エピローグ+ ~困った王太子妃~
私はイーラス・マクウェイン。
この西の大国プロントウィーグルの第一王子、アレクシス様の侍従兼護衛です。
このところ忙しいです。
我が主、アレクシス王子がご成婚されてからは色々と環境が変わり、それなりに忙しい日々を送っていたのは言うまでもないのですが。
つい先日、北のモントペリオルで大事件が起こったのです。
いえ、大げさではありません。クーデターです。現王族の政治に対する不満が、国内で爆発したのです。
既に一線を退いた先代の王女が中心となって、政変のため反乱分子が立ち上がったことは、同じ北の近隣小国から西のプロントウィーグルまで、大変な衝撃を与えました。
今、世界的にもその余波が広がっているところです。
このあまりに突然の政権交代に、貿易関連から何から見直さなくてはいけないことが一気に増えて、もう城の学士達はいっぱいいっぱいなのです。
かくいう私も、国政の中枢に携わる王太子付きの侍従ですから、面倒なことが増えました。
嘘だか本当だか、クーデターの際にはみんな同じ顔をした屈強な大男の兵士が突如として現れ、城内にいる騎士達をあっという間に制圧したそうですが……
結果的にほぼ無血開城となったこのクーデター。軍事力をほとんど持たなかった先代の王女が、どこからその兵士達を連れてきたのか、王女を手助けした誰かが背後にいるのではないかともっぱらの噂です。
というわけで、私は忙しいのです。
「……なんですか、これは」
長引いた会議に疲労感を覚えながら侍従用の仕事部屋に戻ってきたところで、私はデスクの上に鎮座する物体に渋面を作りました。
魔道具のサンプルが三つと、書類の束。
全くもって見覚えがありません。
少なくとも、今朝ここを出た時にはなかったものです。
「パナーシアに受注していた魔道具の動作確認と、最終的にいくつ発注するかの決定をされたいそうですよ。飛那姫様の侍女がイーラス殿に動作チェックと報告書をよろしくと、今朝置いて行かれたのですが……お聞きになっていませんか?」
侍従仲間の一人が、そう教えてくれます。
「初耳ですよ……」
自動速記用の羽根ペン。騎士用筋力測定器。携帯用真空弁当箱。
羽根ペンと筋力測定器はともかく、最後のやつの意味が分かりません。
いきなり予定になかった仕事が増えていることに、私は頭を抱えたくなりました。
王子付き侍従取りまとめ役として、日々確実に仕事を割り振ってこなしているというのに、イレギュラーな仕事がこうポンポンと降ってくるのではたまりません。
「何故私のところに持ってくるんでしょうか……」
「それはイーラス殿が、飛那姫様にとって頼りになる方だからでしょう」
「……」
もっともそぐわない回答に、深いため息がもれました。
いいように使われている、と言えばそれまででしょう。大方、便利で使い勝手のいい、影の薄い侍従とでも思われているに違いありません。
いえ、こういった雑用を断り切れない私もいけないのです。
「頼りに……? そんな馬鹿な」
決めました。今日こそはビシッと言ってやりましょう。
王太子妃だからと言って、何でも好き勝手にやっていいわけはないのです。
ええそうです。ここはひとつ、侍従取りまとめ役としての威厳を見せつけてさしあげましょう!
「……それで、その飛那姫様は今どちらに?」
敵の居場所を確認しようと尋ねた私に、侍従仲間は不思議な回答を返しました。
「厨房です」
「……は?」
「厨房に行かれたとのことです」
意味が分かりません。厨房は王族が出入りするところではないでしょう。
半信半疑で階段を下り、厨房の入口にたどり着くと……本当にいらっしゃいました。何故かコック用のエプロンまで身につけて、侍女らと楽しそうにレードルを振っている飛那姫様が。
料理長が私に気付き、助けを求めるような目で見てきました。この状況を見るに、さぞかし神経をすり減らしたことでしょう。ご愁傷様です。
「飛那姫様、こちらで一体何をなさっているのでしょうか……?」
尋ねたくはありませんでしたが、見て見ぬフリも出来ません。
厨房に足を踏み入れてそう尋ねるなり、飛那姫様はさも楽しそうな笑顔で振り向かれました。
「イーラス! ちょうど良かった!」
開口一番、不吉なお言葉です……さらに、この笑顔は毒です。
健全な男性であれば、誰しもが相好を崩して、この方が如何に非常識な行動を取られていたとしても、許してしまうほどの破壊力があります。
ですが私は騙されません! プロの侍従兼、護衛兼、王太子ご夫婦の暴走引き留め役として、立派に職務を果たしてみせます!!
キリッとした顔で、私はその場に仁王立ちになりました。腰に手を当て、精一杯胸を反らしてみることも忘れません。
「飛那姫様、お立場をお考え下さい。王族は厨房に出入りするものではありません。あと、お言葉遣いが乱れております」
「堅いこと言うなって。昨日アレクと森に散歩に行ったらさ、フウセンキツツキの群れを見つけたんだよ。巣が大量にあったから、卵をいくつか獲ってきたんだ」
「……それと、王太子妃ともあろうお方が、厨房で作業されていらっしゃるのと、一体なんの関係が……」
目の前の作業台に、ゴトン、とお皿が置かれました。
ほかほかと湯気を立てている、まん丸い肉団子のようなものが、ひとつ。
これはもしや……スコッチエッグ、でしょうか?
