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No Fantasy  作者: 緑川
第二章

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7/7

No end 絵本の中の世界

 慣れ親しんだ我が家への帰り道の筈が、杖代わりの剣を先頭に五感を研ぎ澄まし、慎重に歩む真っ暗闇。


「……」


 霜吹雪く(しも、ふぶく)が如く肌を突き刺すそよ風が身をも強張らせるその天を仰げば――星々の光はおろか月の欠片さえ寝静まる、陰鬱さ纏う雨模様が覆い尽くしていた。


 嫌な空だ。


 次第に何処となく空気が張り詰めていき、(ようや)く玄関先に無愛想で必要以上なノックを礼拝堂へ告げると、


「」


 思わず、息を呑む沈黙が返ってきた。


 支え道具を其処らに置いて懐越しにナイフを抑え、半開きの扉に手を掛ける瞬間、一筋の光が降り注ぐ。


 眼下、真っ赤な水溜りが出来ていた。

 今も尚、俺の爪先にまで域を広げて。


 きっと、ただの葡萄酒だ。誰かが零したんだろう。そう、ヘルト辺りが剣でも振り回して。


 全体重で押し破ろうと重く厚く鈍く軋んだ音を立てて、日常によくある不慮の災難に苛まれたみんなを!


「ぁ」


 少し前に読み聞いたようにバンシーが消え入りそうに咽び泣き、陰に呑まれた誰かを抱きかかえていた。


 今俺に出来るのは一心不乱に駆け寄ることだった。

漂う錆びた鉄の匂いに低く喉を鳴らす何かを他所に。


 椅子同士の狭間に凭れることなく腰を下ろしている傍らへ肩に手を添え、髪で隠れていた面差しを覗く。


 瞳孔が開き、焦点が一向に定まらずに泳ぐ眼球。酷く腫れ上がった目元から涙がとめどなく零れ落ちて、痙攣する頬が連鎖的に顔を歪め、下唇を噛み締める。


「なにが――」


 そして、喉が切り裂かれていた。


「ぁ」


 喉からも又、溺れてしまうほど溢れるドス黒い鮮血が弱々しい息遣いを塞ぎ、そのまま緩慢に倒れゆく。


 俺は直様腕で囲う。同時に徐に絡めた指を胸元に手繰り寄せ、光の下に晒された胸元で眠るオリビアが、両腕の無くなった、さっきの血溜まりの、ああ、あ。


「バン、シーオリぃビア」


 疾うに微動だにしない瞳の光の輝きは失われ、支えることすら叶わず傾げるみたいに垂れた首を無意識に徐に引き寄せると額に掛かった前髪が静かに靡いた。


 重なる掌が冷たくなってするりと解けていく、

 オリビアのあの絵本に落ちて。


 バンシーも、オリビアも。


「ステア、ヘルト……」


 否が応でも視界は他二人を捉え、理解させる。

 

 手前のステアは盾になるように四肢を広げて胸を貫かれて、奥のヘルトは最後まであの木の剣を片手に、辛うじて原型を留めていたが、腹部が引きちぎるみたいに破られ、数々の臓器が至る所に飛び散っていた。


 おれ、が。俺、が、俺が。


「・・  ・ー・・ ーーー ・・・ー ・  ー・ーー ーーー ・・ー」


 絵本から差す一条の光芒を追ううちに暗闇からシスターが頭上の光に神々しく照らされ、子守唄を歌い、


 十字架とともに正体が明るみに出た。


「おかえりなさい」


「お前っ」


「やっと思い出したようですね。でも、物心付く前に送ったつもりよ」

 

