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をぐらのさうし 巻之弐十六  作者: 小椋夏己
2026年  6月

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文句があるなら食べるな!

 いつも見ているSNSでこんな質問をしている方がありました。


「昭和の家庭ではご飯のおかずに文句があったら『文句があるなら食べるな!』って言われたって本当ですか?」


 逆に聞きたい、


「え、言われないの?」


 もちろん出された内容や出し方にもよるかと思いますが、基本的にご飯作ってもらって出してもらったら、文句を言うのはあまりよろしくないかと思います。


 私の場合はと言いますと、これまでにも何回か書いてきたんですが、幼い頃から小学校の真ん中あたりまではそりゃもうどえらい偏食で、気持ちよく食べられる物の方が少なかったという状態です。あることをきっかけに偏食が改善されていきましたが、出された物に文句を言った記憶はないものの、出されても食べられないことも多かったです。


 例えば子どもが大好きなメニューの代表、カレーがだめでした。カレーの時はご飯の上にほんのちょっと、雀の涙ほどカレーをかけ、そこにウスターソースと生卵を入れてぐちゃぐちゃに混ぜて食べるという調子。これもうカレーじゃないから。他に食べられない物があった時は、小さいフライパンで自分で目玉焼き焼くかソーセージ炒めて食べてました。幼稚園の頃にはもうそうやってたので、それが料理の第一歩というのはなんとも皮肉なことですが。


 ただ、それが許されるのは父がいない日だけです。平日は大抵遅かったんですが、たまに早く帰ってきて、その時にカレーだったりしたら、


「ちゃんとかけなさい」


 と、どばっと一人前かけられて涙目になって食べてたなあ。


 後年、なんで母が偏食に関してあんなに甘かったかが分かってきます。母、私なんて比較にならないほどの偏食でした。しかも大人になっても改善されてないことも多かった。というか、食べ物のない戦中戦後でも嫌いな物は徹底して食べないほどの筋の通った偏食。時代も時代だったので、食べられる物がない時にはご飯に塩だけだったとも聞きました。そういう具合でしたが作る側だったので目立たなかったんですね。そして嫌いでも作ってくれてたのは偉いと本当に思います。


 ということで、文句があるなら食べるなと私は言われたことはないんですが、それってやっぱり今もじゃないかなと思います。もしも文句があるなら自分で作りましょう。幼い日の私は食べられる物がなかったら自分で卵やソーセージを焼いてました。誰だってそのぐらいやろうと思えばやれるでしょう。


 もちろんその時にも、


「こんなもん食えるかあ!」


 じゃなく、


「食べられないからこれ食べていい? ごめんね」


 の気持ちを込めてもらいたいものですが、作ってくれたことへの感謝だけは忘れずに。

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