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第二十一話

 翌日、昼食を終えて十分身体を休ませたと思える頃、タケルはアヴェリュスと共にフレイアの部屋へ向かった。


 フレイアは藍色のドレスと、相変わらず服装は地味だった。


 だが昨日と比べると顔色はすこぶる良く、くすんだような青紫の瞳も生気を取り戻したように輝いていた。




「昨晩は、ゆっくりとお休みになれましたか」




「はい。とても」




 アヴァリュスの言葉に、フレイアは微笑んで答えた。


 その笑みすら、昨日より明るく感じられた。




「こんなに深く眠れたのは、国を出て以来始めてです」




「それは良かった」




 弾んだ声音のフレイアに、アヴエリュスは満足そうな笑みを浮かべた。




「枕からとても良い香りがしました。そのお陰かもしれません」




「私が栽培した花で調合した香水を、含ませておきました」




「まあ、アヴェリュス様が!」




 心底驚いた様子のフレイアに、アヴェリュスがニッコリと微笑みかける。




「お気に召されましたか」




「はい。とても」




「では普段お使いになれるよう、調合してお渡し致しましょう」




「そのようなお手間をかけさせては……」




「造作もないことです」




 遠慮するフレイアに、更なる笑みをアヴェリュスは向けた。


 男のタケルですら見惚れてしまうような鮮やかで美しい笑みに、フレイアの頬がほんのりと染まった。




「楽しみにしております」




 伏し目がちに紡がれた言葉から、心底心待ちにしている心情が伺えた。


 初々しくも微笑ましい二人の遣り取りに、タケルの胸は春の陽だまりのように温かくなった。




「今日は私の自慢の庭を、ご案内致します」




「はい」




 アヴェリュスの導く声に、フレイアは微笑んだ。


 その微笑みは、見ているこちらまで微笑んでしまいそうな柔らかで穏やかなものだった。











 甘く香る初春の風は温かく、慈愛を持ってタケルの身体を抱いた。


 目の前に広がる青い薔薇の庭園は、エヴァンスがジュリアスと共に柔らかな眼差しで子供達を見つめていた庭に間違いない。


 だが全体的に薔薇の背丈は低く、咲き誇る花の数もぐんと少ない。


 それでも視界一杯に広がる青薔薇の庭園は荘厳で、清らかな青さに、深く息を吸い込むたびに心が浄化されていくような気がした。




「なんて綺麗なのでしょう!」




 駆け出すようにして庭園に近づいたフレイアの口から、感嘆の声が上がった。


 見つめる青紫の瞳は、春の日差しに洋々と輝いていた。




「青い薔薇なんて見たことがありません!」




 気分の高揚を表すかのように、そばかすの散る頬がほんのりと染まっていた。




「品種改良を重ねて、私が作りました」




「アヴェリュス様が?」




 驚きと感心の入り混じった深い青紫色の瞳が、傍らに立つアヴェリュスを見た。




「はい」




「素晴らしい才能をお持ちなのですね」




「偶然出来たものです」




「その偶然に辿り着くのも、才能の一つです」




 フレイアが優しく微笑む。


 肖像画の暗い印象から、引っ込み思案で後ろ向きな性格を想像していた。


 けれども口調や仕草からは意外にも快活な印象を受け、言葉の滑りの良さには聡明さを感じた。


 何よりふくよかな顔立ちで微笑む姿が愛らしいことに、タケルは正直驚いた。


 フレイアの賞賛の言葉に、アヴェリュスは困惑したような笑みを浮かべた。


 膝を折り、近くにある青い薔薇の花弁に触れる。




「けれども、家臣は快く思っておりません」




 青を映す金の眼差しが寂しげに揺れる。




「何の役にも立たない花を育てる時間があるのなら、次の王として剣技を磨けと言われます」




 楽師になりたかったというエヴァンスの言葉を、タケルは思い出した。


 どんなに願っても、どんなに努力しても、変えられないものがこの世にはある。




「けれども、私は花と戯れている方が好きなのです」




「良いのではないですか」




 惑うアヴェリュスの声とは対照的な明瞭な声が、静かに青の世界に満ちてゆく。


 戸惑いと驚きを含んだ金色の瞳が、フレイアへと向けられる。


 迷子になった幼子のような不安定な表情を浮かべるアヴェリュスに、フレイアが大きく微笑みかける。




「確かに王として剣の腕は必要でしょう。けれど、それが王の資質の全てではありません。むしろ花を愛する優しい心をお持ちの方が王になられた方が、民は幸せなはずです」




「周囲の者は意気地がないと零します」




「剣の強い者が、必ずしも心が強いとは限りません。むしろ、心の弱さを力で隠す者もおります。アヴェリュス様はお優しい。心が強くなければ、人には優しく出来ません。少なくとも私は、剣技が得意なアヴェリュス様よりも、今の花を愛でるアヴェリュス様の方が好きです」




 驚きの大きさを示すように、金色の瞳が大きく見開かれた。




「そのようなことは……今まで……誰も……」




 狼狽するように震える声音で零れ落ちるように言葉を紡ぐアヴァリュスを、夕暮れの柔らかな光を抱くような青紫の瞳が包み込む。




「言わなかったのですね」




 衣擦れの音と共にフレイアは、アヴェリュスの傍らに腰を落とした。




「では、私が何度でも申し上げましょう。今のアヴェリュス様が好きです」

 



 咲き誇る青い薔薇にも負けない鮮やかな笑みで、フレイアがアヴェリュスの心を肯定する。


 途端、アヴェリュスの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


 真珠のような大粒の涙を、フレイアの心根を表したような飾りのない真っ白なハンカチが優しく拭う。




「お辛い思いをされていたのですね、アヴェリュス様」




 名前を呼ばれたことが合図のように、号泣と共にアヴェリュスの身体が崩れた。


 フレイアのふくよかな両腕が、迷うことなく抱きとめる。


 勝気で強引で、悩みなどない我が侭な王子だと思っていた。


 だが、アヴェリュスは悩んでいた。


 王子としてあるべき姿と、本来の自分の姿に。

 

 他人が求めるものと自分が求めるものの違いに悩む気持ちは、タケルにも痛いほど分かった。


 自分も悩んでいる。


 手術を望む両親と、拒む自分自身との間で。

 

 だから、惑う心は分かる。


 けれども、わずか数日で惑う心に気付くことなど不可能だ。


 だがフレイアは、ほんの少し言葉を交わしただけでアヴェリュスの孤独に気付いた。


 それは、同じ王族に身を置くから分かるなどという単純なものではないだろう。


 フレイアもまた、深い孤独を知っているのかもしれない。

 

 何よりフレイアは優しい。


 その優しさが、アヴェリュスの孤独な心を感じ取り解放へと導いたのだ。


 清浄な青の世界で、タケルは花達の囁く声を聞いたような気がした。





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