「ちょうど完成したところなんだ。イーラスが好きだってアレクに聞いたから、作ってあげようと思って」
「まさかとは思いますが……これを私に?」
このプロントウィーグル城ではなかなか食卓に上がることのない、私の好物を、何故、どうして……
「そうだよ。イーラスのために作ったんだ」
得意そうに腰に手を当てる飛那姫様に、停止しそうな思考を無理矢理働かせて言葉を探します。
「……飛那姫様が自ら、これを作られたのですか?」
「うん、料理長には敵わないけどさ、卵料理得意なんだ。ソースはコンソメベースで野菜を加えてみた。夕食用にしようかと思ったんだけど、出来たてで温かい方がおいしいから、すぐ食べてもらいたいな。味見してみてよ」
ずい、と出されたフォークを、思わず無言で受け取ってしまいました。
なんでしょう、この状況は。
私は一体、何をしにここに来たのでしょうか。
頭の中にハテナがいっぱいになった上、手が震えましたが、私はなんとか肉団子をフォークで半分にすることに成功しました。
肉団子の中に、フウセンキツツキの丸い卵が見えます。
ちらと飛那姫様を見たら、わくわくするような顔でこちらを見ています。
何が目的なのでしょう。毒が入っているとは思いませんが、この状況で食べろと言われても、喉を通る気がしません……
「……いただきます」
小さく切り分けたスコッチエッグをソースに絡めて、おそるおそる口に入れてみます。
ふわりと、懐かしいような、優しい味がしました。郷里の母が作るのとは少し味付けが違いましたが、温かい素朴な味わいが胃に落ちてきて、昼食を食べ損ねていたことを思い出させました。
「どう?」
「大変、美味しいです……」
素直に感想を述べると、飛那姫様は「良しっ!」とうれしそうに手を叩きました。
「良かった。じゃあ持っていって食べてよ。あ、そうだ。アレクと美威にも持っていってやろうっと」
この2つがアレクので、こっちはパナーシアに届ける分ね、そう言いながら深底のフライパンからまん丸な肉団子をお皿に取り分けていく姿を、私は呆然として眺めていました。
すっかり呆けていたら、ずい、と四角い蓋付きのグラタン皿が顔の前に突き出されました。
「はい、どうぞイーラス。これ私から感謝の気持ち。いつも面倒なこと頼んじゃってごめんな」
「……恐れ多くも、この身に余る、光栄です……」
断れるわけもなく、グラタン皿を受け取ると、やっとのことで私はそれだけ返しました。
何なのでしょう、これは……こんな不可解な行動を取られる王族の姫君は、やはり見たことがありません。
たかが侍従の私に、感謝の気持ちなどと言って、こんなことまでしてねぎらってくださる王太子妃など、非常識極まりないです。
もう、意味が分からないではありませんか。
私は決して、胸がいっぱいになど、なってはおりませんよ……
「頼りにしてるから、これからもよろしくな」
「……はい」
もう頷くしかありませんでした……これが、私を手懐けるための策略だとすれば大層卑怯な裏技だと思いますが、そんな気が全くないことくらい、普段のこの方を見ていれば分かります。
口も態度も悪いのは確かですが、王子と同様に臣下に尊大な態度を取ることもなく、ちゃんと向き合って、話してくださる方であるのも事実なのです。
おそらく私は、アレクシス王子とは違った意味で、この方には敵わないのでしょう。
すごい敗北感です……もう早めに白旗を振って、あきらめた方が良い気になってきました……
しかしそれも悪くないと思ってしまうあたり、私もかなりこの方に毒されている気がしてならないのですが。
「どうせならアレクにも出来たてを食べてもらいたいなー……令蕾、今から行こう。きっと仕事中だろうから、持っていってびっくりさせてやろう」
しかし、せめて、せめてその言葉遣いを、もう少しなんとかしていただきたい!
「飛那姫様、お言葉遣いを……」
「ええ、分かりました。問題ありませんわ。参りましょうか」
少しも悪びれることなく優雅な笑顔で返すと、飛那姫様はエプロンを外し、侍女達を連れて厨房を出られました。
スキップしそうな軽やかな足取りで、王子の自室に向かっていきます。
あのスコッチエッグを受け取った王子が一体どんな顔をされるのか、興味が沸いた私も飛那姫様の後について歩き出しました。
ご結婚されてから、飛那姫様の突飛な行動には日々驚かされ、振り回されている王子です。
王太子妃自らが作られた料理にも、きっと相当な衝撃を受けることでしょう。
ただ、最後にはいつものように、「飛那姫はすごいな」と、うれしそうに微笑まれることは間違いないと思いましたが。
エピローグ+でした。
これで『没落の王女』本編は完結済みとさせていただきます。
これまでのご愛読、本当に、本当にありがとうございました。
いつも応援くださった方々に、心よりお礼申し上げます。
番外編の短編や次回作については、活動報告にあげていく予定です。
またどこかでお会いできますことを期待して。