 煩わしくて堪らない逆立った無造作な前髪を、小刻みな震えの止まらない手で額に当てがい鷲掴みにし、爪が掌の肉に食い込む程に。視線が身勝手に移ろう。


「お前の、その全てをっ、目に焼き付けた!」


 もう、誰も生きてなどいない。


「オリビアから絵本のことを知らされた時に気が付いたでしょう? ()()()()、みんな出ているのだから」


「お前の云う儀式はこのこと、だったのか。悪魔に供物でも捧げたつもりか!?」


「いいえ、これは神の救済――生の呪縛から解き放ったのです。貴方も私と同じ考え故の行動でしょう?」


「黙ァレ!!」


 ナイフの鋒を指先に、勢いよく手首を跳ねる間際、威風堂々たる所以を死神さながらの伏兵が証明した。


 紙一重、顳顬の不意打ち殴打を顔仰け反りで、続く第二撃目の見え透いた大雑把な薙ぎ払いを躱し切る。


 ()()。これ以上、(たと)える必要が無い存在。


 もう二度とみんなに脅威が降り掛からぬ隅へと、奴と一方的な攻防を反復しながら次々と寝かせていく。


 椅子や床にへばり付く内臓の一片まで拾い上げて、筋骨隆々な体躯からは想像出来ぬ機敏な一挙動に、拙速で不規則に伝わる鼓動が反撃の機会を窺っていた。


「彼の父は人間で母が悪魔の混血児だったのです。母になる前の悪魔の彼女が人に似た姿だったことから奴隷となり強姦され、その結果として彼を孕みました」


 剛腕から間断なく繰り出される空振りの風切り音を耳元に掠め、戯言をほざく外道の行手を阻んでいた。


 腰に携えた刃で横の一刀両断を容易く立ち膝でふわりと浮かぶ髪が宙に舞う。あの剣を振るいやがった。


「母は産まれた彼を我が子として育て、初めて殺害に及んだのは家族を捨てた父親だったと。しかし幾ら親子と言えどその愛は長続きはせず、所詮人間と悪魔」


「それはお前のような(ケダモノ)が持っていい代物では……」


「!」


「人間が悪魔を、悪魔が人間を、そんな世界が見たくなかったからと――ウォリアはそう仰っていました」


「まさか」


 まだ、意識のある()()()()の渾身の一発を喰らい、今までにない衝撃が全身を襲う。


「えぇ、彼こそがウォリアなのです」


 造作もなく扉を背にする際まで吹っ飛ばされ、


 見上げ、


「っぁ、あ」


 見下ろす。


 まるで、あの時のように。


 俺はウォリアを救ってやれない。救われるつもりもない。

 ただ出来るのは眠りにつかせることだけ。

 いや、違う。殺す、こと。それだけだ。


「傷は消えても、あとは癒えない」


 散々、憎たらしい含みありげな中身のねぇ貼り付けていた笑顔を引き剥がし、シスターの面持ちが曇る。


 あの頃とは極端に戦術が変わり、上段の構えとなる次の宣告に乗じ、体が地面に吸い込まれていく瞬間、刃を手に取って瞬時にガラ空き、虚無に拳を振るい、


「!」


 死角から心臓を的確にナイフを放つ。


 鎧を捨てた諸刃の剣に一矢報いるが、即座に傷が癒えていき、得物は役目を終え、床に叩きつけられる。


「無駄なことを」


 弱点に跡は残る。印となって。


 遂に絶対不可避の渾身の一撃が迫る。


 だが、

「疲れただろ。もう頑張らなくていい、もういいんだ」


 そう告げて交錯する一縷の糸の意識に隙を見出し、最初で最後の逆転の一手、歯牙に掛けぬ剣に挑む。


 地面の刃に続くように俺が落ちそうになり、ほくそ笑む存在が視界に捉えられ、どうしようもなく力が漲る。


 己が足先を凄まじい速さで蹴り上げ、指先からナイフを掬って流麗に手首を、再びあの印を突き刺しながら、広げた大股から勝ち取った剣と通り抜けていく。


 そして、ウォリアは自らの腕を刃に変え、双方ともに一気に懐へ踏み込んだ。


 囮の陽動や巧妙な技を掛ける訳でも無く、ただ交差する刃をより何方が早く、首を狙ってかの勝負へと。


 手を差し伸べられたときから、俺はウォリアが――悪魔だということを知っていたよ。


 刃を、視線を交わして、


 空を切る。


 一振りが影を落とし、尾を引く。


 刃の血払いなく、どれだけ血に塗れても折れず、面差しを弾き返すばかりの鈍い輝きを見せる剣を、


