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10.明ケル,Y/E


 ――僕には何があるだろう。あったんだろうか。

 健太くんには野球があってお母さんと妹さんが居た。


 あの化け物にも、リボンがあって、ママが居た。


 あの人にも、何かがあって誰かが居るんだろうか。

 唏依さんにも、あの……研磨さんにだって。


 無くて良い。無くても良いから……。

 あるべき物は、持つべき人に返したい……。


 見てた。アイツは、コレじゃないと言って吐き出す様。噛み千切られたけれど、グローブは確かに残ってる。


 階段を上る。いいや、登るに近いかもしれない。

 断崖絶壁みたいだ。手摺りが命綱みたいだ。


 健太くんを背負って降りた時に退けた『奴ら』の死骸を踏みつける感触が不快だ。それでも……登る。

 無我夢中で降りてた頃は何も思わなかった、笑顔のポスターが今では嘲笑ってるかのように見えて腹が立つ。


「……っ!」


 わざとじゃない。八つ当たりじゃない。

 僕はズキリと痛む腹を抑えて手摺りから手を離す。


 落ちないようにと突き立てた先が偶然、そのポスターだった。


「……謝らないから」


 頭がおかしくなったらしい。

 僕は穴の空いたポスターを一瞥して階段をよじ登る。


 健太くんの胸の穴から滴った血を頼りに廊下を戻る。

 曲がり角……その先に、彼の……。


『フふふフっ……!』

『あハはハは……っ!』


 健太くんと一緒に逃げた教室の近くの廊下に……

 ……小さな、二匹の忌まれ(バケモノ)


 人間の脚を生やした青白い手。

 手のひらには、歯のような物がウネウネと蠢いている。


「あった……」


 男女の笑い声が聞こえる。

 よく見ると、お揃いの指輪を着けてるな……。


 カップルだろうか。

 だったの……だろうか?


 ゆらゆらと近付き、膝をついて。


 ――ド……ッ!

 ――ぎぃああぁぁあああ!!!


 関係ないと言わんばかりに……

 ……片方へ、折れた剣の刃を突き立てた。


 聞くに堪えない悲鳴が廊下に響き渡る。

 容赦しない。君たちが食べているそれは


 グローブ(それ)は……健太くんの……モノだ。

 ――ド……ッ!


 やっと辿り着いた。

 食い荒らされて、めちゃくちゃになっているけれど。


 健太くんの大事なグローブ。

 お母さんと妹さんから貰った、生きた証。


「はぁ……はぁ……」


 とうとう僕は限界を迎えた。

 その場で倒れ込んでしまった。


 グローブを大事に抱きかかえ、赤ん坊のように丸くなる。

 これがあればきっと、健太くんも……。


 ――どコ行ッたぁァァぁあ……!!!


 健太くんが怒号と共に追ってくる豪快な足音がする。

 けれど、僕にはもう何をする元気も無くて……


「寝ちゃおう……かな……」

 そう呟いた時の事だった。


 ――ガッシャーーーーーーン!!!!!!!

 

 激しい轟音と光の奔流が……

 ……校舎に大きな大きな穴を穿った。


 ピンクの螺旋を纏った黒い光線。新幹線よりも早く疾走したそれには金糸のようなキラキラが混じっていて。

 ()()に乗って、声がした。


 *

 

 病室?夕暮れ?

 若いお母さんと……幼い娘さん?

 

『エリカ、ママのおリボン着けてみる?』

『うん〜!ママ大好き〜!』


 屋上?青空?

 少し歳の行ったお父さんと、さっきの子?


『エリカ!戻りなさい!』

()!お空の上行くもん!』


 ――ママにまた、リボン結んで貰うもん!


 *


「あ、あ、……待って、エリカちゃ……!」


 手を伸ばす。けど、彼女の姿はそこには無かった。

 光の奔流が校舎を通過して分断された向こう側が見えるようになった頃、僕の目は泳ぎに泳いでいた。


「あの子も……探してただけなんだ……」


 バケモノなんかじゃなかった。

 ただ、お母さんに……?


 ――ォ前のソれ……寄コせ……っ!

「……健太くんも、探してただけなんでしょ?」


 ――ゥぅゥうァぁ……っ!


