第70話 エリオットの想い。
今回はエリオット視点です。
俺は執務室で書類を見つめていた。
同じところを何度も読んでいる、それは自分でも気がついている。
全く頭に入ってこない理由も……。
数日前にエステルが、俺を『殿下』と呼んだのだ。
『私のいうことは信じられませんか?』
「……信じたいが……」
自分の言葉を復唱する。
俺は確かにそういった。
なぜそういってしまったのかは、咄嗟に彼女の目にすくんでしまったからだと思う。
全く情けないことだと思うが、俺は昔からエステルに見つめられると、言葉を失ってしまうのだ。
凛とした真っ直ぐの瞳が、セドリックや俺の言動で鋭くなったり、優しくなったりするのだ。
初めて会った日も、まっすぐ猫を見つめていた。
あんな高い木にスルスルと登って行き、あっという間に見上げる高さにいた。
太陽の光にエステルの胡桃色の髪の毛が反射する様に、キラキラと輝いていた。
猫の側に後少しと言うところで、木のしなる音がする。
『あぶない!』
初めて合った目は、とても綺麗だった。
次に覚えているのは婚約を受けてくれた時。
父上と母上の前に彼女は目を伏せていた。
ユックリと顔を上げて話すエステルの目は、一度も俺を見なかった。
「はぁ……」
止まった手がそっとペンを置き、頭に添えられる。
過去の回想シーンを思い出すだけで、これほどのダメージが大きいとは。
他にもいろいろ思い出したら落ち込むエピソードの方が多いのも、自信を失う。
エステルと出会って何年経っただろうか。
14歳になった彼女は、10歳の時に比べて女性らしくなっ…てはいないけれど……。
相変わらず重い前髪に真っ黒の大きなメガネをつけて顔を隠している。
変わったのは髪型ぐらいだろうか。
自分は髪型に詳しくないので表現でいうと『もっさり』が『まぁまぁスッキリ』になった感じ。
身長も高くなったといっていたが、俺の方が伸びたため見下ろす距離は前より伸びた。
前より距離が開いてしまった事が、少し寂しく思う。
その時の顔。
思い出すと吹き出してしまいそうになるのだが……。
なぜ男の自分と身長を競おうと思ったのか。
『エリオット様は何センチ伸びましたか!?
私ですか?…私、結構伸びましたよ!』
得意げに、ニヤニヤと笑うエステル。
『そうか、ならば沢山伸びてる方が勝ちということだな?』
『そうですね、あ、何か賭けますか?』
よほどの自信があったのだろう、賭けまで持ち出す始末。
流石に王子として婚約者と賭け事……というか見た目で勝っている事がわかる勝負にマズイと思い、そこはあやふやに返事をして。
『せーのでいいましょうね!……せーの、ですよ?』
エステルは楽しそうに腕をぶらぶら振りながら笑う。
気にしている少し上がった目尻は、笑みに下がってエステルの笑顔を引き立たせていた。
俺は眩しそうに目を細める。
『いいだろう、いくぞ。せーの……』
圧倒的な数字で俺の勝ちになった。
悔しそうにテーブルに拳を震わせて俺を『カッ』と見る。
さっき下がった目尻の代わりに、眉がハの字になった。
俺は吹き出しそうになるのを堪える。
エステルはそれを見て、口を尖らせた。
『あー良かったです、賭けしとかなくて。まさかそんな伸びていると思いませんでしたし!……ていうか、眉寄せすぎです……!』
また寄ってたか……。
悩んだり考えたり、我慢をしたり。
癖になっているのだろうか。
昔からセドリックにもよく『まーた眉が寄っているよ!』と言われることが多かったのだが。
思わず眉を隠す様に抑えたが……。
浅はかなエステルの表情がとても可愛くて、俺はまた眉を寄せるのだった。
そんな表情を見ていると、少し意地悪をしたくなってくる。
『横に並ぶとわかるんじゃないか?』
そういうと、エステルの腰に手を伸ばし、グッと自分の方に引き寄せる。
エステルはとても驚いた表情で俺を見つめた。
そして、目を見開いて固まっている。
『……どうだ?私もだいぶ伸びただろう?』
エステルの口が『ハクッ』と金魚の口の様に動いた。
何か言い返してやろうとしたのだろうか?
