『ちーちゃん』
ガチャ・・・。
遠慮がちな力で、扉が僅かに開かれた。
大の大人では入れない隙間に、小柄な人影がスルリと滑り込んだ。
外から蛍光灯の光が差し込み、夜色の病室を跳梁跋扈する。
丁寧な所作のお陰で、音を立てずに扉が閉まると、病室は再び暗黒に包まれて光が駆逐される。
続く足音はどこか躊躇った速度で、歩みの間隔が長い。
静々と窓側に近づく『彼女』は、部屋にいる住民の気配に耳を澄ませる。
寝息は二つ。
ビブラートにも聞こえる、交互に繰り返される音は双子の姉妹のもの。
「・・・寝てますか」
「寝てる」
太々しい返事は、しかし『彼女』にとっては新鮮なものだった。
「なら丁度いいです」
ベッドに軽い振動が伝わる。
小美野うたが薄目を空けると、布団の端っこでは『ちーちゃん』がちょこんと座っている。
両手を膝の上に置いて、背筋は真っ直ぐ。
それでも厳しい印象を覚えないのは、『彼女』の声が自信なさげに震えていたから。
「最近変化はありませんか?」
「ないよ?」
寝返りをして『彼女』の様子を伺う。
目線は・・夜空に向いていた。
「・・・例えば、その。――――光が」
ハッキリしない口調に痺れを切らして、体を起こす。
「光って?」
『彼女』の傍まで、四つん這いで移動する。
窓には、所狭しと敷き詰められた星空が広がっていた。
「・・星のこと?」
「いえ、いいえ。その手前です」
星がチカチカ瞬く、過去の光が地上に降り注ぐ。
山中の為、病院の他に建物はない。必然的に光源も少ない訳で―――――。
「なんにもないよ」
「本当ですか?なら・・・あそこ。あそこは、特に濃く見えませんか!」
『ちーちゃん』は珍しく興奮した声質で、夜空の一端を指差した。
―――しかしその先にも星の海が揺蕩うのみ。
「・・・ワタシ霊感ツヨイノって人?」
「イタコじゃないです!!」
涙目で怒られる。
そして頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。
この子、面白い・・・。
他にこれほど純情な高校生いるだろうか。
詳しくは知らないが、相当育ちが良いのかもしれない。
「ごめんごめん、ね?」
「―――もういいですっ」
・・・グレてしまった。
仕方なく、隣で無言のまま夜空を眺める。
「もし。もしも、オーロラのように、空に光の川が流れていたら・・・・どう思いますか」
「綺麗だなー?」
極地でしか見られないものが見られたなら、素晴らしい幸運だと思うけど。
真剣な表情で聞かれたが、曖昧模糊な答えしか返せない。
一心不乱に空を眺める『ちーちゃん』の横顔を見つめる。
端整な顔立ち、和人形のように清楚な少女だった。
『彼女』に映るものとは一体――――その黒瞳が金に、染まる。
僅かに残されていた少女らしさ、人間らしさが全て抜け落ちた。
呼吸さえ感じさせない、正に人形と見紛う程の完璧さが成立する。
『動』を削ぎ落して、『無』だけが残った状態とでも形容すべきか。
人形には、所謂表情といったものは存在しない。
人間のようで、人間ではない。
似たようでいて―――――違う。
その『異』質感が、人を恐怖に陥れるのだ。
「ちーちゃん!?」
「――――、はい?」
肩を揺すると、『彼女』は何事もなく平常な様子。
・・・嫌な予感がした。
漠然とした、背後から忍び寄る悪寒。
何だったんだ、今の・・・・。
「ああ、最近意識が飛ぶんです。吸い込まれるように、いえ違う、吸い込んでいるように」
私にはどうも、言葉を言い換えた意味が、その違いが分からなかった。
「お医者さんに言った方がいいよ・・・」
「―――そうですね」
再び振動。
『ちーちゃん』は立ち上がり、部屋を後にする。
ドアノブに手を掛けてから、思い出した風に笑顔を作る。
「あ、そうでした。うたちゃんは寝てるんでしょう、だから今夜のことは忘れてください。全てを・・・夢に」
それこそ夢のように、たおやかに微笑む姿に見惚れる。
逆光が照らし、『彼女』は光の中で神聖な存在へと昇華する。
扉が閉まる僅かな時間が、やけに長く感じられた。
夢に咲く花が枯れる時は、必然、目が覚める時だろう。