 かなり隔たれた距離、こっち側に来れないのを良いことに、僕は力なく語りかける。


「とても……器用そうな人にあったんだ……」

 

 知り合いってほどじゃないけれど。

 あの研磨さんなら、このグローブも意外と……。


 ダメだ。言葉が口から出て来ない。

 

 もう何も言えない。

 何を言っても向こう岸までは届かないんだ。


 健太くんは四つん這いになり、闘牛の突進の予備動作みたいに足で廊下の床をかく。


 ……ここに来て……ようやく僕の目頭から熱い何かが滴り落ちるのを感じた。

 そうか。僕はまだ、泣けるんだ。


「なんだよ……なんなんだよ、ここ……!」


 もう、限界だった。

 一粒が蓋をしていた悲しみの栓を抜き溢れ出した。


「何をどうすれば良かったんだ……!」


 あの阿原先生は天国や地獄ではないと、そう言った。

 じゃあ、地獄ってどんな場所なんだよ。


 ここが地獄じゃないなら、案内してくれよ。

 きっと、ここよりはマシに決まってる。


「こんな事なら……こんな事なら……っ!」

 ――死んだ方がマシだった。


 その言葉に重なるように――

 ――『ずる……なぁ……もう少し……だけ……生き続けようと思え……なら……キミと……』


 耳に聞こえる、震えて凍えて、消えそうな声。

 ……誰かの記憶じゃない。


 僕の耳が確かに聞いた……

 優しい声。懐かしい声。哀しい声……。


「なんであなたは……」

 ――かぁあぁァエセぇぇえェえェ!!


 健太くんが助走をつけて走り込んでくる。

 焼け焦げた崖の末端を蹴り上げ、こっちに跳ぶ。


「僕をこんな所に連れてきたんですか……っ!?」


 責める意図は有るようで無くて無いようで有った。

 

 せめて知りたい。そろそろ知りたい。

 あの人のエゴを。


 ――キミは……誰より優しいから。きっと、傷つき、苦しむだろうと思った……。本当に、本当にごめんね。


 割れた窓の中から飛び込む漆黒のシルエット。

 ずっと追いかけて来た、優しい声。


「そうは分かっていても……止められなかった。キミに会いたくて、知りたくて……触れたくて……」


 僕の前に立つ黒いロングコートの女の子。

 メタリックブルーの花の蕾の槍を持っている。


 手首にはウールのリストバンド。

 あれ……?見たこと、ある…… 


「だから。ボクのエゴなんだ……」


 蒼く光る剣が隙間無く崖際へ並んで行く。

 それはまるで、バリケードの様に。


 ――うぁぁぁぁあ!!


 健太くんは……跳躍に失敗して……

 校舎に穿たれたクレーターへ落ちて行った。


 無機質なチャイムが鳴り響く。


 ――()()()()()()

『境界が隔絶されました。死徒の皆さんは速やかに見通しがよく安全な場所へ移動してください』


「また……眠る……?いいよ。ボクを探して、散々な想いをさせてしまったよね。今の彼も……」


 言葉は続けられなかった。

 ただ、僕の口から出そうな言葉に、耳を傾けてくれた。


「ここ……凄く……寒い……」

「……そう、だね。あの時と同じ、だね?」


 ロングコートが毛布の様に僕を覆う。


 ふわりと鼻に舞い込んで来た、落ち着く香り。

 あの列車の中で味わった、あの香り。


 意識が朦朧として来た。

 窓からは白い光が射し込むのが見えた。


 そうか。夜が……明けるんだ。

 気のせいなんかじゃ、無かったんだ……。


「おやすみ。次にキミが起きる時には誰よりも近くにいる、約束。ふふっ……やっぱり一方的かな?」


 頭が優しく撫でられる。


 気持ちが嘘みたいに穏やかになって……

 深く、深く……


 ……彼女の中へと、沈み込んでいくようだった。

「キミがくれた(これ)に誓って、約束。もうキミを絶対に独りにはしない……」


 ……雪の日。そう、雪の日だ……。

「あの雪の日。キミがボクを独りにしなかったのと同じように……」


 やっと、出会えた。

 そうして、長い長い夜が明けたようだった。


「これからを生きよう。一緒に……ね?」

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