公爵夫人は未来まで黒字にする
結婚式から数日後。
グレイフォード公爵邸の会計室には、また新しい帳簿が増えていた。
青銀街道共同管理帳。慈恵修道院再建費帳。港湾到着照合簿。どれも面倒で、どれも未来につながる数字だ。
私は窓を開け、朝の風を入れた。外では市場が動き、修道院の鐘が鳴り、街道には新しい荷駄が走っている。
「今月も忙しそうだな」
背後からルシアンが近づく。
「ええ。幸せな黒字ほど手がかかるので」
「名言みたいに言うな」
彼は私の肩越しに帳簿を覗き込む。右腕の紋様はほとんど見えない。完全に消えたわけではないが、もう以前のような痛々しさはない。
私は新しい計画書を彼へ差し出した。
「次は王都の聖域炉の正常化です」
「やはりそこへ行くか」
「行きます。でも今回は、辺境の数字を整えてからです。足元が黒字でなければ、王都の大掃除に耐えられません」
ルシアンは苦笑し、それから私の額に軽く口づけた。
「君はどこまでも君だな」
「旦那様こそ。甘いことを言って私の集中を削ぐの、そろそろ加減してください」
「無理だ」
即答だった。
私はため息をつきながらも、結局笑ってしまう。
王子に捨てられた日、私は自分の人生が赤字に転落したと思った。けれど違った。あれはただ、間違った取引を打ち切った日だったのだ。
本当に必要なものは、ここにあった。
信じられる人。
守るべき土地。
整えるべき数字。
そして、隣で未来を笑ってくれる旦那様。
私は羽根ペンを取り、新しい帳簿の一頁目へ書き込む。
公爵夫人エレノア・グレイフォード。
これから先の未来も、黒字で参ります。




