story 09 初めての野営
この世界、コンピューターRPGにありがちな便利グッズ、アイテムボックスやらインベントリみたいなものはない。死体を放り込んでいたら牙と骨と革が上等な素材になっていました、なんてことは起こらないので自分で血抜きから皮剥ぎと行って素材取りまで全部手作業だ。
倒した魔獣はその場で調理して夜食にしてしまう。魔獣の肉は市場には出回らないので、その味を知るのは冒険者の特権だ。とは言っても狼の肉はそれほど美味というものでもないのだが。
剣士のマイトが適当な木に狼の後ろ足に掛けたロープで吊るそうとするのを双剣士のケイトが手伝い、頭が下になったところで今回の支給品である仕分け用のナイフで喉元を撫でるようにして裂くと、血が重力に従って足元の地面に滴り落ちていく。
少女の手際の良さにそうした経験が豊富なのを見て取って感心していた。
「イクサ、さっきはありがとう。あなたのヒール、とても魔力が濃いから驚いちゃった」
「ハハ、皆さんが前衛で体を張ってくれるから俺も自分の力を存分に振るえるんですよ」
コミュ症ではないつもりだが女の子と話せて、しかも感謝されるという事態に内心ホクホクしているイクサだった。
まだキャンプの予定にしている野営地には距離があるため、狼の下処理を済ませると内臓は土を掘って埋めて皮と肉を手早く纏めて、それぞれで分担して背負う。貴重な新鮮な食料だ。今夜の分は、ビリーが持ってきてはいたものの、それは予備として用意した保存を優先した味気ないものだ。
「出発するぞ。せっかく手に入れた食料だがまた戦闘になったら躊躇いなく捨てろよ」
戦闘時には少しでもウェイトを軽くして身軽さを維持するために、生活道具を収めた袋や食料などはその場に廃棄する。
勿論、戦闘終了時に残っていれば回収するのだが、食料、特に新鮮な肉などはパーティが戦闘にかまけている間に他の無害な小動物に奪われてしまうことが多いのだ。
幸いなことにキャンプ地に予定していた野営地に着くまでもう敵は出なかった。
野営地は何度も利用されているらしく、かまどの跡が残っていて、過去に利用したらしいパーティの痕跡が見て取れる。川のせせらぎの音が聞こえてくる見通しのいい丘だ。
「よし、荷物を下ろしていいぞ。それぞれ野営の準備にかかってくれ。経験の無い者はいるか? 恥ずかしがる必要はないぞ。そのための研修なんだからな」
イクサがおずおずと手を挙げる他は皆経験者のようだ。キャスターなら荒事の経験の多い前衛職と違い、野営を経験していなくても不自然ではない。そのためか、不審がられずに済んだようだ。
「よし、かまどの方はお前たちに任せる。イクサ、一通り教えてやるから一緒に来い」
「はい」
それからイクサはビリーについて結界の張り方、野営時の身の振り方について教授された。野営の時といえどある程度の警戒は必要だ。簡易結界は常時、人がいる場所にはある程度の魔獣の行動を阻害する効果はあるが、沐浴やトイレなどのときにはその外に出ることもあるからだ。
茶筒のような容器に入れられていた簡易結界は中から取り出すとたちまち青い光を発して、その場を聖別した空間に変える。オンオフと言った機能はないので、そのための容器だ。形は円筒形の直立するライトのようでガラスのような中に青い光が明滅している。
イクサとビリーがかまどのところまで戻ってくると既に美味そうな匂いが小さな鍋から漂ってくる。メニューは魔獣の肉が手に入ったので香草を使ったシチューの煮込み料理だ。
町の外で食べるせいか味は濃い目だが腹に溜まる料理は食べがいがあって美味かった。イクサは思わずガツガツと食ってしまった。そんな彼を他のメンバーの生暖かい視線が見ていたが一向に気付いた様子はなかった。
食事の後は交代で火の番をしつつ地べたにマントを敷いて就寝だ。勿論、ベテランのビリーもルーキーのイクサも火の番に関しては同列だ。五人パーティなので野営の場合の平均睡眠時間四時間を計算して二人と三人に分かれて火の番をすることになった。前半はケイト、マイト後半は他の三人だ。
イクサは野営に慣れていないということで先に休ませてもらった。こんな他人に仕事させといて自分だけ先に休むなんて、と思っていたがマントを敷いてその上に横になると目を閉じた途端スヤァ、と寝入ってしまった。
「起きて。あなたの番よ」
先に寝させて貰ったイクサが肩を揺さぶられて目を覚ますと双剣士のケイトだった。イクサが体を起こすと、彼女はスリザも起こすと替わりに自分の寝床へと向かった。マイトはビリーを起こしていたが寝起きが悪そうで難儀していた。