驚きすぎて言葉が出なかった様だ。
あまりの可愛さに添えた手に力がこもる。
さっきより密着すると、顔を赤くしてますます口が『ハクハク』動くのが可愛くて。
思わずエステルの頭頂部に自分の頬を置く。
そして腰に当てていた手を背中に回す。
抱きしめた様な形になり、エステルの匂い、呼吸が俺の胸の辺りに当たるのが、俺の胸の音を早く動かした。
『……もう、わかったから、もう、離して。』
そういうと耳まで赤くした顔で、涙目で見上げながら俺を睨みつけていた。
これ以上意地悪をしたらますます嫌われてしまいそうなので、そっと手を離す。
手を緩めた途端に、壁の反対側の隅まで逃げた。
まるでネズミの様だと口から出そうになる。
また吹き出しそうになって眉を寄せると、エステルは真っ赤のままとても怒っていた。
自分たちの関係は、順調だとそう思っていた。
好かれている自信は全くなかったが、長い時間をかけて、ゆっくりと歩み寄ってきた。
セドリックに言わせると、野生の動物を時間をかけて餌で懐柔してきた様だと言うが……。
『エリオット様。私のことは、エリナとお呼びください。』
エリナは俺をキラキラした目で見ながらそう言った。
『だが、聖女様を呼び捨てなど……』
『あら、同じ候補なのにエステル様は呼び捨てにされていらっしゃるではありませんか?』
後ろに控えていたはずのエリナの側近がまた口を出してくる。
エリナが何かと従っているので、こっちも差し障りない態度しかできずに困っていたのだが。
『……悪いのだが、エリナ様と会話をしている途中なので、君は……』
流石に口出しされたくないので、彼女の言葉を制止しようと口を開いたが。
逆に俺の言葉を遮る様に、彼女は笑い声をわざとらしく出す。
思わず眉を寄せると、彼女は俺のそばにやってきて跪いた。
『訳あって今まで名乗れませんでしたが……自己紹介させて下さいね、エリオット殿下。ワタシ、精霊王のエーコと申します。』
そう言うと指をパチンと鳴らし、メイドの服から薄い緑色のローブを着た姿へと変わった。
同じ色の長い髪に、草の王冠が頭にあった。
その姿を見た俺の護衛の1人が、慌ただしく王へ報告に下がっていった。
そのままあっという間に王の間に案内され、エーコは再び父上と母上の前で自己紹介をした。
父上はとても驚いたのと、精霊王が目の前に現れた事の喜びに笑顔で頭を下げた。
彼女は王に、俺とエリナの結婚を望む発言をした。
精霊が見える、聖女のエリナには予言が使えると。
エリナは俺との結婚し、俺が王位につくと、この国が繁栄するとそういった。
母は怪訝そうな顔をしたが、父としてより王として国を守る立場のある王は。
母を抑え、俺とエリナの婚約を許可したのだった。
エリナとエーコが帰った後に、父上に自分の思いを伝える。
『エリナ様と結婚はできません。私は、エステルと婚約しているからです。
父上、こればかりは……。
もしよくわからぬ予言とやらを信じ聖女と結婚を推すのなら、私は王位継承をセドリックに譲って退きます。』
父は少し黙っていた。
でもすぐに口を開く。
『ならぬ。王の子として生まれたのだ。自分の気持ちより、国や民のことを優先せよと教えてきたはずだ。
今はお前の気持ちより、予言が嘘か本当かよりも、国が繁栄する道があるのならばそうするべきだと思う事ではないのか。
これは決定だ。学園を卒業と同時に結婚する様、準備を始めさせる。』
父はそう言うと、絶望する俺を残し部屋から出ていった。
エステルになんて伝えようか。
ズルズルと力が抜ける様に、壁に身を預ける。
護衛が遠巻きに俺を見ていたが、気にせずそのまま座り込んだ。
エステルに伝えると、手を叩いて喜ぶかもしれない。
なにせ俺はエステルに嫌われているから。
『婚約解消ですか?やったー!