 祈りに背き、後ずさるシスターの元へと大地を踏み締め、剣とナイフの双刃を我が手に、悠然と闊歩する。


「俺をあの地獄へ送ったのも、ウォリアを怪物にしたのも、それでバンシーたちを神に捧げる儀式への生贄などと宣ってみんな殺させたのもっ、何もかも……」


「えぇ、全て私のやったこと」


「シスターァァ、貴様ッ!!」


「神はいない」


「っ、神がいないから、悪魔がいないからこそきっと人は人であれる。この世界にも救いは……ある」


「私は過去に、ウォリアと同じ過ちを犯しました」


 あの外道に面影ではない何かが似ていて、ステアの何千倍も見え見えな一刺しにきた刃を躊躇する腕が、尚救えぬといなして地面に囂々たる騒音を立てて倒した。


 そして、腕を足蹴(なが)ら踏みつけ、一度も見せなかった修道服を皮膚ごと深く沈ませて切り裂く。


「っ……!!」


 シスターも同様に、あの十字架とともに傷あとが刻まれていた。だが、消えかけている。それは文字通り、徐々に癒えていくのではなく、まるで跡形もなく消し去ったように。


「そうか、そうだったのか。そういう、ことだったのか」


 もう、何も。ただ、植物のように。此方を見つめるだけ。


「お前に刺青が、なら何故俺に。お前は、俺を売ったんだな」


「殺しをした魂の浄化には穢れなき生贄が必要だった。神父すら救えぬ無心論者に、邪教徒なとど称して聖母が殺されたから何もかもが崩壊したのよ」


「何を言って、その為だけに俺の名を奪って生かし、みんなを殺したのか」


 いや、

 ずっと、抱えていたのか。


 なのに、俺はただ、過去と向き合うが怖くて。


「俺が、俺さえ、俺は、いらなかったのか。ずっと」


「えぇ、だから出てこないのよ」


「お前は第二章の主人公になろうとしたのか」


「貴方は私の台本のほんの一部分の小道具に過ぎない。愛すべき弟の死。そして因縁となる宿敵の死で何もかも終わる筈だったのに、全てが狂ってしまった」


「あの家に来たのも、地下の牢獄に降りてきたのも」


 偶然じゃない。


「貴方は運、私は実力で此処まで来たのよ」


 だからこそ、


「あぁ、確かにお前と俺は同じだ。ただ、一つ違うことがあるとすれば、俺は強くて、お前は弱い。それだけだ!」


「その強さで何を成し遂げられましたか?」


「ちからだ。正義を」


「それで、今の貴方に、何が?」


「おれは」


「ただ地獄で()()()()()()()だった貴方が」


 我が身並みに馴染んだナイフを見せつけ、「ウォリアが来なくともいずれ彼奴は、悪魔は俺が殺した」と囁いた。


「あれは、紛れもなく人間の両親から産まれた子よ」


「なら、何故」


「人間は悪魔にも神にもなれる」


 …………。


 ベールを剥がせば瓜二つな顔を、髪を、血溜まりでしか見れなかったあの頃の俺と似た瞳を宿していた。


「やはり」


「私を殺すのですか、自分を許す為に」


 似ているよ、何処までも。

 血も繋がらず、縁も断たれたのに。


「……あの絵本、最後まで描かれているのか?」


「いいえ、無いわ、あれは私が描いたものだから」


「通りで個性が出ていると思った」


「だって、救いなんて無いもの」


「なら、俺がその続きになるよ」


 きっと、お前に、みんなに確かな愛があったように。


 語り手はもう、要らない。その言葉を呑み込んで、片膝で重心を低く下ろし、額を、同じ姿形を合わせ、


「赦すよ」


 そう、告げた。


 徐に十字架を剥ぎ取り、首飾りとしてこの胸に収めて。


「『後は、好きに生きろ』お前は……もう、自由だ」


 立ち上がりつつ振り返って、前へ。


「貴方の名は――」


「俺に名などない。いま、この瞬間にあるのが全てだ」


 一瞥、その瞬間に炎玉が髪を掠めた。舞い戻れば、いつの間にか奴等が、あの火を吐く悪魔が現れた。


 焼き尽くすばかりの炎がシスターたちに放たれて、俺は瞬時に教会の玄関先をゴミどもで血塗れにする。


 まるで、絵本の中の世界のように。


 だが、地獄の業火に焼かれていた。唯一、年相応な惨たらしい甲高く耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げて、


