井を見上げる。


 こりゃ、風邪より月曜日の方が命に関わるな。


 だけど。

 もっとあのおかゆが食べたいな、と思ってしまったのは——

 まだ熱が高いからなんだろうな。

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― 新着の感想 ―
 や~、新しい犬が出てくるのかと思いました(^^) >私、つい台所にいるの忘れて  看病が楽しかったかな?
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