5話 初白ご飯の変わり果てた姿に涙する
前回までのあらすじ
世直しなどしない道中を終えた二人は、無事ながらも両腕に大きな負担をかけた。
救世主ハルはその負担をものともせず、立派なオムライスを作り上げたものの、救世主からお荷物へと転落してしまう。
トントントントントントン...
リズミカルな音が聞こえてくる。遠いところからのような、すぐ近いような。
なんだか頭がズキズキして、ぼぅっとする。喉がヒリヒリするし口の中がカラカラだ。あぁ苦しくて、口で息してるからか。
......ちょっと、寒い。
掴んでいた毛布をさらに手繰り寄せ、胎児のように身を丸めた。
「コウちゃん? 起きた?」
誰だ? 誰の声だったか。ハルかな、あぁそうだハルの声だ。
「~~」
返事をしたつもりが、口から出たのはただの呻きだった。
「コウちゃん!?」
ほんの数歩、パタパタと足音がしてすぐそばで止まる。首だけ捻ってそちらを見れば少し霞む視界の先に、目を見開いたハルの顔がすぐ近くにあった。
「コウちゃん? コウちゃん!」
うるさいよ。頭に響くだろ。
「寒い」 それだけ、絞りだした。
冷えた手がおでこに添えられる。身体は寒いのにそこだけ気持ちがいい。少し湿ってるのは洗いものでもしてたのか。
「熱があるよ。風邪...」
あぁそうか。風邪ひいたんだな。そこに思い至るのにこんなに時間がかかるなんて、頭が回ってないな。
で、なんでお前が泣きそうなんだよ。
不意に、浮遊感。持ち上げられてる? フラフラ?ヨロヨロ?
降ろされた、というより抱え上げた腕も一緒に落ちてる感じ。自由落下って言葉で言うほど自由ではないんだな。
くるまっている毛布の上から布団を掛けられた。ベッドに運んでくれたのか。
「水...」痛む喉で水を求める。
「うん」
そう言って去った足音はすぐに戻ってきた。
「飲める?」
後頭部に手を添えられて頭を起こし、口に硬いコップの縁をあてられたけど逆に顎と喉が閉まって、飲むことができなかった。水がむなしく胸元に落ちる。
「コウちゃん ごめん」
唇に、濡れた柔らかいものが押し付けられた。その湿り気が欲しくて舌で舐めとると唇を押し広げる感触とともに冷たい水が流れ込んできた。
冷たくてうまい。
水が流れ込んできた柔らかい入れ物を、舌を伸ばしまさぐってみたが冷たい水ばもうなかった。
「水。もっと」
もう一度、さっきよりも少し多い程度の冷たい水が、さっきよりもゆっくりと口内に流れ込んでくる。それを少しずつ飲み下すと喉の痛みと渇きがましになり、そのまま意識が遠のいた。
目を覚まして横を向くと、額に乗せられていたらしいタオルが落ちた。
ベッド脇にハルが座っている。
「コウちゃん 起きた?」
「...水くれ」
そう言いながら、身体を起こす。
なぜか頬を赤くしたハルからコップに注いだ水を受け取り、少しずつ飲み干す。まだ喉に沁みたが、話せないほどではなくなった。
「あぁ、だいぶマシになったよ。タオル乗っけてくれたんだ、ありがとな。どれくらい寝てた?」
「ごめんなさい。夕べ、僕がベッドを使ったから床で寝たんだよね」
「不注意だったんだよ。シャワー浴びてすぐ薄着に毛布だけで寝たからな。湯冷めだ、ハルのせいじゃない」
「それでも、ごめんなさい」
正座して下げてくるハルの頭を、クシャッとなでた。
「いま何時だ?」
「もうすぐお昼。コウちゃん お粥作ってあるから持ってくる」
そう言いながらキッチンへ消える。ん~。正直あまり食欲はないんだがな。
ほどなく、お茶碗を載せたお盆を持ってハルが戻ってきた。
お盆に乗せられたお椀には湯気の立つお粥が入っており、スプーンが添えられている。少なめに注いだ味噌汁も隣にある。
お粥を一口、スプーンですくって口に入れる。
「これ、今朝炊いたご飯か?」
米粒は柔らかく煮崩されていて、舌の一舐めですりつぶされる。ほんのりと効かされた塩味が体に染み入るようになじむ。
「うん、そう」
ピンクの小さいものが混ざっているのは、鮭か。細かく砕いてあって食べやすい。
小さく刻んだネギも、種を取り除いて実だけを載せてある梅干しも、ハルの気遣いが感じられる。
本来なら、買ってきた炊飯器で炊いた初めての白ご飯で、焼き鮭と味噌汁での和朝食だったのだろう。
ハルがよそう炊き立て熱々の白ご飯のはずが、お粥という変わり果てた姿に...。でも、今はこのお粥がめちゃうめぇ! そんなことを考えながら、もう一口食べる。思わず涙がこぼれた。
「コウちゃん!? どうしたの? どこか痛い?」
「違う。めっちゃ美味い。最高に美味い」
一口、もう一口とスプーンを動かし、カラにしたお椀をハルに差し出す。
「おかわり」
「うん!」
笑顔で立ち上がったハルに、
「お前は食ったのか?」と声をかければ、
「今から食べるよ」
「そっか。一緒に食おうぜ」
想像通り、ハルが用意していたのは焼き鮭、味噌汁の和定食だった。
味噌汁もしっかり出汁がとってあって塩加減もちょうどいい。
食欲はなかったはずなのに、気付いてみればお粥2杯と味噌汁まできっちり腹に収まった。
「ご馳走さま。うまかったよ」
「お粗末さまでした」
そう返してきながら、お盆の上をてきぱきと片付ける。
それから夕方までベッドで横になったまま、ハルはベッド脇に座り込んで、テレビやDVDを観て過ごした。
普段あまりテレビを観ないんだけど、日曜日って退屈な番組しかやってないんだな...。いや、普段から退屈な番組しかないのかな? これならB級ホラーを立て続けに観たほうが何倍もましじゃないんだろうか。
少しボーっとした頭でそんなことを考える。
夕方、そろそろ夕飯の支度をはじめようかという頃、ハルのスマホが鳴った。
「もしもし。あ、うん。昨夜そのまま寝ちゃって。うん、そのせいでコウちゃんが風邪ひいちゃって。え?うん、今は落ち着いてる。あ、待って、代わるから」
スマホを寄こしてきた。
表示を見るとおばさんだった。
「あ、ども」
「コウちゃん? 大丈夫? ごめんなさいね。 熱はあるの?」
今朝はうなされてた気もするけど、午前中ぐっすり寝たのもあってか意外と熱は高くなかった。
「熱はだいぶ下がりました。平熱よりちょっと上程度です。ハルのせいじゃないんですよ。ちょっと油断して、湯冷めしただけで...」
「それこそ油断しちゃだめよ。春輝に泊まり込みで看病させるから、おとなしく寝ておきなさい」
「ハルは明日学校だから帰らないとだめでしょ」
「一度戻って準備させて明日はそこから登校させるわ。いい?」
「それは構いませんけど...」
ハルに電話を戻し、ハルがおばさんと打ち合わせをはじめる。
一度家に戻ってからやってきたハルは通学カバンを片手に、食材の入った袋を反対の手に、背中には大きなリュックを背負うというとてもチグハグな姿で、まるで家出のようだった。