ビリーが頭を掻きながら「くわぁぁ」と盛大なアクビを吐き出しながら起き出してくる。火にかけた鍋の前に腰掛けたスリザはそれを眺めてクスクスと小さな笑い声を上げている。彼女はパチパチと火の爆ぜる音を立てているかまどに、隣に積まれた木の枝をくべていた。
晩餐のときには美味そうな匂いを立ててシチューを煮込んでいた鍋は今は褐色の液体に満たされている。コーヒーなどではなく、眠気覚ましの香草茶だ。口に含んだときに独特の苦味はあるものの喉越しが爽やかなので野営以外にも日常的に愛飲している者も多いらしい。
「トイレに行ってくる」
「はい」
スリザが頷いてビリーは小用に席を外したのでかまどの前にイクサも腰掛けた。彼女は何が楽しいのかイクサを見ると朗らかに笑い始めた。
「な、なに?」
「ううん、ごめんなさい。あなた、普段はボーッとしているのに仕事ぶりは確かだから」
「そう、アレでよかったんだな。まだ自信がないから不安だったんだ」
「自信を持っていいわ。私もそんなにまだ経験はないけどパーティで一緒になったどのキャスターよりもいい仕事ぶりよ」
「そうなんだ、少し安心したよ」
イクサはパーティ戦闘は初めてだったのでそれが正しい行動なのかどうか不安だったのでスリザの言葉には安心した。スリザは双剣士の少女のケイトの知り合いで、今回は体が空いていたこともあってより経験を積むために参加したらしい。
冒険者ギルドで初めてレベルというものの存在を知り、それが意外に高い数値、14であったことにイクサは驚いていた。
召魔のサイグリフォンやロードウルフと一緒に戦っていたとき、確かに初めは数発も撃つと胸が苦しくなっていたのに、終盤になると何発撃っても苦しさはなくなった。
そういう意味では少しは成長したのかもしれないが、そういう確かな数値となって成長を実感できたのは面白かった。
「ビリーも聞いていたけど最後のあの魔法。すごい効き目だったわね。弱体とか言ってたけど他にもあるの? あ、ごめんなさい、他人のスキルを聞くのはマナー違反だったわね」
「いや、いいよ。てゆうかそんなマナーがあるんだね。俺はついこの間、街に来たばかりだから知らなかったよ。勉強になるな」
それからイクサはスリザに弱体魔法について幾つか話した。ただし、この町の住人が召喚師にトラウマがあるみたいなのでその辺を考慮して効果がヤバそうな魔法は割愛したが。
このパーティで初めて使ったディアス。これは光系の弱体魔法だ。体中の筋肉に刺すような痛みを発生させ体を蝕む。そのため、継続したスタン(気絶)のように行動を阻害させる効果がある。
他には麻痺のパライザー、睡眠のスリプルス、行動遅延のスロウサイズ、視界を奪うブラインドサイトなどなど。どれも使い所を選ぶが決まったときには劇的に戦況に影響を与える筈だ。
「……凄いのね。どうして今まで使われてこなかったのかしら」
スリザは彼のヒールとプロテクトの掛かり具合を思い出してその効果がもたらす結果について推測し、戦慄した。結局、イクサのかけたプロテクトは野営地に着くまで続いていたのだ。
「うーん。話を聞いてると、そんなことをしてる間に決着がついちゃうから出番が無いんじゃないかな。それにヒールだけでもみんな助かってるから求められてないのかも」
そこにビリーが戻ってきて二人の中間辺りに腰掛けて、鍋から三人分カップに香草茶を注いだ。
「面白い話をしてるな。途中から聞いていたが、一番の問題はヒーラーにしてもウィザードにしてもそれほど連発できるほど精神力が高くないことだな。ヒーラーはヒールや治癒魔法の出番を図っているだけで精一杯だし、ウィザードにしたって自分が一番のダメージディーラーという自信があるから手を出さないのだと思うぞ」
スリザはビリーの言葉に頷きながら同時に目の前に座るボーッとしたヒーラーの少年の底知れない能力に恐れを抱いた。彼がヒーラーで良かったと思う。これだけの能力があればもしウィザードならすぐにでもトップに上り詰めるのは明らかだからだ。
イクサは初めて味わう褐色の香草茶に舌鼓を打ちながら、袋の中から取り出した、こちらも眠気覚ましの噛み草を口にしてその苦さにケホッケホッと咳をしていた。
その様子にスリザは楽しげにクスクス笑いを漏らし、ビリーはニヤリと唇の端を歪めて笑っている。それは冒険者あるあると言うやつで、初めて野営をする者の苦い洗礼というやつだ。