……これで私は自由なんですね。』
そんな事いいながら、別の誰かの手を取るのかもしれない。
あの細い腰に俺以外の誰かが手を添える日がくるのかもしれない。
そんなことを考えるだけで怒りが湧き上がった。
『エステルが俺以外の誰かのものになるのは、嫌だ。』
思わず力いっぱいに床に拳を振り落とす。
鈍い音がして、ブルブルと手が震える。
両手に力が入らず、震える手をゆっくりと持ち上げると、白い手袋から赤いものが滲んでくる。
護衛が俺の奇行に飛んで来て、支える様に起こす。
『絶対に失いたくない……』
俺は血のにじむ拳をもっと強く握りしめるのだった。
逆らう事ができず、エリナと呼ぶ事に慣れてきた頃。
なかなかエステルにも会えないまま、月日は過ぎていく。
もどかしい気持ちと、婚約のことを言い出せない気持ちに、毎日悩んでいた。
そんな時エステルが誘拐されたと聞く。
いてもたってもいられず、すぐにでも捜索にあたる準備をしていたのだが、 王の間に呼び出され、嫌な予感がする。
『お待ちになってください、皆さま。
エリナ様から予言をいただきました。
エステル様は『アキラ』と言う魔族に誘拐された様です。
魔族は危険です。今は待機し、様子を見て、しっかりと準備してから捜索に当たりましょう。
……あ、エリオット王子自ら捜索にあたることはなさらない様に……。
エリナ様が心配されますゆえ。』
エーコはニコニコと微笑み、俺にそういった。
その側ではエリナが不安そうに俺を見つめている。
『……だが、エステルは……!』
エステルは俺が助けに行くんだ。
誰にも任せたくない。
言葉にうまく出せず、何も言わずそこから立ち去ろうとする。
『待て、エリオット。お前何を言おうとしているのだ?
そして、どこに行く?』
俺の言葉を遮ったのは、父だった。
『……父上……!』
俺はギッと父を睨みつけた。
そして俺は、捜索に行くと言おうとする。
『……!?』
急に喉が張り付いた様に、声が出ない。
『カハッ』
無理に声を出そうとすると息苦しくなり、思わず喉を抑えた。
そんな俺を支える様にセドリックが立った。
『父上、頭おかしくなった?
このよくわからない緑色の人に操られてるの?
エステルがさらわれたって聞いて、待てってなんだよ。
父上は国に貢献してくれた英雄騎士の孫より、こんな得体の知れない予言のが大事とか意味がわからないんだけど?』
大げさに肩をすくめてため息をつくセドリック。
父はえらく憤慨し、セドリックと後ろに控えていたエステルの祖父とで、激しい言い合いを始めていた。
いたたまれなくなってよろめいてしまうが、必死で足に力を込めた。
『俺は、エステルを助けに行く。』
そう言い残し、その場を出ようとする。
『……お待ちください、エリオット様!!』
俺に飛びついてきたのはエリナだった。
『……離してくれ。大事な人が拐われたと聞いたのだ……。助けに行ってやりたいんだ。』
『エリオット様、私も、私も大事でしょう?私たち結婚するんですもの……。お願い、行かないで……。』
エリナは俺に抱きついて離れようとしない。
そうこうしてるとセドリックとエステルの祖父のダリウスが、ドカドカと騎士を連れて部屋から出ようとしていた。
『兄上、行こう。こんな茶番付き合うことないって。』
そう言って手を差し伸べてくる。
俺はその手を取ろうとする。
……だが。
『……行ってはなりません。行くのであれば、エステルがどうなるかわかりませんよ……。』
思わず声の主の方へ振り向く。
『彼女』は俺を見て嬉しそうに笑う。
そして俺にしか聞こえないぐらいの声で、話を続けた。
『ダメよ、行っては。あなたがエステルと結ばれると、もっと世界は壊れていくの。
この世界が壊れたら、あなたが大事にしているエステルは消滅してしまうわよ。
消滅しない方法は、ワタシしか知らない。
ここに残って、私の話の続きを聞く気あるなら、教えてあげる……』
彼女は嬉しそうに俺を見て微笑んだ。
俺は息を飲んだ。
でも。
すぐに答えは出る。
『……すまない、セドリック。エステルを捜索任せてもいいか?……必ず後を追う。』
伸ばしかけた手を静かに下げて、セドリックをまっすぐ見る。
セドリックは一瞬目を細めたが、『わかった、待ってるから』と急いで出ていった。
結局エステルの救出には間に合わず、あんな目をさせてしまったのだが…。
『私のいうことは、信じられませんか?』
エステル、ごめん。
信じていないわけではないのだ。
だが、俺は、君を傷つけるものから君を守りたかっただけなんだ。
『おぉ、エリオット。よく行かずと決断した。
……セドリックは今度という今度は許さぬ。戻ってきたら部屋から出すな!』
怒りが収まらない父を思い出したおかげで、再び過去に意識が戻る。
父が退席して、残されたのは俺とエリナと『彼女』
エリナは憂いある瞳で俺を見つめたまま、俺を抱きしめて離れなかった。
『さぁ、エリオット様。私とお話をしましょう。』
彼女は静かに、俺に笑いかけた。