 空を破るほどに響動めく群衆に、次の矛先たる我が身を教会から前へ。ただ、悪魔を踏みつけ前へ進む。


「お前のような存在がッ、地獄を作る……!!」


 死を弔う前に、遍く憎悪の象徴が迫り来る。


 俺はただ只管に土足で立ち入らぬよう、刃を振るい続けた。


 一桁、二桁を軽々と超えて尚、終わりなど来ずに、円陣に囲まれた最中に嗎きが放たれた。


「ヒヒーンッッ!!」


 あの頃より遥かに――異変を察知してノエルが駆け付けてきていた。だが、俺以上に反抗の手段を持たぬノエルが直様、悪魔に覆い尽くされ始めていた。


「ノエル!」


 また、俺は。


「ノエル!!」


 ナイフの刃を投擲しても肉の壁となる悪魔に阻まれ、剣でさえ届かない。


「ワヴ!!」


 歯牙で悪魔を喰らう()()()が、ノエルの窮地を救う。


 そして、揺らぐ研ぎ澄まされた剣の刃が、安全圏から火を吹くあのクソッタレを晒す。


「……」


 あの肉壁が半端な場所に突き刺さり、転げ回る醜態を見せつける悪魔から形骸化したナイフを抜き取って、無傷な肉体のその額に目掛けて刃を投げる。


 奴は斯くも呆気なく、死を受け入れた。


 欠けた月が太陽に溶けるまで。

 鈍色の空模様に鮮血の豪雨が火事を鎮火して。


 もうどのゴミも音を立てなくなった。ようやっと、肉塊に変えてやった。テメェらの肉塊で築き上げた山で、


「ァァァァァア゙ア゙ア゙……ッッ!!」


 雄叫びを上げ、粉微塵の残骸で汚なく染まって見えねぇ地面を教会まで続く道のりをぼーっと足を進めていった。


 この血も、肉も、内臓も。俺のでは無い。俺からは何も流れない。


 その道半ば、ウルフが笛吹き声を鳴らし、歩み寄ってきた。不運にも悪魔によって隻眼にされたようだ。


 だが、今の俺にはお前はただの、

「こんなのがいるから」

 振り上げた剣に再び、ノエルが立ち塞がった。


「あぁ、そうだ。違う。此処は、絵本の中の世界じゃない! ウォリアでもステアでも無い……んだよ」


 初めて、どうしようもない感情に押し潰され膝から崩れ落ちた。肉体は頗る全開なのに立ち上がれない。


 おれに、心は無いのだろうか。


 あれだけのことをしても尚、ウルフが身を寄せ、ノエルも共に傍に来てくれる。


「あぁ、そうだ。やらなきゃ」


 まだ、何も終わっていない。


 みんなが安らかに眠れるようにしよう。


 灰に等しい遺体を、十字架に名を刻んで埋めていく。


 身体中ぐちゃぐちゃになりそうながら、手向けようと手にしたのは、オリビアのあの絵本だった。表紙にN()o() ()F()a()n()t()a()s()y()、著者が()()()()


 大地に跪き、本扉から捲る度に掌の赤黒い血で滑り、純粋な白紙の頁に辿り着いたとき、


 無造作に建ち並ぶ石碑を眼前に、勝手に涙が滴り落ちていき、真っ白な紙が見えなくなるくらいにふやけていって、俺はただ本を閉ざした。


 ……。


 ふたりが、装備一式を持ち運んできて合流する。


 俺は土埃の舞い上がる大荷物を背負って立ち上がる。そして、剣を腰に携えて本を懐に収め、身を外套ごと翻す。


 あぁ、よあけだ。


 ノエルとウルフと共に拝み、


「絵本の中の世界の続きを俺とお前たちで」


 ノエルは何を言うでもなく側に身を置き、それから差し伸べられた掌はもう何処にもなく自らがケツを上げ独り手綱を握り締め、足掛けとなる鐙に金属音を走らせ乗り上げる。


 何もかもが焼き尽くされてしまった我が家のその全てを、目にして。


 噛み締めるように声を押し殺し、天を仰いで、


「行ってきます」


 最後の一粒の涙を振り落とした。


 ふたりと()()()()()()()()()()緩やかから駆け抜けていく。


 みんな、みんな。


 ……。


 神はいる、救いの手はきっと、差し伸べられただろう。此処が地獄の底で無いのなら。

第二章 No end 絵本の中の世界 完

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